聖書箇所 ヨハネの福音書1章35~51節 説教題 『私の主イエス・キリスト』 ■序論 ヨハネは「世の罪を取り除く神の子羊」イエス・キリストを伝えた。人を救うのは神様にしかできない。「私の主イエス・キリスト」が全人類の救い主だと確信しよう。 1、ヨハネの弟子からイエス様の弟子へ(35~39節) ヨハネはヨルダン川でバプテスマを授ける傍らで弟子も育てていた。彼は弟子達に「神の子羊」であるイエス様を示した。二人の弟子はイエス様についていった。それはヨハネが口先だけではなく、彼の生き方そのものがイエス様の方を向いていたからである。彼は自分の弟子がイエス様の弟子になることを望んでいた。イエス様はついてきた二人に「何を求めているのですか」と尋ね、彼らの求道心を御覧になった。イエス様と出会い、従う決心をする時が新しい人生の始まりである。私達も人生の残された時間を、悔いのないようにイエス様の弟子として共に過ごそう。 2、アンデレからペテロへ(40~42節) 二人の弟子のうち、一人はシモン・ペテロの兄弟アンデレである。もう一人のことは何も記していないが著者ヨハネ本人と思われる。彼らはヨハネから水のバプテスマを受け、今度は聖霊のバプテスマを授けるイエス様の弟子として従った。アンデレは預言されたメシヤと出会ったことを兄に対して告白した。伝道の基本はまず家族である。イエス様はシモンに新しい名前を与えた。やがて彼が「岩」のような人に変えられることを御存知だったからである。主はどんな人も新しく造り変え、御計画に用いられる。主が造り変えて下さることを信じてまず家族に伝道しよう。 3、ピリポからナタナエルへ(43~51節) イエス様はピリポに声をかけ、彼も弟子となった。ピリポはナタナエルに、イエス様を紹介した。しかし彼の返答はつれないものだった。イエス様はナタナエルを叱らず責めず、彼こそ本当のイスラエル人だと認めた。その人の欠点を指摘するだけでは伝道は進まない。イエス様はナタナエルがどこで何をしていたかを言い当てた。彼はすぐにイエス様を主と告白した。しかしイエス様の弟子となる彼の人生は、もっと大きなことを見ると示唆された。イエス様は天の窓を開き、天と地をつなぐ主となられた。イエス様を信じる時に私達に新しい世界が開かれると信じよう。 ■結論 伝道の書3:11聖霊が働かれるには時がある。ヨハネ、アンデレ、ピリポのように「私の主イエス・キリスト」を紹介しよう。 |