祝福の家

 

12月24日 祝福の家(571)


   クリスマス;キリストの誕生は、あなたがたのため
 きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。(ルカ 2:11)

クリスマスは、キリストの誕生をお祝いする日です。そして、キリストの誕生の最高の目的は、あなたがたに益をもたらすことだと、御使いが語りました。旧約聖書のキリスト預言でも「ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる」と語られています。
では、キリストの誕生でもたらされる個人的な益とはいったい何でしょうか。この答えには、高さ、広さ、長さ、深さがあります。そして、この答えの新しい理解、新しい発見、新しい気づきが、その人を内側から変え、発想とことばと行動と姿勢を変えていきます。そればかりではなく、家庭を変え、社会を変え、国家を変え、時代を変えていきます。事実、過去2000年の歴史でそれが証明されてきました。
今、私たちの番です。心の目に天からの新しい光が差し込み、羊飼いたちと共に、喜びあふれていくのです。

12月17日 祝福の家(570)


      神は私たちとともにおられる:インマヌエル
 
クリスマスは、天の神からたくさんの祝福がぎっしり詰まった贈物が送られてきた、特別な時です。神のあらゆる祝福が、主イエスを通して、この罪の世界にやって来ています。
御使いは、ヨセフにこう語りました。「マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」
キリストを自分の罪からの救い主として受け取った人々は、数々の祝福を受けて、次々に変えられていく、驚きと喜びの世界に入った人々です。そして、信仰を働かせて、神の愛の高さ、深さ、広さ、と真理の世界の驚嘆すべき数々に触れて、新鮮さを保ち続けていきます。ハレルヤ。
そして、このような祝福は、聖霊によってもたらされる祝福です。信仰を働かせて前進する人々は、まさしく畑の中に隠された宝を発見して、興奮と驚嘆した人々のように、主イエスについて行った弟子たちのようにされていきます。ハレルヤ。

12月10日 祝福の家(569)


この王たちの時代に、天の神は一つの国を起こされます。その国は永遠に滅ぼされることがなく、その国は他の民に渡されず、かえってこれらの国々をことごとく打ち砕いて、絶滅してしまいます。しかし、この国は永遠に立ち続けます。
(ダニエル 2:44)
イエスさまの誕生によって、世界の歴史は、二つに分けられています。B.C.=before Christ・キリスト以前A.D=anno Domini(ラテン語)・私たちの主〔キリストの支配〕の年という意味です。クリスマスの知らせを伝えた御使いは、こう言いました。「きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。(ルカ 2:11)」
また、異邦人に公に福音を伝えたとき、ペテロはこう言いました。「神はイエス・キリストによって、平和を宣べ伝え…このイエス・キリストはすべての人の主です。(使徒10:36)」
 このキリストの支配は現実であり、拡大し、威光を増し加え、クライマックスに達します。私たちはその特権に預かっている証人です。支配の手段は、神のことばと聖霊と教会です。

12月3日 祝福の家(568)


      キリストの打ち立てる永遠の王国
この王たちの時代に、天の神は一つの国を起こされます。その国は永遠に滅ぼされることがなく、その国は他の民に渡されず、かえってこれらの国々をことごとく打ち砕いて、絶滅してしまいます。しかし、この国は永遠に立ち続けます。
(ダニエル 2:44) 
ルカ 1:33 彼はとこしえにヤコブの家を治め、その国は終わることがありません。」
エペ 1:14 聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証であられます。これは神の民の贖いのためであり、神の栄光がほめたたえられるためです。
2テサ 1:5 このことは、あなたがたを神の国にふさわしい者とするため、神の正しいさばきを示すしるしであって、あなたがたが苦しみを受けているのは、この神の国のためです。
黙 11:15 第七の御使いがラッパを吹き鳴らした。すると、天に大きな声々が起こって言った。「この世の国は私たちの主およびそのキリストのものとなった。主は永遠に支配される。」

11月5日 祝福の家(564)


       神の子どもとされている特権を豊かに味わう

マタ 5:9 平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです。
ロマ 8:14 神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。
ロマ 8:16 私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともに、あかししてくださいます。
ガラ 3:26 あなたがたはみな、キリスト・イエスに対する信仰によって、神の子どもです。
ピリ 2:15 それは、あなたがたが、非難されるところのない純真な者となり、また、曲がった邪悪な世代の中にあって傷のない神の子どもとなり、
1ヨ 3:1 私たちが神の子どもと呼ばれるために、――事実、いま私たちは神の子どもです。――御父はどんなにすばらしい愛を与えてくださったことでしょう。世が私たちを知らないのは、御父を知らないからです。
1ヨ 3:2 愛する者たち。私たちは、今すでに神の子どもです。後の状態はまだ明らかにされていません。しかし、キリストが現われたなら、私たちはキリストに似た者となることがわかっています。なぜならそのとき、私たちはキリストのありのままの姿を見るからです。
1ヨ 3:10 そのことによって、神の子どもと悪魔の子どもとの区別がはっきりします。義を行なわない者はだれも、神から出た者ではありません。兄弟を愛さない者もそうです。
1ヨ 5:2 私たちが神を愛してその命令を守るなら、そのことによって、私たちが神の子どもたちを愛していることがわかります。

10月29日 祝福の家(563)

私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。(ロ-マ 1:16)

聖書が福音によって示す救いは、極めて重要なものです。なぜなら、救いをいただいていない人は、聖書によれば、悲惨な結末が待っているからです。
福音とは、聖書にあらかじめ約束されているキリストが中心の喜びの知らせです。キリストが、この世に来られ、サタンの支配、罪と死と永遠の滅びの定めの中に置かれていた私たちを含めた全人類のために、身代わりに十字架についてさばきを受け、死からよみがえって、死と悪魔に決定的勝利を収めました。
この歴史的な事実に基づいて、キリストを信じて、キリストの主権の中に入った人々が救われた人々です。
救いは、このようにして始まりますが、イエスさまが種まきのたとえで教えたように、救いの成長の過程があり、次に実を結んでいく段階があります。これは、救いの三つの時制(過去、現在、未来)で表わされています。
悔い改めて自分の罪を認め告白し、イエスさまを自分の救い主として信じて受け入れて、救いが始まります。過去ある時点で、救われました。
次に、法的に救われた私たちが、悪い日々の行い、考え方、習慣、からきよめられて、また、悪しき者から救われて成長し続けるのが、現在の継続的な救いです。自分の自己評価ではなく、イエスさまとの関係の強化、深化という木が成長していくのです。
最後が、主イエスさまの再臨の時の救い、からだの贖いです。

10月22日 祝福の家(562)

        今の重要な時を意識する
 神は言われます。「わたしは、恵みの時にあなたに答え、救いの日にあなたを助けた。」確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。(2コリント 6:2)
この後、私は見た。四人の御使いが地の四隅に立って、地の四方の風を堅く押え、地にも海にもどんな木にも、吹きつけないようにしていた。また私は見た。もうひとりの御使いが、生ける神の印を持って、日の出るほうから上って来た。彼は、地をも海をもそこなう権威を与えられた四人の御使いたちに、大声で叫んで言った。「私たちが神のしもべたちの額に印を押してしまうまで、地にも海にも木にも害を与えてはいけない。」
(黙示録7:1-3)

聖書の光に照らし合わせてこの時代を見ていくことは、とても重要なことです。なぜなら、聖書の預言は、すべて成就してきただけでなく、これから起こると聖書に預言されいることが私たちの前で実現しているからです。
1. 今は恵みの時、今は救いの日です。どんな人々も、神の国に入ることができるように、主イエスさまが十字架の上て、身代わりの血を流して、贖いの代価を支払ってくださったからです。世界の諸国で、今この時もたくさんの人々が救われています。
2. 魂の救いのために、祈りと叫びがなされ、神がそれに答えて、天から聖霊を注いでくださっています。
3. 戸が閉じられるとき、恵みの時は終了し、罪と不義に対して、神の御怒りが下されることが預言されています。
ですから、目を覚まして、時を生かして、主の御前に立つ日を意識して祈りに励みましょう。

