09年 6月 7日
「十字架の血潮によるきよめ」
ヘブル人への手紙 9章11〜15節
人はあらゆるものを管理する大切なお役目の担い神と共に生きるはずだったのに、
罪に支配され神との関係が断絶し自分の意のままに生きるようになってしまいました。
このような生き方が何世代にも渡って受け継がれてきたので、
私たちは自分本意に生きることを幸せだと思ってしまいます。
このような人間のために、イエスは十字架で死に血を流されました。
イスラエルの民がエジプトから脱出し砂漠で生活していた時、礼拝のための
テントを作り、あらゆる罪を動物や収穫物を供えて赦していただきました。
中の奥まった部屋では年に一度、大祭司が血や灰を持って入り罪を贖う儀式
をしました。 テントは幕屋、奥まった部屋は至聖所といい、それらは今、
信じる者の心の中にあります。
イエスが十字架で流された血は、有効期間が一年の儀式と違い永遠に不滅です。
私たちはそれを信じるだけで血潮のきよめにあずかり、
日々のいたらなさも血潮によってきよめられ続けます。
聖書のことばが体験や感情を納得させるほど深い神の愛だと知る時、
心の幕屋に蓄えられた知識は至聖所に入り、誰に強いられることがなくても、
神の愛を実践したいと思う者に変えられていきます。
自分本意に生きることより幸せです。
(KT)
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