聖書 ヨハネの福音書32236
3:22 その後、イエスは弟子たちと、ユダヤの地に行き、
彼らとともにそこに滞在して、バプテスマを授けておられた。

3:23 一方ヨハネもサリムに近いアイノンでバプテスマを授けていた。そこには水が多かったからである。
人々は次々にやって来て、バプテスマを受けていた。

3:24 ――ヨハネは、まだ投獄されていなかったからである。――

3:25 それで、ヨハネの弟子たちが、あるユダヤ人ときよめについて論議した。

3:26 彼らはヨハネのところに来て言った。「先生。見てください。
ヨルダンの向こう岸であなたといっしょにいて、あなたが証言なさったあの方が、バプテスマを授けておられます。
そして、みなあの方のほうへ行きます。」

本日の講壇

 

聖書箇所 ヨハネの福音書32236

説教題  『花婿の声を聞く喜び』

■序論

神様はひとりの御子イエス・キリストを与えるほどに私達を愛して下さっている(16節)。すでにこの愛を受けている教会は、イエス・キリストの花嫁の集まりである。

 

1、水のバプテスマを受ける喜び(2224節)

人は水と御霊によって生まれなければ神の国に入ることはできない(5節)。イエス・キリストと弟子達はユダヤの地に滞在し、福音を伝え、バプテスマを授けた。ただ、バプテスマを授けていたのは弟子達だった(42)。イエス・キリストは聖霊のバプテスマを授けるお方なので、水のバプテスマを授ける権威と奉仕を弟子達に委ねられた。一方、ヨハネはサマリヤ地方に近い地に滞在し、福音を伝え、水のバプテスマを授けていた。人々は次々にやってきて、バプテスマを受けた。水のバプテスマはイエス・キリストを信じ、神のこどもとされたことを確信する喜びである。

 

2、花婿の引き立て役になる喜び1920節)

ヨハネの弟子達はユダヤ人ときよめについて議論した(25節)当時ヨハネはまだ投獄されていなかったが、イエス・キリストが宣教を開始することによって、ヨハネの弟子は減り、イエス・キリストの方へ行く者達がいた。ヨハネはそのことを弟子に指摘されても、何の妬みや怒りもなく、むしろ当然のこととして捉えていた。それは彼に与えられた権威も使命も神様からのものと信じていたからである。ヨハネのように、花婿なるイエス・キリストの僕に徹することが、きよめの証である。「私に与えられた全てのものは主のものです、主が使って下さい」と喜んで告白しよう。

 

3、聖霊のバプテスマを受ける喜び(3136節)

イエス・キリストは神の国を語り、この地上に神の国を実現するために来られた(31節)。しかし、地上に住む者は地上の価値観で生きているので、それを受け入れない。しかし、聖霊のバプテスマを受ける者は、イエス・キリストが天から来られた唯一の救い主であることを信じることができる。そして、すでに内住の聖霊を与えられたクリスチャンによって、神の国は広がっていく。全ての人がこの良き知らせを信じ、受け入れるために、私達に何ができるか。聖霊の力に満たされて、喜んで伝えることである。御父、御子、御霊の権威の恵みと力を受けて宣教に遣わされよう。

 

■結論

花婿なるイエス・キリストは、今日も花嫁がご自分のもとに来るのを待っておられる。水と御霊によって新しく生まれ、花婿なるキリストの御声に喜んで聞き従おう。