本日の講壇

 

聖書箇所 ヨハネの福音書4章3945

説教題  『ほんとうに世の救い主だ』

■序論

イエス・キリストを救い主と信仰告白へ至らせるのは聖霊の働きによる。サマリヤではイエス様による福音の種蒔きが実を結んだ。私達も今、聖霊の導きを求めよう。

 

1.人の証言による宣教(3940節)

サマリヤのスカルの町の井戸で、一人の女性が、いのちの水であるイエス様と出会い、救われた。女性は水がめを置いて町でメシヤなるイエス様と出会った喜びを証言した。この証言を聞いた人々は「まさか」と驚き、続々とイエス様のもとに来た。時:預言されたメシヤが来られる時はまさか今なのか。場所:サマリヤの町にまさか来られるだろうか。③人:この証言をしている女性を本当に信頼していいものか。当時の伝達手段は専ら口コミで、人伝いで話はすぐに広まった。イエス様と出会い、すでに永遠の生命を得た人は、その喜びを人から人へと伝えよう。

 

2、イエス様のみことばによる確信(4142節)

人々が滞在を求めたので、イエス様はサマリヤに二日間滞在した。そこで多くの人々がイエス様のみことばによって信じた。そして、もはや女性の証言によって信じているのではなく、イエス様のみことばを通して、信仰告白した。信仰は、イエス様のみことばを聞くことから始まる(ローマ1017。きっかけは、人からの紹介でも、個人的にイエス様のみことばと、その体なる教会につながることによって、信仰は育まれる。失われた魂がイエス様とそのみことばに出会うために教会がある。イエス様のみことばこそ、私達に確信を与え、生きる道を示して下さることを信じよう。

 

3.イエス様のガリラヤ宣教(4345節)

イエス様は二日間サマリヤに滞在した後、ガリラヤへ行かれた。イエス様はガリラヤのナザレで育ったので、以前から知っている人が多くいた。昔の預言者は故郷では尊ばれないことをイエス様は御存知だった。しかし、ガリラヤの人々はイエス様を歓迎した。それは、イエス様にしるしを求めていたからである(223)。サマリヤの人々は、イエス様のみことばによって信じたが、ガリラヤではイエス様のしるしによって信じる人達が多かった。しかし、みことばを信じている人にこそ、神の力としての奇跡が起こされるのである。私達の信仰は何につながっているか顧みよう。

 

■結論

「この方がほんとうに世の救い主だ」と人々が告白するためにイエス様は地上に来られた。みことばを通して、救い主に出会い、信じる人が起こされるよう祈ろう。

4:39 さて、その町のサマリヤ人のうち多くの者が、
「あの方は、私がしたこと全部を私に言った。」
と証言したその女のことばによってイエスを信じた。

4:40 そこで、サマリヤ人たちはイエスのところに来たとき、
自分たちのところに滞在してくださるように願った。
そこでイエスは二日間そこに滞在された。

4:41 そして、さらに多くの人々が、イエスのことばによって信じた。

4:42 そして彼らはその女に言った。
「もう私たちは、あなたが話したことによって信じているのではありません。
自分で聞いて、この方がほんとうに世の救い主だと知っているのです。」

4:43 さて、二日の後、イエスはここを去って、ガリラヤへ行かれた。

4:44 イエスご自身が、「預言者は自分の故郷では尊ばれない。」
と証言しておられたからである。

4:45 そういうわけで、イエスがガリラヤに行かれたとき、
ガリラヤ人はイエスを歓迎した。彼らも祭りに行っていたので、
イエスが祭りの間にエルサレムでなさったすべてのことを見ていたからである。