聖書箇所 ローマ人への手紙12章3~15節 説教題 『いっしょに喜び、いっしょに泣こう』 ■序論 教会は主の恵みを分かち合うことが本来の姿である。イエス様が私達を愛し、苦しみの時も寄り添って下さったように、私達も隣人にとってそのようでありたい。 1、礼拝者こそ謙遜になる(3~5節) ローマ12章冒頭では霊的な礼拝の勧めをしている。礼拝は人間に許された最高の献身である。本来罪人である私達は、神様の御前に出られなかったが、イエス様の十字架の血潮によって罪赦され、聖められ、礼拝者して神様の御栄光を現わすことが許された。礼拝の中心は神様であり、礼拝者は神様のことばと愛によって、御心にかなう姿へと変えられていく。そして礼拝者は恵みを受けて、謙遜になり、また新たに派遣されて行く。礼拝を通して、教会は神様の恵みを共有し、使命のために一致が与えられる。今日も神様を礼拝することができることを心から喜ぼう。 2、謙遜になってこそ奉仕者となる(6~8節) 礼拝は私達を謙遜にし、神様と隣人に仕える奉仕者として整える。クリスチャンにはそれぞれに賜物が与えられている。その賜物を自分の売名行為や他人を見下すために使っていては本末転倒である。与えられた賜物は、神様と隣人のために用いてこそ、御栄光が現わされる。愛と謙遜さがなければ、せっかくの賜物が宝の持ち腐れとなる。自分のしたいことをするのが奉仕ではなく、神様と隣人に仕えることこそが奉仕である。被災地のボランティアにはまさにその姿勢が求められる。イエス様の姿に倣い、謙遜になり、仕えるために与えられた賜物を用いよう。 3、奉仕者こそ共有する(9~15節) 礼拝者、奉仕者、共有者が教会とクリスチャンの姿である。自己中心では人と共有することができない。たとえ良いことをしていても、その動機において、自分のためにしているのか、相手のためにしているのかはいつも問われることである。私利私欲から解放され、兄弟愛、勤勉さ、聖霊に燃え、主に仕えること、患難に耐えて祈り励むことを求めていこう。喜びだけではなく、苦しみを共有することが神の家族の分かち合いである。イエス様につらなる一つの体なのだから、喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣くことによって、分かち合う教会の原点に戻ろう。 ■結論 イエス様の愛と謙遜を実行することによって、教会は神様の栄光を現わしていく。主に与えられた愛と賜物を喜んで分かち合うために、今週も遣わされよう。 |