聖書箇所 ヨハネの福音書21章1~14節 説教題 『主イエスとの再会』 ■序論 ヨハネの福音書は20章で完結ではなく、21章の弟子達の再出発の出来事が欠かせない。イエス様は私達の生きる目的と使命をいつも確認させて下さる。
1.イエス様を見失った弟子達(1~4節) イエス様は弟子達が信仰と召命の原点に立つために、ガリラヤ湖を再会の舞台とされた。ペテロを始め七、八人の弟子達は漁に出かけたが、一晩漁をしても何も取れなかった。本来、弟子達は聖霊を受けて、イエス様から宣教に遣わされていた(20:21~23)。ところが彼らは人間をとるためではなく、魚をとる漁にでかけている。イエス様が十字架にかかられる前に大きな裏切りをした彼らは挫折と自信喪失の状態だっただろう。何よりも彼らはイエス様を見失っていた。イエス様を見失えば的外れな生き方に戻ってしまう。イエス様とイエス様の御言葉がいつも私達の人生のゴールと目的を示して下さると信じよう。
2.イエス様のみことばに従った弟子達(5~10節) 失望と疲労の漂う弟子達にイエス様は声をかけられた。イエス様の愛と御言葉に従い、彼らが網をおろすと、おびただしい魚がとれた。この出来事を通して、ヨハネは岸べに立つのがイエス様であることに目が開かれた。またペテロは裸だったので、上着を来て湖に飛び込んだ。以前もペテロはイエス様の御言葉を通して、神の権威と自分の罪深さを恐れてひれ伏した(ルカ5:8)。神の御言葉は光、鏡となり、人の心を映し出す(へブル4:12~13)。イエス様の御言葉は彼らの信仰の目を開いた。私達の目を開いて下さる神の御言葉に聞き従おう。
3.イエス様から使命を再確認した弟子達(11~14節) イエス様の御言葉通りにすると153匹の大きな魚がとれた。弟子達は大漁を目 の当たりにして、人間をとる漁師として召された使命を再確認した。それだけ ではなく、イエス様を中心とした食卓ではパンと魚を分かち合う豊かな交わり が与えられた。復活後のイエス様が彼らに現われたのは三度目である。イエス 様は彼らの信仰の目が開かれ、使命を再確認するまで忍耐して下さった。イエ ス様が十字架を通して与えて下さった命をイエス様のために用いていただけ るのは最高の幸せである。御言葉を通して日々イエス様と出会い、交わろう。
■結論 イエス様の再臨に備えて、今から霊の目を鍛錬しよう。主の愛に感謝し、主の御言葉を通して、私達の人生のゴールと目的を確認し、主の御言葉に従おう。 |