聖書箇所 第一コリント人への手紙15章111
15:1 兄弟たち。私は今、あなたがたに福音を知らせましょう。
これは、私があなたがたに宣べ伝えたもので、あなたがたが受け入れ、
また、それによって立っている福音です。

15:2 また、もしあなたがたがよく考えもしないで信じたのでないなら、
私の宣べ伝えたこの福音のことばをしっかりと保っていれば、
この福音によって救われるのです。

15:3 私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、
私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、
私たちの罪のために死なれたこと、

15:4 また、葬られたこと、また、聖書に従って三日目によみがえられたこと、

15:5 また、ケパに現われ、それから十二弟子に現われたことです。

15:6 その後、キリストは五百人以上の兄弟たちに同時に現われました。
その中の大多数の者は今なお生き残っていますが、
すでに眠った者もいくらかいます。

15:7 その後、キリストはヤコブに現われ、
それから使徒たち全部に現われました。

15:8 そして、最後に、月足らずで生まれた者と同様な私にも、
現われてくださいました。

15:9 私は使徒の中では最も小さい者であって、使徒と呼ばれる価値のない者です。
なぜなら、私は神の教会を迫害したからです。

15:10 ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。
そして、私に対するこの神の恵みは、むだにはならず、
私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。しかし、それは私ではなく、私にある神の恵みです。

15:11 そういうわけですから、私にせよ、ほかの人たちにせよ、
私たちはこのように宣べ伝えているのであり、あなたがたはこのように信じたのです。

本日の講壇2017813

 

聖書箇所 第一コリント人への手紙15章111

説教題 『神の恵みによって』

■序論

今日の箇所の後半は、パウロの証です。私は「神の恵みによって」こうなりました、と宣言しています。その中で、福音とは何か、キリストの復活が事実であること、自分が恵みの証人であることが書かれています。

 

1、「福音とは何か」(1~5節)

福音とは何か。福(ふく)は「幸い」「幸せ」、音(おと)はその知らせを示しています。私たちにとって福音は「幸いな知らせ」です。わたしたちが受け入れ、それによって立っている(2節)もの、福音によって「救われる」ことができます。具体的に一つひとつ、最もたいせつなこと(3節)として、私たちの受けた福音が3節~5節に記されています。

 

2、「復活後のキリスト」(6~7節)

 キリストが私たちの罪のために死なれたこと、よみがえられたことを私たちは信じています。1コリントが書かれた時代、復活された後のキリストを見たという人が生き残っていた時代でした。ただのうわさではなく、12弟子に、500人以上の兄弟たちに同時に現れました(6節)。実際に、キリストがよみがえられた姿を見た、と証言できる、目撃した人がいるということが強調されています。

 

3、「パウロの証」(8~11節)

 キリストが私にも現れてくださいました(8節)とパウロは証しています。キリスト教信者を迫害することに熱心に取り組んでいたパウロは、キリストに出会った後、180度変えられ、キリストを人々に伝える伝道者になりました。神の恵みによって救われたこと、神の恵みはむだにはならず、神の恵みによって、今の自分があることをパウロは痛感していました。神の恵みの深さ、すばらしさ、尊さを知っている者だけができる証です。

 

■結論

 神の恵みによって、今日まで世界中で福音は伝えられ続けてきました。そして私たちも福音を受け、入れ信じました。神の恵みは、私たちをどのように導いて来て下さってきたのか、新たに思い起こしましょう。