牧野 信次 牧師


略歴

1938年(昭和13年)1月26日 富山市に生まれる。
             終戦1ヶ月前に富山大空襲を体験。

1956年3月 富山県立富山高校卒業

1960年3月 慶應義塾大学経済学部卒業、20歳で受洗、3年間都市銀行に勤務。

1967年3月 青山学院大学大学院文学研究科(聖書神学専攻)卒業

1967年から1970年 日本基督教団美竹教会(渋谷)副牧師

1971年より3年間
 
ドイツ留学(ヴッパータール神学大、ゲッティンゲン大学で
               旧約学、実践神学を学ぶ)
         帰国後、
町田市鶴川にて開拓伝道

以後、2008年3月まで、鶴川北教会主任担任教師、その間、

青山学院大学、農村伝道神学校で現在も講師を勤める


2009年1月 上星川教会主任担任教師に就任。
         フェリス女学院大学オープン・カレッジ講師



                    
        

      焼き場に立つ少年」

                     牧野 信次

 1月3日()の朝日新聞に「ローマ法王『これが戦争の結果』」という
見出しで、1枚の写真と記事が掲載され、私は驚きの思いをもって読
んだ。ローマ法王庁が昨年末、教会関係者に向けて、1945年に原
爆投下を受けた直後の長崎で撮影された写真入りのカードを配布し、
そこには「亡くなった弟を背負い、火葬の順番を待つ少年。少年の悲
しみはかみしめられて血のにじんだ唇に表れている。」とスペイン語で
説明されているという。フランシスコ法王が配布を命じたもので、年末
にそのようなカードを配布するのは異例で、「核なき世界」を訴えてき
た法王が出した強いメッセージと受け止められているとのこと。

 私は随分以前に東京渋谷の写真展でアメリカの海兵隊従軍カメラ
マンのジョー・オダネル(1922~2007)が1945年の終戦直後に広島、
長崎をはじめ各地の空襲による被災状況を記録した幾つもの写真を見
た。その中に「焼き場に立つ少年」があり、初めて見た時は「これはどん
な状況なのだろうか」と思いながら、その写真をじっと見続けていた。写
真が撮られた状況を知り、私自身の被災経験が甦り、なんともいえぬ悲
哀の感情を抱き、忘れえぬ出来事となったのである。この度、「神様の
ファインダー—元米従軍カメラマンの遺産」((写真)ジョー・オダネル、
(編者)坂井貴美子、2017年8月9日発行、いのちのことば社フォレスト
ブックス)という著書を頂き、あの時の状況が次のように書かれていること
を知った。「少年は焼き場のふちに5分か10分も立っていたでしょうか。
白いマスクの男たちがおもむろに近づいて赤ん坊を受け取り、ゆっくりと
葬るように、焼き場の熱い灰の上に横たえました。・・・・・それからまばゆ
いほどの炎がさっと舞い上がり、真っ赤な夕日のような炎が、直立不動の
少年のまだあどけない頬を赤く照らしました。・・・・・夕日のような炎が鎮ま
ると、少年はくるりときびすを返し、沈黙のまま焼き場を去っていきました。」
死者への記憶の責務を強く教えられている。



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