10月8日 祝福の家(560)


            信仰の本質
 イエスは彼らに言われた。「来なさい。そうすればわかります。」
(ヨハネ 1:39)
神の御子イエス・キリストは、世の光として来たこと、御父によって遣わされた目的を地上でで果たし終えて、御父の栄光を現わしたことを聖書は語っています。そして、このイエスを、主として信じた人々には、永遠のいのちが与えられ、この人々は、神の子どもとなってイエスについて行く聖なる運命と特権を与えられています。そのカギが、信仰です。
 栄光の神の世界を明らかにするヨハネの福音書で、主イエスの最初の招き、最初の勧めが「来なさい。そうすればわかります。」です。探究するでも、知識を集めることでも、善行を積むことでもなく、ただ、イエスのいる所に「来なさい。」です。ここでは、信仰が求められます。信仰の従順、信仰に伴う行動が求められいます。そして、そうする人へ約束がなされています。「そうすればわかります。」
 信じて行動することで、後から理解がついてきます。行動する前には思いもしなかった栄光の世界、祝福の世界が開かれるのです。

10月1日 祝福の家(559)


   確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。
 今日から10月です。2017年度も後半に入りました。神の恵みの豊かな世界が、また新しく開かれようとしています。
 2コリント6:2―神は言われます。「わたしは、恵みの時にあなたに答え、救いの日にあなたを助けた。」は、今の私たちの生きている時代について語っています。神の壮大な救いの計画の中で、キリストの十字架の贖いによって、天国への門が大きく開かれているときであり、恵みの御霊が豊かに注がれている時代、神の臨在が大きく現われる時代です。「救いの日」と平行的に述べられており、たくさんの人々が救いの中に入る時代です。
 この時代の後に、さばきの時、主の復讐の日、主の御怒りの日として、聖書が語っているときが来ます。
 ちょうど、ノアの大洪水のときのようです。
ですから、神のことばに照らされながら、主の御前に歩み続けていきましょう。みことば、祈り、教会生活を重んじ、神の御前に立つ日を意識しながら、機会を用いてあかしに励みましょう。

9月24日 祝福の家(558)


   聖書は、神のことばで、唯一無比の権威を持っている書
聖書はすべて、神の霊感による
聖書の霊感の事実
なぜなら、預言は決して人間の意志によってもたらされたのではなく、聖霊に動かされた人たちが、神からのことばを語ったのだからです。(2ペテロ1:21)
神が、聖霊によって、ダビデの口を通して語った
あなたは、聖霊によって、あなたのしもべであり私たちの先祖であるダビデの口を通して、こう言われました。『なぜ異邦人たちは騒ぎ立ち、もろもろの民はむなしいことを計るのか。(使徒 4:25)
この事実から、
聖書の預言は、全部実現する。特にキリストの十字架と復活は成就し、今は、聖霊の注ぎが継続中であり、やがて、主は再臨される。だから、良くみことばを学び、暗記し、告白する必要がある。
聖書を正しい心、へりくだった心で読む人に、神は語りかけてくださる。その結果、知恵、導き、助け、助言、覚醒、きよめ、慰め、励まし、預言などを受けて、神の人になっていく。
今週も、みことばを読み、学び、黙想し、実践していきましょう。

9月10日 祝福の家(557)


          「みことばを口ずさむ祝福」
みことばを口ずさむことには、大きな祝福があります。この真理を理解し、日々実行する人は、この祝福を体験し続け、神との親しい関係、神の臨在の中での歩みを体験していきます。

霊的成長
詩 1:2 まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。

信仰の戦いでの勝利と征服・相続
ヨシュ 1:8 この律法の書を、あなたの口から離さず、昼も夜もそれを口ずさまなければならない。そのうちにしるされているすべてのことを守り行なうためである。そうすれば、あなたのすることで繁栄し、また栄えることができるからである。

霊的楽しみ
詩 35:28 私の舌はあなたの義とあなたの誉れを日夜、口ずさむことでしょう。

9月3日 祝福の家(556)


  いのちのことばをしっかり握って、彼らの間で世の光として輝くためです。(ピリピ 2:16)

 神のことばは、いのちのことばとして表現されています。それは、神の与えるいのち、死を打ち破ったキリストのいのち、永遠のいのちが湧き出ている種類のみことばだからです。
 このような性質を持つことばは、聖書の中以外に見つけることはできません。天の御国をもたらすのが「いのちのことば」です。
ちょうど上流から新鮮な水が流れて、乾燥した砂漠のような地域にいのちを持って来るように、この世という砂漠の中に住む私たちは、霊的ないのちをもたらすみことばを学び、理解し、味わい、そのすばらしさに感動し続けることによって、世の感化から守られ、世のもたらす滅びの性質から神の性質を与えられた者への自覚がつよまって行きます。
ですから、こう勧められています。
 キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。(コロサイ 3:16)
生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。(1ペテロ 2:2)

8月27日 祝福の家(555)


イエスさまが私たちのために用意しておられる住まい

わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。…あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。
(ヨハネ 14:2)

過酷な自然界、ストレスの満ちた社会の中で、「愛と平安と喜び」のあふれる「家」「住まい」の中にいることは、何という祝福でしょう。巨大な洪水の時に、ノアとその家族が、神の指示され、自分たちが造った「箱舟」という「家」「住まい」の中で経験したことの一部を、キリストの中にいる私たちは経験しています。そして、主の日には、その最終的かつ究極的な幸いを味わうのです。ハレルヤ。

驚くべき真理は、そのキリストの栄光の現われの日までに、この地上で「キリストと共に住む」「キリストの用意された場所、立場」を経験していく、天的な特権を与えられていることです。

「キリストが内に住む」「聖霊が内側に住む」という聖句は、この事実を示しています。
こうしてキリストが、あなたがたの信仰によって、あなたがたの心のうちに住んでいてくださいますように。(エペソ 3:17)
けれども、もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、あなたがたは肉の中にではなく、御霊の中にいるのです。(ロマ 8:9)

8月20日 祝福の家(554)


聖徒たちの永遠の状態
もはや夜がない。神である主が彼らを照らされるので、彼らにはともしびの光も太陽の光もいらない。彼らは永遠に王である。
(黙示録 22:5)

聖書を通して、キリストの救いのもたらす聖徒たちの究極の姿を心に焼き付けることは、何とすばらしく、内側を満たすことでしょう。使徒ヨハネが「私たちはキリストに似た者となる」(1ヨハネ3:2)と語ったことがわかると、どれほど心を掻き立てることでしょう。
聖徒たちの輝きは、聖徒たちの永遠の状態として聖書の中に出ています。
 思慮深い人々は大空の輝きのように輝き、多くの者を義とした者は、世々限りなく、星のようになる。(ダニ 12:3)
 そのとき、正しい者たちは、天の父の御国で太陽のように輝きます。耳のある者は聞きなさい。(マタ 13:43)
 花嫁は、光り輝く、きよい麻布の衣を着ることを許された。その麻布とは、聖徒たちの正しい行ないである。」(黙示録19:8)
そして、この輝きはすべて、主イエスの栄光の輝きの反映です。
 そして彼らの目の前で、御姿が変わり、御顔は太陽のように輝き、御衣は光のように白くなった。(マタ 17:2)
 その途中、正午ごろ、王よ、私は天からの光を見ました。それは太陽よりも明るく輝いて、私と同行者たちとの回りを照らしたのです。(使徒 26:13)
そして、この輝きは、今、聖徒たちのもので、活用できるのです。
 「光が、やみの中から輝き出よ。」と言われた神は、私たちの心を照らし、キリストの御顔にある神の栄光を知る知識を輝かせてくださったのです。(2コリント 4:6)

8月6日 祝福の家(552)


