1:1 ニネベに対する宣告。エルコシュ人ナホムの幻の書。

1:2 主はねたみ、復讐する神。主は復讐し、憤る方。
主はその仇に復讐する方。敵に怒りを保つ方。

1:3 主は怒るのにおそく、力強い。
主は決して罰せずにおくことはしない方。
主の道はつむじ風とあらしの中にある。
雲はその足でかき立てられる砂ほこり。

1:4 主は海をしかって、これをからし、すべての川を干上がらせる。
バシャンとカルメルはしおれ、レバノンの花はしおれる。

1:5 山々は主の前に揺れ動き、丘々は溶け去る。
大地は御前でくつがえり、
世界とこれに住むすべての者もくつがえる

本日の講壇

 

聖書箇所 ナホム書1章115

説教題  『慈しみ深い神』

■序論

預言者ナホムはBC7Cにユダで活動した預言者である。名前には「慰め」という意味が含まれる。どの時代も、神様の慰めは、絶望の中に希望の光を与えて下さる。

 

1.ねたみ、復讐する神(16節)

宣告を受けたニネベはアッシリヤの首都で、1Cほど前に、預言者ヨナが神のメッセージを伝えた町である。ヨナの時代、人々は悔い改めて、神の裁きを逃れたが、時代を経て、再び彼らは神に背いていた。当時はアッシリヤの最盛期だったが、宣告(BC630年代)の後、BC612年にニネベは陥落、BC610年にアッシリヤは崩壊している。神の怒りとねたみは、御自身の義と聖に基づくものである。神の裁きは自然界にも及び、誰も逃れられない。しかし、神の裁きには、長年の忍耐があり、人が立ち返り、悔い改めることを待っておられる、深い愛が背後にあることを覚えよう。

 

2、苦難の日のとりでである神(7~11節)

神様は決して裁きを一方的に執行するお方ではない。悔い改めることができる猶予期間はまさに恵みの時である。アッシリヤに対する宣告は、ユダにとっては慰めとなった。どんな大国でも神の裁きの前には一瞬にして崩れ去る。つまり、神に背く者は裁かれ、神を恐れて従う者には救いがある。ただ、神の裁きの事実の前に、我が身のこととして自ら襟を正す必要がある。信じる者にとって、神は苦難の日のとりでとなって下さるお方である。今、神に従っている者は、今後もそのように歩み続けよう。そして、いつでもとりでとなって下さる愛の神様に身を避けよう。

 

2、平和を告げ知らす者(1215節)

この地上においては、どんな王国も永遠に続くものなどない。神の裁きを受けたアッシヤは一瞬のうちに除き去られることが宣告されている。一方で、イスラエルのように弱く小さな民族が、絶滅せず、子孫も散らされずに守られることが約束されている。しかも、「良い知らせ」は戦争や圧政の終わりだけではなく、偶像が取り除かれ、真の神を礼拝の回復にも及んでいる。それこそ神の民の平和と喜びである。そして、神の救いを経験する者は、自らが平和を告げ知らせる者として遣わされて行く。苦しむ者を慰め、励まし、救い、回復させて下さる神に希望を置こう。

 

■結論

神の義は、神に背く者への裁き、神の愛は悔い改める者への救いとして現われる。神の愛と救いを喜ぼう。神の慈しみが今日も全ての人に注がれることを信じよう。