聖書 ナホム書2章113

1:1 ニネベに対する宣告。エルコシュ人ナホムの幻の書。

1:2 主はねたみ、復讐する神。主は復讐し、憤る方。主はその仇に復讐する方。敵に怒りを保つ方。

1:3 主は怒るのにおそく、力強い。主は決して罰せずにおくことはしない方。主の道はつむじ風とあらしの中にある。雲はその足でかき立てられる砂ほこり。

1:4 主は海をしかって、これをからし、すべての川を干上がらせる。バシャンとカルメルはしおれ、レバノンの花はしおれる。

1:5 山々は主の前に揺れ動き、丘々は溶け去る。大地は御前でくつがえり、世界とこれに住むすべての者もくつがえる。

1:6 だれがその憤りの前に立ちえよう。だれがその燃える怒りに耐えられよう。その憤りは火のように注がれ、岩も主によって打ち砕かれる。

1:7 主はいつくしみ深く、苦難の日のとりでである。主に身を避ける者たちを主は知っておられる。

1:8 しかし、主は、あふれみなぎる洪水で、主に逆らう者を滅ぼし尽くし、その敵をやみに追いやられる。

1:9 あなたがたは主に対して何をたくらむのか。主はすべてを滅ぼし尽くす。仇は二度と立ち上がれない。

1:10 彼らは、からみついたいばら。大酒を飲んだ酔っぱらいのようであっても、かわいた刈り株のように、全く焼き尽くされる。

1:11 あなたのうちから、主に対して悪巧みをし、よこしまなことを計る者が出たからだ。

1:12 主はこう仰せられる。「彼らは安らかで、数が多くても、刈り取られて消えうせる。わたしはあなたを苦しめたが、再び、あなたを苦しめない。

1:13 今、わたしは彼のくびきをあなたからはずして打ち砕き、あなたをなわめから解き放す。」

本日の講壇

 

聖書箇所 ナホム書2章113

説教題  『回復させる神』

■序論

神様は義なるお方なので、悪と罪を厳正に裁かれる。一方で、神様は愛と恵みのお方で、罪を悔い改める者を赦される。神様のもとには回復と希望と慰めがある。

 

1.ニネベの陥落(1~9節)

アッシリヤの首都ニネベが敵に責められ、陥落する姿が描かれている。イスラエルや他の諸国を踏みつけたアッシリヤも、まもなく彼らがした通りのことを敵によってなされる。軍事的な崩壊34節)、社会的上流層の崩壊5節)、政治的な崩壊67節)、住民と財政の破綻89節)が首都ニネベに起こると、国は混乱状態に陥る。国の最盛期になされたこの宣告を誰が真摯に受け止めただろうか。ヨナの時代、ニネベでは王を初め全ての者が神に悔い改めて、滅びを免れた(ヨナ書3章)。神に背く者に神の裁きは必ず訪れる。神に悔い改めることが唯一の回復の道と信じよう。

 

2、若い獅子の滅亡(1013節)

ニネベに対する宣告は続く。強くて凶暴なアッシリヤの王は雄獅子にたとえられている。雌獅子は王妃、子獅子はニネベの住民である。諸外国を攻め、支配し、略奪した物でニネベは豊かさに満ちていた。しかし、ニネベは責められ、「破壊、滅亡、荒廃」、「心はしなえ、ひざは震え、すべての腰はわななき、誰の顔も青ざめる」(10節)状態に陥る。彼らが手にしていた剣が、今度は彼らに向けられることになる(マタイ2652。旧新約聖書を通して、イエス様のみことばは真実である。罪を悔い改めずに放っておくと、自ら滅びを招く。神の裁きの背後にある愛と忍耐を覚えよう。

 

3、神に置く望み(Ⅱコリント110節)

新約聖書の光をあてて、ニネベに対する宣告を捉えてみよう。神はすべての人に悔い改めて、神に立ち返る恵みの機会を与えておられる。死刑囚もイエス様に憐れみを求め、彼は天国に招かれた(ルカ2342。一方で、世の法律的には無罪でも、神の前における罪人は、やがて神の法廷に立たされ。宣告を受ける。全人類の罪を赦すために、人となって世に来られた神の御子イエス・キリストだけが、私達の罪を赦し、義と認め(無罪宣告)、永遠の生命を与えて下さる(ガラテヤ326。神は裁きの宣告だけでなく、救いの道を備えて下さる。神の愛に感謝し、神に望みを置こう。

 

■結論

ニネベに対する宣告は他人事ではない。神はすべての罪と悪を裁かれる。だから今、恵みの時に、裁きから救い、絶望から希望に招き、回復させる神に立ち返ろう。