夏のうちに食物を確保

蟻には首領もつかさも支配者もいないが、夏のうちに食物を確保し、刈り入れ時に食糧を集める。(箴言箴 6:7-8)
肉体の鍛練もいくらかは有益ですが、今のいのちと未来のいのちが約束されている敬虔は、すべてに有益です。(1テモ 4:8)
また、まことのいのちを得るために、未来に備えて良い基礎を自分自身のために築き上げるように。(1テモ 6:19)

神の愛の手紙である聖書は、主イエスを信じるもの私たちのために知恵を得るように、知恵に基づいた生き方に励むように勧めています。
イソップ物語のアリとキリギリスの物語で有名ですが、その前に、旧約聖書で夏の暑い日々は、「蟻から学ぶ」ように私たちを励ましています。
その霊的な意義は、「まことのいのちを得るために、未来に備えて良い基礎を自分自身のために築き上げる」ことです。キリストによる救いを体験していなければ、目先のこと、目に見えることがすべてであるかのように錯覚させられます。また、世は、あらゆる方法で「今の楽しさ、今の理解、今の話題」に集中させようとしています。
しかし、罪のこの世は、まもなく終わり、神の国が永遠に確立されることを、聖書は繰り返し強調しています。
神の救いの計画は今、この時も進展しています。主イエスは、今も、私たちのために取り成しの祈りをしています。主イエスの十字架で勝ち取られた救いとまことのいのちの光に日々新しく照らされて、神に向かって前進するように、自分を振るい立たせましょう。

7月30日祝福の家(551)  

天を思うキリスト者の生き方
 
私たちはこの幕屋にあってうめき、この天から与えられる住まいを着たいと望んでいます。(2コリント 5:2)
 しかし、事実、彼らは、さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれていたのです。それゆえ、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。事実、神は彼らのために都を用意しておられました。(ヘブル 11:16)

天を思う思いは、生まれ変わって神の子どもとされたことの重要なしるしの一つです。救われる前、霊的に生まれ変わる前は、地上のことしか考えることできず、思いも地上のことだけでした。しかし、神によって生まれた人は、アブラハムがそうであったように、天の故郷に目を向けていくように内側が変えられていくのに気づいてきます。
天を思う思いは、地上の生活を無視したり、軽んじることではありません。地上での生活は、天に向かう準備であり。天での報いを確かにするものです。地上でしかなすことのできない務めがあり、その務めを与えられたタラントを用いて活かしながら励んで行きます。神の目的を推進し、神の栄光を輝かせ、地上で自分の身を通してキリストのすばらしさが現されるように、努力、工夫、改善を図っていきます。
天を思う生活と地上での諸々の務めとの中で覚える葛藤が「この幕屋にあってうめき」と述べられています。このうめきは、高い山頂を目指して登山している登山家が、途中で一息入れる時に発する息にも似ています。そして、そのような崇高な意識は、信仰者の内側に住む聖霊の発する、天的なうめきでもあります。

それは、たとい私がおそくなったばあいでも、神の家でどのように行動すべきかを、あなたが知っておくためです。神の家とは生ける神の教会のことであり、その教会は、真理の柱また土台です。
(1テモテ 3:15)
 あなたがたは、真理に従うことによって、たましいを清め、偽りのない兄弟愛を抱くようになったのですから、互いに心から熱く愛し合いなさい。(1ペテロ 1:22)

7月23日祝福の家(550)   

キリストに再臨に関する聖句  聖徒たちは変えられる

1コリ 15:51 聞きなさい。私はあなたがたに奥義を告げましょう。私たちはみなが眠ってしまうのではなく、みな変えられるのです。
1コリ 15:52 終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。

ピリ 3:20 けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。
ピリ 3:21 キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。

1テサ 4:16 主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、
1テサ 4:17 次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。

1ヨ 3:2 愛する者たち。私たちは、今すでに神の子どもです。後の状態はまだ明らかにされていません。しかし、キリストが現われたなら、私たちはキリストに似た者となることがわかっています。なぜならそのとき、私たちはキリストのありのままの姿を見るからです

7月16日祝福の家(549)  

最高のテーマ  キリストの愛
人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように。こうして、神ご自身の満ち満ちたさまにまで、あなたがたが満たされますように。(エペソ 3:19)
私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。(ローマ 8:38-39)

人生は旅になぞられます。キリストの救いを知って人生が新しくされた人には、この旅は、神の愛、キリストの愛の高さ、深さ、広さを体験し続ける旅でとして理解することができます。神が愛の神であり、あらゆる良きものを備えておられると聖書は断言しています。信仰をもって、この神に近づき、神に語りかけ、神のみことばによって、神のことばを愛のことばとして受け取る人生は、なんとすばらしいことでしょう。
「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。ヨハネ 15:9)」
主イエスさまの愛の力の源は、父なる神の愛を豊かに受け続けたことでした。そして、その愛を弟子たちに現わしました。使徒ヨハネは、この愛を体験し続けて、信仰の深みに進み、主イエスの愛を伝えました。私たちも、このキリストの愛を豊かに受けて、受け続けて、変えられていく旅を続けていきましょう。
 こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。(1コリント 13:13)

2017年7月9日  祝福の家(548)

真理についての真理

 神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。(1テモテ2:4)

イエスは答えられた。「わたしが王であることは、あなたが言うとおりです。わたしは、真理のあかしをするために生まれ、このことのために世に来たのです。真理に属する者はみな、わたしの声に聞き従います。(ヨハネ 18:37)

 しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導き入れます。御霊は自分から語るのではなく、聞くままを話し、また、やがて起ころうとしていることをあなたがたに示すからです。(ヨハネ 16:13)

 真理によって彼らを聖め別ってください。あなたのみことばは真理です。(ヨハネ 17:17)

まさしく真理はイエスにあるのですから。(エペソ4:21b)

それは、たとい私がおそくなったばあいでも、神の家でどのように行動すべきかを、あなたが知っておくためです。神の家とは生ける神の教会のことであり、その教会は、真理の柱また土台です。
(1テモテ 3:15)
 あなたがたは、真理に従うことによって、たましいを清め、偽りのない兄弟愛を抱くようになったのですから、互いに心から熱く愛し合いなさい。(1ペテロ 1:22)

2017年7月2日  祝福の家(547)


 主のことばの急成長
こうして、主のことばは驚くほど広まり、ますます力強くなって行った。(使徒 19:20)

使徒の働きに特徴的にでてくる表現は、「主のみことばは、‥広まって行った。」です。

使徒 6:7 こうして神のことばは、ますます広まって行き、エルサレムで、弟子の数が非常にふえて行った。そして、多くの祭司たちが次々に信仰にはいった。
使徒 12:24 主のみことばは、ますます盛んになり、広まって行った。
使徒 13:49 こうして 、主のみことばは、この地方全体に広まった。
使徒 19:20 こうして、主のことばは驚くほど広まり、ますます力強くなって行った。

神さまの最大の関心も一つは、神のことばが広がる事です。それによって、人々の思いが真の神に向けられ、神のみことばによってもたらされる、神の救い、神の祝福、神の栄光に全地が輝くようになるためです。まさしくこう語られている通りです。
すると主は私に仰せられた。「よく見たものだ。わたしのことばを実現しようと、わたしは見張っているからだ。」(エレ 1:12)
ですから、私たちは、神のことばに密着し、みことばにとどまり、みことばを広めるために用いられるように励みましょう。

2017年6月25日 祝福の家(546)

 聖霊のもたらす一致と一体感
 これを聞いた人々はみな、心を一つにして、神に向かい、声を上げて言った。「主よ。あなたは天と地と海とその中のすべてのものを造られた方です。       (使徒 4:24)
 信じた者の群れは、心と思いを一つにして、だれひとりその持ち物を自分のものと言わず、すべてを共有にしていた。
(使徒 4:32)
 
