07年 4月 1日
「十字架に架かられたキリストの御期待」
マルコの福音書 15章22〜32節
訴えられた時には権利を主張し、自分の立場を弁護する。
また自分の善悪に関わらず他人から責められたら、自分の
正当性を主張する。これがこの世の普通の慣わしである。
この世の生活の中ではそれも必要ではあろうが、それによって
対立も生まれるものだ。しかしクリスチャンは「ののしられても
ののしり返さず、苦しめられても、おどすことを」しないようにと
戒められている。すべては「正しくさばかれる方ーすなわち神―に」
任せよと命じられている。打たれる必要のない鞭を打たれ、
架かる必要のない十字架にお架かりになった方がいる。
それが神(キリスト)ご自身であると聖書は教えている。
この方の十字架を覚える時、クリスチャンのこの世での歩みは
確かなものになるのだ。