聖書 ヨハネの福音書66071
6:60 そこで、弟子たちのうちの多くの者が、これを聞いて言った。「これはひどいことばだ。そんなことをだれが聞いておられようか。」

6:61 しかし、イエスは、弟子たちがこうつぶやいているのを、知っておられ、彼らに言われた。「このことであなたがたはつまずくのか。

6:62 それでは、もし人の子がもといた所に上るのを見たら、どうなるのか。

6:63 いのちを与えるのは御霊です。肉は何の益ももたらしません。わたしがあなたがたに話したことばは、霊であり、またいのちです。

6:64 しかし、あなたがたのうちには信じない者がいます。」――イエスは初めから、信じない者がだれであるか、裏切る者がだれであるかを、知っておられたのである。――

6:65 そしてイエスは言われた。「それだから、わたしはあなたがたに、『父のみこころによるのでないかぎり、だれもわたしのところに来ることはできない。』と言ったのです。」

6:66 こういうわけで、弟子たちのうちの多くの者が離れ去って行き、もはやイエスとともに歩かなかった。

6:67 そこで、イエスは十二弟子に言われた。「まさか、あなたがたも離れたいと思うのではないでしょう。」

6:68 すると、シモン・ペテロが答えた。「主よ。私たちがだれのところに行きましょう。あなたは、永遠のいのちのことばを持っておられます。

6:69 私たちは、あなたが神の聖者であることを信じ、また知っています。」

6:70 イエスは彼らに答えられた。「わたしがあなたがた十二人を選んだのではありませんか。しかしそのうちのひとりは悪魔です。」

6:71 イエスはイスカリオテ・シモンの子ユダのことを言われたのであった。このユダは十二弟子のひとりであったが、イエスを売ろうとしていた。

本日の講壇2017319

聖書箇所 ヨハネの福音書66071

説教題 『永遠のいのちのことば』

■序論

イエス様を信じる人はイエス様のことばを信じる。現代では聖書のことばを通してイエス様と出会うことができる。みことばは永遠の生命への招きである。

 

1、つまずかせる人のことば(6061節)

イエス様はいのちのパンの話を通して、十字架と復活のことを予告された。しかし、弟子たちはこれを聞いてつぶやいた。「弟子たち」61節)は「十二弟子」67節)とは区別して表現されている。つまり十二弟子以外にも、イエス様に従う人達は多数いたからである。しかし、多くの弟子たちはイエス様のことばを信じて従うよりも、自分たちの願いをかなえるメシヤを望んでいた。だから、彼らはイエス様のことばを信じることができなかった。信者であるはずの人達の不信仰なことばに周りは影響される。イエス様のことばだけにとどまろう。

 

2、いのちを与えることば(6265節)

不信仰なことばは周りにつまずきを残すことがある。しかし、イエス様は彼らのつまずきを御承知の上で、十字架と復活の後、昇天のことも話された。十字架と復活の福音は信じる者に永遠の生命をもたらす。当時も今も、イエス様の十字架と復活を見たかどうかが、信じるか信じないかを決めるのではない。見なくても信じることができる。それは、信じることができるように御霊が働かれるからである。イエス様の弟子だから救われるのではなく、イエス様のことばを信じる者が永遠の生命へと招かれる。イエス様のみことばを信じよう。

 

3、弟子を選ぶことば(6671節)

弟子によるつぶやきと多くの離反者があったことをヨハネは記している。そのことを通して、十二弟子も揺さぶられている。十二弟子がイエス様を選んだのではなく、イエス様が十二弟子を選んで、任命されたのは、実を結ぶためである1516。だから、自分の願いをかなえるためにイエス様を選んだ弟子は離れていった。ユダの選びさえも神の権威によるのは、イエス様の十字架が神の御計画の内にあるからである。神に選ばれ、神に召されて、今あることを信じる者は、神から離れることなどできない。イエス様の弟子として生きよう。

 

■結論

Ⅰコリント118 永遠の生命への招きに応えた者は、聖霊によってみことばに従う力を日々与えられる。神の恵みと力を感謝しつつ、永遠の生命の道を歩もう。