使徒の働きの重要な主題の一つは、聖霊なる神の公の登場です。この聖霊は、主イエスの地上でのミニストリーの際には、主イエス御自身にのみ臨在されました。しかし、ペンテコステ以来、聖霊はキリストの教会に臨在されます。しかも、教会建てあげと教会による福音宣教推進のために、ささげていく神の民に臨在を強化されます。
 この聖霊なる神の働きの一つは、キリストの証人としての力を付与することでした。また、更なる宣教前進をもたらすために、きよめの働きをすることです。そして、教会の中で一致を造り、一致を保つことです。御霊はこのようにして、生きているキリストの栄光が輝くようになるために、人間の生まれつきの罪の性質を、神の性質に取り換えることをしてきます。
 神への情熱、神中心の一致、自己中心からの解放の思いが神の民の思いを浸すようにして、地上で見えるキリストを示していっています。今も聖霊は、そうしておられます。

2017年6月18日 祝福の家(545) 

世界に広まる神のことば
使徒 6:7 こうして神のことばは、ますます広まって行き、エルサレムで、弟子の数が非常にふえて行った。そして、多くの祭司たちが次々に信仰にはいった。
使徒 12:24 主のみことばは、ますます盛んになり、広まって行った。
使徒 13:49 こうして 、主のみことばは、この地方全体に広まった。
使徒 19:20 こうして、主のことばは驚くほど広まり、ますます力強くなって行った。
神のことばの広まりが、使徒の働きでの主要なテーマです。神の関心は、神のみことばがより広く宣べつたえられ、みことばそれ自体が持っている力が発揮されていくことです。
 主と主のみことばに忠実な教会は、この目的からずれません。なぜなら、その背後に、みことばを成し遂げつづけておられる、神の計画、神の熱心があるからです。こう書かれている通りです。「主は、みことばを完全に、しかも敏速に、地上に成し遂げられる。」(ロマ 9:28)
 ですから、私たちは、みことばの力、みことばの権威、みことばの甘さ、みことばの厳粛さを日々新しく受けて、主に会う備えをしていきましょう。
みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。(2テモ 4:2)

2017年6月11日 祝福の家(544)

信仰生活、教会生活の4原則 

そして、彼らは使徒たちの教えを堅く守り、交わりをし、パンを裂き、祈りをしていた。(使徒 2:42)

「使徒の働き」には、私たちの信仰生活、教会生活にとってとても大切な原則が書かれています。
約束された聖霊によるバプテスマを待ち望んでいた弟子たちは、「この人たちは、婦人たちやイエスの母マリヤ、およびイエスの兄弟たちとともに、みな心を合わせ、祈りに専念していた。」(使徒 1:14)
 これとまったく同じ表現が、上記の使徒 2:42に出てきています。120人の弟子たちの上に聖霊が臨み、ペテロの説教によって「罪を悔い改めて、この曲がった時代から救われた。」3000人が弟子たちに加えられました。
そして、この人々が励み続けたことが4つあり、「使徒たちの教えを堅く守り、交わりをし、パンを裂き、祈り」として記されています。
1.使徒たちの教え
2.交わり
3.パンを裂くこと
4.祈り
使徒たちの教えとは、使徒たちがイエスさまから直接受けた教えであり、イエスさまの働きと教えたことがあります。一言でいえば、キリストの弟子になり、キリストの弟子を造る事による宣教拡大です。この大目的のために、他の3つがあります。

2017年6月4日 祝福の家(543)

           「すると突然」:二つの反応
 すると突然、天から、激しい風が吹いてくるような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。(使徒 2:2)
「すると突然」という表現は、地震の時に使われる表現です。聖書では、それだけでなく、神の直接介入の場面に使われる表現です。誰も予想しないときに、まったく意外な形で神が歴史に、人間の生活場面の突入するのです。期待して待っていた人たちには、待ち焦がれていた喜びのときであり、そうでない人々には、悲劇、取り返しのつかない惨事です。神はそうなさる御方です。
  あなたがたの心が、放蕩や深酒やこの世の煩いのために沈み込んでいるところに、その日がわなのように、突然あなたがたに臨むことのないように、よく気をつけていなさい。(ルカ 21:34)
 ところが、道を進んで行って、ダマスコの近くまで来たとき、突然、天からの光が彼を巡り照らした。(使徒 9:3)
すると突然、主の御使いが現われ、光が牢を照らした。御使いはペテロのわき腹をたたいて彼を起こし、「急いで立ち上がりなさい。」と言った。すると、鎖が彼の手から落ちた。(使徒 12:7)
人々が「平和だ。安全だ。」と言っているそのようなときに、突如として滅びが彼らに襲いかかります。ちょうど妊婦に産みの苦しみが臨むようなもので、それをのがれることは決してできません。(1テサ 5:3)
キリストを信じて、聖霊降臨を待ち望んでいた120人の弟子たちいとっては、期待していた突然でした。
キリストの再臨のとき、このようにしている者たちは幸いです。

2017年5月14日 祝福の家(540) 

 聖霊と聖霊の働きを知り、体験する祝福
 わたしは潤いのない地に水を注ぎ、かわいた地に豊かな流れを注ぎ、わたしの霊をあなたのすえに、わたしの祝福をあなたの子孫に注ごう。(イザヤ44:3)
 クリスチャンにとって、極めて重要な事は、聖書の真理、とりわけ、キリストに関する真理、救いに関する真理、聖霊に関する真理を知ること、体験することです。これらの真理に照らされて歩む人は、神からのいのちと力、神のご性質を注がれ続けて、喜びと希望が内側から溢れてくるのを体験していきます。
ここでは、聖霊に関する真理に注目します。聖書は、聖霊が預言者たちに語ったものを書いたものであると、聖書が語っています。ですから、私たちが聖書を読む時に、既に、聖霊の働きかけを受け取っているのです。これが聖書の霊感と言われている、聖書を他の本と絶対的に区別している特質です。
 また、主イエスは、聖霊による油注ぎを受けて、キリストとの称号を受けました。ヘブル語でのメシヤ、ギリシャ語でのキリストは、日本語で直訳すると「油注がれた御方」の意味になります。
また、クリスチャン:キリスト者とは、(使徒 11:26)キリストに従う者という意味で、原語的には、油注がれた御方について行く人、キリストに結合した者で、必然的に、油注ぎを密接な関係を持っている人を指しています。
弟子たちへのキリストの最後の約束が聖霊を与えることでした。このことは、バプテスマのヨハネのことば、「その方は、あなたがたに聖霊と火とのバプテスマをお授けになります。」(ルカ 3:16)、そして、主イエスさま御自身のことば「わたしが父のもとから遣わす助け主、すなわち父から出る真理の御霊が来るとき、その御霊がわたしについてあかしします。」(ヨハネ 15:26)からも明らかです。そして、よみがえったときに、弟子たちにしたことでした。「彼らに息を吹きかけて言われた。『聖霊を受けなさい。』」(ヨハネ 20:22)

イエスの弟子たちは、聖霊が彼らの上に臨む約束を与えられて、それを受けることに集中しました。「ヨハネは水でバプテスマを授けたが、もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです。」(使徒1:5)「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」(使徒 1:8)                                             
2017年1月29日 祝福の家(525)

祝福と聖霊の注ぎ
 わたしは潤いのない地に水を注ぎ、かわいた地に豊かな流れを注ぎ、わたしの霊をあなたのすえに、わたしの祝福をあなたの子孫に注ごう。(イザヤ 44:3)

私たちの父なる神は、天地創造の神でり、祝福の神です。事実、二度にわたって「祝福に満ちた神」と表現されています。
1テモ 1:11 祝福に満ちた神の、栄光の福音によれば、こうなのであって、私はその福音をゆだねられたのです。
1テモ 6:15 その現われを、神はご自分の良しとする時に示してくださいます。神は祝福に満ちた唯一の主権者、王の王、主の主、

この神の祝福は、聖霊と極めて密接な関係があります。「わたしの霊をあなたのすえに、わたしの祝福をあなたの子孫に注ごう。(イザヤ 44:3)」と約束されている通り、また、主なるキリストが十字架、呪いの木に掛けられた目的がこう語られています。
このことは、アブラハムへの祝福が、キリスト・イエスによって異邦人に及ぶためであり、その結果、私たちが信仰によって約束の御霊(直訳:御霊の約束)を受けるためなのです。(ガラ 3:14)
聖霊は、キリストの信じている私たちの中に住んでおられます。そして、御霊の約束のスケールは途方もなくすばらしいスケールのものです。注目すべきは、この御霊が私たちに、また私たちを通しての神の用意された祝福の現われを切望しているのです。感じ取りましょう。そして、信仰を働かせて、受け取り、進みましょう。

2017年1月22日 祝福の家(524)

栄光の領域への召しと、その自覚と実行のための聖霊、信仰

 どうか、私たちの主イエス・キリストの神、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、あなたがたに与えてくださいますように。また、あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、あなたがたが知ることができますように。
(エペソ 1:17-18)

私たちが、救い主キリストを信じ、キリストを人生の主、まことの王として心に迎えたときから、私たちは超自然的な町域の中に入りました。すなわち、暗やみの圧制、サタンの支配から、御子の御支配、キリストを王とする天の御国の中に移されました。手紙では、「キリストにあって」、「御子にあって」と表現されている世界です。それと同時に、私たちの心の中にキリストが入ってくださり、これまでの人生とは違い、キリストが心に住む人生とさせていただきました。ハレルヤ。これが新しい誕生です。すばらしいことは、天の父なる神は、この私たちのために、目もくらむような祝福を用意していることです。このことを私たちに教えており、その世界をもっと深く体験するように招いているのが新約聖書の手紙、特にエペソ人への手紙です。ですから、聖霊によって心の目がもっと開かれるように祈り、期待して信仰を働かせましょう。
聖霊は、生まれつきの世界ではわからない、罪の赦しによって開かれた世界を体験させ、もっともっと高い領域に、キリストの栄光の輝きに案内してくださいます。信仰を働かせ、前進しましょう。

2017年1月15日 祝福の家(523)

信仰から信仰に進む聖徒たち

 信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。(ヘブル 11:6)

聖書は、信仰者のために存在価値があります。聖書を通して神の語りかけを聞き、信仰の決断をして、キリストに従う人生に入りました。信仰から始まったクリスチャン人生は、信仰から信仰に進む聖なる定めの中に置かれています。みことばを学び、黙想しながら霊的な栄養を取り、キリストの教えと働きに思いと考え、行動が感化されて、キリストへの従順を通してキリストの愛をもっと深く体験する旅の中に入れられています。
そして、信仰は、始めの信仰から、どんどん成長し、キリストの持っている意識を持ち、キリストの働きをし、キリストのからだなる教会を建て上げるために用いられることを喜びとするようになっていく性質のものです。
これらの成長を通して、ぶどうの木であるキリストの枝として、実を豊かに結んで行くようになるのが健全な姿です。
信じる者たちに、栄光の神は驚嘆するような世界を用意していること、信じる者たちに、神の偉大な力が働き、家族、地域、社会、国家さえも変えていくように、神は計画していることを聖書は語っています。前進、また前進、新鮮、またもっと新鮮な信仰の歩みは、生きている信仰の健全な姿です。信仰は、途中で変質したり、後退したり、破船したりすることもあると聖書は語っています。
信仰の最重要性を意識し、神にもっと近づき、神に大いなることを期待して、新しい一歩を踏み出しましょう。

2017年1月8日 祝福の家(522)

礼拝に関する真理を探り、真の礼拝者として歩む

 「わたしの造る新しい天と新しい地が、わたしの前にいつまでも続くように、――主の御告げ。――あなたがたの子孫と、あなたがたの名もいつまでも続く。毎月の新月の祭りに、毎週の安息日に、すべての人が、わたしの前に礼拝に来る。」と主は仰せられる。(イザヤ66:22-23)

永遠に続く新しい天と新しい地での光景が、預言者イザヤによって明らかにされています。そこには、「毎月の新月の祭りに、毎週の安息日に、すべての人が、わたしの前に礼拝に来る」と語られており、礼拝の雰囲気が新しい世界全体を包んでいるかのようです。
また、キリストの苦難と栄光を預言している詩篇22篇では、「地の果て果てもみな、思い起こし、主に帰って来るでしょう。また、国々の民もみな、あなたの御前で伏し拝みましょう。」(詩 22:27)と書かれており、キリストの十字架と復活の働きによってもたらされる全世界的な礼拝の様子が預言されています。
私たちの礼拝も、この線に沿ってなされている事を、天の御父は御使いとともに見ておられます。そして、聖書的視点では、預言の成就の過程の一つの絵です。
礼拝は、万物の創造主であり支配者なる神、罪の贖い主なりキリストに対して人間の為すことの許された最高の働きです。
礼拝で私たちは神をあがめ、もてなし、讃えます。礼拝を通して天の御国の世界と通じ、その響きと輝きを受取ります。

2016年12月25日 

クリスマス・インビテーション礼拝  2016年12月25日

1. 御使いの語ったメッセージ(ルカ2:10-12)
 御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。あなたがは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。
2. 天使たちの軍団の賛美(ルカ2:13-14)
すると、たちまち、その御使いといっしょに、多くの天の軍勢が現われて、神を賛美して言った。「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」
3. 羊飼いたちの応答(ルカ2:15-20)
御使いたちが彼らを離れて天に帰ったとき、羊飼いたちは互いに話し合った。「さあ、ベツレヘムに行って、主が私たちに知らせてくださったこの出来事を見て来よう。」そして急いで行って、マリヤとヨセフと、飼葉おけに寝ておられるみどりごとを捜し当てた。それを見たとき、羊飼いたちは、この幼子について告げられたことを知らせた。それを聞いた人たちはみな、羊飼いの話したことに驚いた。しかしマリヤは、これらのことをすべて心に納めて、思いを巡らしていた。羊飼いたちは、見聞きしたことが、全部御使いの話のとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。
【質問】
なぜ、神さまは天使に羊飼いたちに現わさせてキリストの誕生を告げ、天の軍団の歌を聞かせたのでしょうか。

羊飼いたちと私たちとに、どんな共通点があるでしょうか。

神さまが飼い葉桶のキリストを探し当てて戻って来たときの羊飼いたちの喜びと同じようなレベルの喜びを用意しているとしたら、どんな方法で受ける事ができると思いますか。

2016年12月11日 祝福の家(519)

聖徒たちに与えられた神の約束

――この福音は、神がその預言者たちを通して、聖書において前から約束されたもので、御子に関することです。御子は、肉によればダビデの子孫として生まれ、聖い御霊によれば、死者の中からの復活により、大能によって公に神の御子として示された方、私たちの主イエス・キリストです。
(ロマ 1:2-4)
クリスマスは、神の約束された救い主が生まれたことをお祝いする祭りです。神の約束は、実に輝かしいものであり、それらの約束はすべて、主イエス・キリストを通して私たちのものとなるものです。ハレルヤ。
 これらの約束は、使徒パウロによって、「キリストの測りがたい富」(エペソ3:9)と表現されたものです。そして、それを理解するために、私たちはこのように祈られています。
「また、あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、あなたがたが知ることができますように。」(エペソ 1:18-19)
すなわち、人間が生まれながらで理解できる栄光の富ではなく、聖霊によって心が照らされて始めてわかる種類の性質の富です。クリスマスに登場する救い主を歓迎し、礼拝する人々は、神の啓示の光を受け、天使の御告げを受けて、始めてそのような理解の立場に置かれました。
ですから、このクリスマス、私たちのために生まれたキリストを与えたくださった神の数々の約束を数え上げて、栄光の主イエス・キリストを心から礼拝しましょう。
黙 5:12 彼らは大声で言った。「ほふられた小羊は、力と、富と、知恵と、勢いと、誉れと、栄光と、賛美を受けるにふさわしい方です。」

2016年12月4日 祝福の家(518)

主が預言者を通して言われた事が成就するため

マタ 1:22 このすべての出来事は、主が預言者を通して言われた事が成就するためであった。
マタ 2:5 彼らは王に言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者によってこう書かれているからです。
マタ 2:15 ヘロデが死ぬまでそこにいた。これは、主が預言者を通して、「わたしはエジプトから、わたしの子を呼び出した。」と言われた事が成就するためであった。
マタ 2:17 そのとき、預言者エレミヤを通して言われた事が成就した。
マタ 2:23 そして、ナザレという町に行って住んだ。これは預言者たちを通して「この方はナザレ人と呼ばれる。」と言われた事が成就するためであった。
主なるキリスト、王の王なるキリストの誕生が、世界の歴史をキリスト以前と以後とに分けました。そのように偉大なキリストが生まれたこと、その誕生にまつわるいろいろな出来事は、「預言が成就した。」という繰り返し出て来る表現によって、著者マタイによって強調されています。
このキリストを信じ、心の中に、人生の中に、王さまとして迎え入れ、この御方に従って歩むことで、私たちは、人生の軸を神の支える台の上に置いています。
聖書の神は、壮大な救いの計画を立てて、その諸部分を旧約の預言者たちを通して、全人類に語ってきました。そして、この神のみことばを信じて、神に喜ばれるように歩む生き方を主イエスは教え、聖霊によってそれが実行できるように恵みを与え続けておられます。この偉大な王は、イエスさまを信じる私たちを内側から変え続けて、王として働きを継続しておられます。そして、多くの人々がこの王によって罪の中から救われるために私たちを用いてくださいます。


2016年11月20日 祝福の家(516)


           キリストの十字架の力
しかし私には、私たちの主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものが決してあってはなりません。この十字架によって、世界は私に対して十字架につけられ、私も世界に対して十字架につけられたのです。
(ガラ 6:14)
キリストの十字架には、この世の知らない特別な世界があります。

十字架の中には健康がある
十字架の中にはいのちがある
十字架の中には敵からの防衛がある
十字架の中には天国の甘さがある
十字架の中には心の強さがある
十字架の中には御霊の喜びがある
十字架の中には徳の高さがある
十字架の中には聖さの完全さがある
十字架以外には、魂の健康も、永遠のいのちの希望もない。
トマス・ア・ケンピス 15世紀の神学者

このすばらしさを発見し、繰り返し体験していくのが、主イエスに従って歩む聖徒たちの歩みです。この種の知識と体験は、誠実に神を求め、主を愛して従っていく信仰者のものです。ここに天の御国の宝が隠されています。
信仰生活は、キリストの十字架から始まり、キリストの十字架のもたらす祝福の世界に踏み込み、キリストの十字架をともに体験していく、天国に向かって進む旅です。ハレルヤ。

2016年11月13日 祝福の家(515)

神のことばの力

聖書の中で、神のことばは、さまざまなものにたとえられています。
1. みことばの乳(1ペテロ2:2) 乳飲み子にとって、乳寄り大切な食べ物、飲み物は、他にありません。ただ、乳を飲み続けるだけで、成長していきます。そして、その成長のしるしは、もっと乳を飲むようになることです。それによって、更に、成長が著しくなってきます。同様に、クリスチャンは成長するために、聖なる義務としてみことばを読み、みことばを書き、みことばを口に出していく習慣を身につけていきます。最初は難しいように思われても、気づくと、他のどんなものにも勝る楽しみと喜びを神のことばの中に発見していきます。
2. 種(マタイ13章の種蒔きのたとえ)聖書の世界の中では、豊かな実を結ぶ木としてオリーブの木が有名です。数千年の樹齢のオリーブの木は、莫大な富をもたらします。そのように、神のことばを心という土地の中に迎え、忠実さと忍耐とをもってみことばから教えられ、みことばを口にしていく人は、豊かな実を結び、神の栄光のために大きく用いられていきます。一粒の種から、大森林が生まれていきます。私達はそのような存在です。愛、喜び、平安、親切、寛容、忍耐、誠実さなど、キリストの品性の実が結ばれてきます。
3. みことばの剣(エペソ6:17)みことばの剣は、短刀のような剣です。この罪の世の中では、サタンの惑わし、誘惑、攻撃、目くらましなど、日常的にあります。みことばを用いることで、勝利から勝利に進むことができます。敵は、あなたが神のことばを用いることを恐れています。ですから、神のことばから引き離すために必死の努力や策略をめぐらしています。しかし、私たちが、神のことばを発するとき、敵は逃げ去るだけです。みことばの剣を健全に、また、効果的に用いるために、体力、訓練、戦いの方法を身につける学びが続きます。

2016年11月6日 神の子どもとなる特権

神の子どもとなる特権  
 しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。
(ヨハネ 1:12-13)

1. 主イエス・キリストを心の王座に迎え入れ、主イエスを自分の神、救い主として信じるものは、 誰でも、どこででも、いつでも、神の子どもになる特権を与えられる。
2. 神の子どもになる特権を与えられた人びとは、神のいのちを内側に与えられたた。自分の生まれ育ち、過去の行為や業績、能力や地位とは、まったく無関係に、神による誕生を体験している。この点で、生まれながらの身分とは全く異なる種類の、永遠のいのちを持つ身分をいただいている。
3. 神の子どもになる特権は、無限にある。(例)
A) 天地を創造した栄光の神、あらゆる祝福の源の神が、天のお父さまになる。
B) 神の用意した栄光から栄光に至る運命に置かれている。
C) 良い働きをするために創造され、良い働きが既に準備されている。
D) 神の栄光を輝かせるために、特別な能力が次第に現わされてくる。
E) 祈りの力を体験する。
F) 神のことば、聖書を深く味わい、教え、励ましと助けと導き、警告を受ける。
G) キリストに中にある宝を発見する旅に出発する。
H) 人々や社会に、良い影響を与え、世の光として輝く人生となる。
I) 人生の戦い、苦闘、困難も、やがてはすべて益になることを体験する。
J) 人生の圧倒的な勝利者となり、子孫や、関係する人々に祝福をもたらす。
K) キリストに似ていく、また、そのような人々に囲まれて天国への旅をする。

適用
1. 神の子どもになる。神の子どもであることを確認する。
2. 神の子どもとして、特権を良く知り、その特権を楽しみ味わう。
3. 他の人々が神の子どもになるように、キリストを伝え、自分の体験を分かち合う。

 


2016年10月30日 神の家族に加えられる祝福

神の家族に加えられる祝福  
A.神は家族を重んじ、祝福する。
創 7:1 主はノアに仰せられた。「あなたとあなたの全家族とは、箱舟にはいりなさい。あなたがこの時代にあって、わたしの前に正しいのを、わたしが見たからである。
創 18:19 わたしが彼を選び出したのは、彼がその子らと、彼の後の家族とに命じて主の道を守らせ、正義と公正とを行なわせるため、主が、アブラハムについて約束したことを、彼の上に成就するためである。」
B.キリストを信じたものは、新しく生まれ、神の子どもになり、神の家族に加えられる。
1ヨ 4:7 愛する者たち。私たちは、互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛のある者はみな神から生まれ、神を知っています。
1ヨ 5:1 イエスがキリストであると信じる者はだれでも、神によって生まれたのです。生んでくださった方を愛する者はだれでも、その方によって生まれた者をも愛します。
エペ 2:19 こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、今は聖徒たちと同じ国民であり、神の家族なのです。
C.将来の栄光は、神の家族の中での親密さ、慰め、喜びとして預言されている。
イザ 66:12 主はこう仰せられる。「見よ。わたしは川のように繁栄を彼女に与え、あふれる流れのように国々の富を与える。あなたがたは乳を飲み、わきに抱かれ、ひざの上でかわいがられる。13 母に慰められる者のように、わたしはあなたがたを慰め、エルサレムであなたがたは慰められる。
黙 22:4 神の御顔を仰ぎ見る。また、彼らの額には神の名がついている。5 もはや夜がない。神である主が彼らを照らされるので、彼らにはともしびの光も太陽の光もいらない。彼らは永遠に王である。
適用
神の子どもとされていることを聖霊によって体験し、神との関係を深めよう
ロマ 8:15 あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、「アバ、父。」と呼びます。
神の家族のメンバーらしく、互いに愛し、尊敬し、仕え、建て上げていきましょう。
神の家族の使命を自覚し、神の祝福を持ち運びましょう。

 

2016年10月23日 ことばにしがたい救いの喜び 



                 市ヶ尾キリスト教会牧師 白畑 司

A.キリストによる救いは、罪の赦しによる救い
 イエスについては、預言者たちもみな、この方を信じる者はだれでも、その名によって罪の赦しが受けられる、とあかししています。」(使徒 10:43)

B.救いの喜びは、ことばに言い表わしがたいレベルの喜び
あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、いま見てはいないけれども信じており、ことばに尽くすことのできない、栄えに満ちた喜びにおどっています。これは、信仰の結果である、たましいの救いを得ているからです。(1ペテロ1:8-9)

C.救いの喜びは、価値観、人生観をまったく新しくする喜び
 天の御国は、畑に隠された宝のようなものです。人はその宝を見つけると、それを隠しておいて、大喜びで帰り、持ち物を全部売り払ってその畑を買います。(マタイ 13:44)

適用
1. 罪の恐ろしさを知り、御子イエスさまの血による救いを受け入れて、救いの偉大さをより深く体験する。
2. 救いの偉大さを味わうことで、人生観が根底から変わる体験をする。

2016年10月16日 天の御国の盛大な祝宴に



              市ヶ尾キリスト教会牧師 白畑 司

A.天地を創造された神は、聖書を通して、天の御国の盛大な祝宴あらかじめ語っている。
B.本当にキリストを信じる人々は、この招きに答え、また、この招きをする役割を果たしている
C.あなたは、真の神から、この祝宴に招かれている。信じ、応答するだけで、祝宴に入る資格を即座に与えられる
Q&A
1.多くの人々が、この招きを知らないで滅びの道を歩んでいるのは、知らせる人々がいないからである。
2.世の終わりのこの時代、世界中で無数の人々が、天の御国の祝宴に殺到している。特に、今は、アフリカ諸国、中国、南米の人々
3.天の御国の祝宴は、きよい栄光輝く御国であり、罪のない聖なる人々だけが、入る事が出来る。罪なき神の小羊イエスさまが私たちの身代わりに十字架で血を流してくださったので、イエスを信じるものは、誰でもすべての罪が洗いきよめられて、聖なる御国の祝宴に入る事が許される。
D.結論:あなたも主イエスを信じて、天の御国の祝宴を味わうものとなりましょう。

結論:今が、救いの時です。

2016年10月9日 盛大な宴会への招待


              市ヶ尾キリスト教会牧師 白畑 司

1. 王による盛大な宴会への招待の事実を知る
  するとイエスはこう言われた。「ある人が盛大な宴会を催し、大ぜいの人を招いた。宴会の時刻になったのでしもべをやり、招いておいた人々に、『さあ、おいでください。もうすっかり、用意ができましたから。』と言わせた。(ルカ 14:16-17)
2. 盛大な宴会は、完成した天の御国の至福を表わしている。
また、私は大群衆の声、大水の音、激しい雷鳴のようなものが、こう言うのを聞いた。「ハレルヤ。万物の支配者である、われらの神である主は王となられた。私たちは喜び楽しみ、神をほめたたえよう。小羊の婚姻の時が来て、花嫁はその用意ができたのだから。花嫁は、光り輝く、きよい麻布の衣を着ることを許された。その麻布とは、聖徒たちの正しい行ないである。」御使いは私に「小羊の婚宴に招かれた者は幸いだ、と書きなさい。」と言い、また、「これは神の真実のことばです。」と言った。(黙示録19:6-9)
3. 神の招きに応答する人は誰でも盛大な宴会、天国に入る資格を与えられる。
 またあなたがたも、キリストにあって、真理のことば、すなわちあなたがたも救いの証印を押されます。(エペソ1:13)
結論:今が、救いの時です。
ふたりは、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」と言った。(使徒 16:31)

2016年10月2日 祝福の家(510)


         盛大な宴会への招きのたとえ

するとイエスはこう言われた。「ある人が盛大な宴会を催し、大ぜいの人を招いた。宴会の時刻になったのでしもべをやり、招いておいた人々に、『さあ、おいでください。もうすっかり、用意ができましたから。』と言わせた。(ルカ 14:16-17)

世界中で、これまで見られなかった勢いで神の国に入る人々、クリスチャンになる人々が起こされています。20世紀になって、アフリカ諸国には、キリスト教国になっている国々も多くあります。まさしく、預言者イザヤがみた幻の通りのことが、現実に起こっています。

「終わりの日に、主の家の山は、山々の頂に堅く立ち、丘々よりもそびえ立ち、すべての国々がそこに流れて来る。多くの民が来て言う。「さあ、主の山、ヤコブの神の家に上ろう。主はご自分の道を、私たちに教えてくださる。私たちはその小道を歩もう。」それは、シオンからみおしえが出、エルサレムから主のことばが出るからだ。
(イザヤ 2:2-3)

「今は、恵みの時、救いの日です」。目覚めたクリスチャン、教会は、この偉大なっ出来事に目を注ぎ、人々が偉大なキリストの血による救い、罪の赦しをいただく特権、栄光の天の御国に入る資格をより大勢の人々が受けるために、用いられるように祈り、賢い生き方をしましょう。

2016年9月25日 祝福の家(509)


    クリスチャンは、罪から解放されて神の奴隷となった

  しかし今は、罪から解放されて神の奴隷となり、聖潔に至る実を得たのです。その行き着く所は永遠のいのちです。(ロマ 6:22)
 
 キリストを信じてキリストに従う人生に入った人には、数々の特権が与えられています。過去・現在・未来の視点から見ると、こうなります。
過去:罪・サタン・死の支配する領域と罪に対する裁きの宣告から解放されました。この事実を使徒ヨハネは、「新しく生まれる」と表現しています。
現在:罪の感化や影響、束縛から解放されて自由になり、罪に対して、断固として「NO」という力と権威が与えられています。もはや罪の奴隷ではなく、そこから解放されているのです。
未来:罪の存在から完全に解放されます。その時には、よみがえられた主イエスとまったく同じ姿、栄光のからだに変えられます。
これらの変化と特権のすべては、私たち一人ひとりの罪のために主イエスさまが身代わりに死んでくださった事実に基づいています。そして、これらの事実を実際的に体験させてくれるのが、信じる人の内側に住んでいる聖霊なる神です。ハレルヤ。
ですから、キリストを信じ礼拝し従う私たちは、いつも、聖霊さまに心を開き、内側が満たされるように祈っていくのです。また、いつも喜び、絶えず祈り、すべてに感謝することをライフスタイルにして継続的に満たされて、神のしもべ(奴隷)として、神を愛し神がどんな時も一番となるように励んでいくのです。

2016年9月18日 祝福の家(508)


             真理の力

キリストによってもたらされた福音は、真理を明らかに示す福音です。ですから、福音を信じて真理の光が輝く世界の中に招き入れられた私たちは、「真理」に対して、とても敏感になってきます。
事実、「真理のことば」と「救いの福音」は同じこととしてこう述べられています。「またあなたがたも、キリストにあって、真理のことば、すなわちあなたがたの救いの福音を聞き、またそれを信じたことによって、約束の聖霊をもって証印を押されました。」(エペソ 1:13)真理を知る喜び、真理に照らされる体験が、ここで「約束の聖霊をもって証印を押されました。」と語られています。
主イエスさまが、十字架につく前の祈りの個所でこう祈られました。「真理によって彼らを聖め別ってください。あなたのみことばは真理です。わたしは、彼らのため、わたし自身を聖め別ちます。彼ら自身も真理によって聖め別たれるためです。」(ヨハネ 17:17-18)
ここで、「真理」は、聖る働きをすると主は語りました。真理を知り、真理の中を歩み続ける人は、聖くされていくことを主イエスは良く知っておられました。
使徒パウロは、「神の家とは生ける神の教会のことであり、その教会は、真理の柱また土台です。」(1テモテ3:15)と述べています。

ですから、私たちは、真理を大事しに、真理から離れていく時代の中で、みことばをよく読み、良く学び、真理によってますますきよめられていきましょう。

2016年9月4日 祝福の家(506)


           神によって生まれる幸い

しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。(ヨハネ 1:12-13)

聖書は、キリストを信じ人について、実に驚くべき真理を明らかにしています。「この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。」
ここで語られていることは、「肉の欲求や人の意欲」として述べられている、地上的な人間の活動のレベルをまったく超越しています。「神によって生まれた」とは、起源が神にあることを意味しています。神による誕生、神からのいのちを受けての誕生です。
ですから、キリストを信じた人は、生まれつきの性質とは全く異なる天的な性質、神の性質を帯びたいのちを与えられています。
主イエスは、老齢の尊敬された学者ニコデモにこう言われました。「肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。」(ヨハネ 3:6)
ここでの「肉」「霊」は、原文では冠詞が付いておらず、性質を表わしています。つまり、御霊によって生まれた者は霊的性質を持っていると語っているのです。
御霊に関わる新しい世界への誕生、新しい性質を与えられた誕生、新しい目的、新しい使命、新しい関係への誕生です。

2016年8月28日 祝福の家(505)


         みことば、イエス、聖霊の注ぎ

神はイエス・キリストによって、平和を宣べ伝え、イスラエルの子孫にみことばをお送りになりました。このイエス・キリストはすべての人の主です。(使徒 10:36)

使徒ペテロのこのことばに、偉大な救い、栄光に輝く神の備えてくださった恵みが、凝縮して語られています。
話題の中心は、イエス・キリストです。この御方こそ、あらゆるものの中心です。聖書の中心、歴史の中心、権威の中心、支配の中心、栄光の中心、神学の中心、生活の中心、結婚の中心、家庭の中心、働きの中心です。
そして、それを背後で支持しているのが、「神は~した」「神は~している」「神は~する」、という、神の救いの計画と実行です。

 これらの聖なる働きを証言しているのが聖書です。聖書がなければ、誰も神を健全に知ることができません。ましてや、神の用意されている栄光の祝福の世界に入ってくることは不可能です。
 聖書のメッセージが、生けるキリストの福音を頂点にして新鮮に語られる時、聖書記者たちは「みことば」という言い方をします。
 そして、このキリストが浮かび出てくるみことば語られる時、聖霊が働き、肉的な覆いが取り除かれて、私たちは、生ける神のいのちの喜びを体験していきます。ハレルヤ。

2016年8月21日 祝福の家(504)


          種まき、成長、結実、神の栄光(祝宴)

 わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。(ヨハネ 15:5)
 あなたがたが多くの実を結び、わたしの弟子となることによって、わたしの父は栄光をお受けになるのです。(ヨハネ 15:8)

暑い毎日が続きますが、植物にとっては、成長のためにとても大切な季節です。太陽から来るエネルギーを吸収して、細胞増殖が激しく展開し、外側に成長した姿を見せてくれているからです。

いのちあるものは、必ず成長していきます。キリストを信じた私たちには永遠のいのちが与えられていますので、永遠の成長が約束されています。

この成長は、天の父なる神さまの立てた計画の中で、「種まき、成長、結実、神の栄光(祝宴)」と展開されていく過程での重要な段階です。

神のみことばを初めて信じ、主イエスさまを自分の罪からの救い主として信じて、私たちの心という畑に、神の種が蒔かれました。そして、日々、聖書を読み、祈りをし、教会に集い、神との交わりを深めることで、霊的ないのちが成長し続けています。

霊的ないのちとは、神との関係のいのちです。神意識が強まり、神との関係が深まり、神だけが満たしてくれる部分のいのちです。神への渇きは、霊的ないのちを持っている人だけが体験します。そして、神との交わり、神との語らいによって、この霊的ないのちが成長し、神のための熱心さ、神から来る大胆さ、神の栄光を思う熱心さを生み出していきます。

2016年8月14日 祝福の家(503)


            夏のうちにすべきこと

 1コリ 1:30 しかしあなたがたは、神によってキリスト・イエスのうちにあるのです。キリストは、私たちにとって、神の知恵となり、また、義と聖めと、贖いとになられました。

箴 6:6 なまけ者よ。蟻のところへ行き、そのやり方を見て、知恵を得よ。
箴 6:7 蟻には首領もつかさも支配者もいないが、
箴 6:8 夏のうちに食物を確保し、刈り入れ時に食糧を集める。

 キリストの中に移された私たちは、主キリストから知恵をいただきます。そして、もっともっと知恵に満たされて、キリストの知恵が私たちの中から流れていくことを信じ、期待して祈っています。
  聖書の中には、ヨセフ、ソロモン、ダニエルのような、抜きんでた知恵者が出て来ます。そして、彼らの中には神の霊が宿っていました。聖霊に満たされていたので、神の知恵が湧き上がって来て、一見つまらないような状況、人間の目には逆境を、それらの知恵を用いて、新しい扉の開かれる入り口に変えました。
 上から来るこの様な知恵は、あなたや私にも与えられることを聖書は約束しています。(箴言1章他)
ここですべての人が問われている問題は、上からの知恵、御霊の知恵を、本気でなって切に求めているか、それとも付き合い的に求めているか、です。
神が与えてくださった霊は、恐れの霊ではなく、「力と愛と慎み(健全さ・自己訓練)」の霊です。聖書を黙想し、祈り、御霊との交わり、聖書の学びと研究に心を砕き、見えない部分である基礎部分、内なる人を強固にしていくことに励んでいきましょう。用いられる機会がそこで待っているのですから、みことばを口に出して、声に出して、祈りで用いて、霊的倉庫に食糧を貯めていきましょう。

2016年8月7日 祝福の家(502)


        神のことばとキリストのことばの重み

あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種からであり、生ける、いつまでも変わることのない、神のことばによるのです。
(1ペテロ 1:23)
 まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです。(ヨハネ 5:24)
この天地は滅びます。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。(マルコ 13:31)

聖書は、生ける神のことばであり、神がその内容に責任を取ってくださる性質のものです。ですから、まことの神をもっと親しく知りたいと願う人、生ける神の語りかけを聞きたいと願う人は、聖書を読み、聖書を学び、聖書を通して語りかける神の御声を大事にします。
 聖書自体が、神のことばであることを宣言しています。時代の風雪による過酷なテストを受けて、今でも現代社会に、悩める個人に、これから起こることに関心を向ける人々に、信頼できることばとして、神御自身が語りかけておられます。

聖書のことばが心に深く入ってくるとき、内なる人は喜び、心の底から歓喜の泉が湧き出て来ることもあります。警告を受けて、罪から離れる機会も与えられます。将来について、個人的な預言も受けることもあります。ですから、目先の楽しみ、激動の世界、内外でささやく滅びと破滅の濁流に翻弄されやすい私たちは、毎日、主の前に出て、神からの個人的な語りかけをいただきましょう。

2016年7月31日 祝福の家(501)


          神と親しく歩む人生の幸い
神を恐れる者たちに、神は秘密を知らせてくださる
(詩篇25:14別訳)

キリストを信じて、神の子どもとなったどの人も、神の子どもであるゆえに、大胆に神に近づき、神に求める特権を与えられています。
この特権を大いに活用して神の恵みの御座に近づくか、そうしないかは、それぞれの信仰にかかっています。信仰を働かせることは、自分の意思に関係しています。そして、あえて、神に近づくことに心を傾ける人々、神と近く歩む、神と親しく交わる祝福を与えられます。ハレルヤ。
使徒ヨハネは、こう語っています。「私たちの見たこと、聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたも私たちと交わりを持つようになるためです。私たちの交わりとは、御父および御子イエス・キリストとの交わりです。私たちがこれらのことを書き送るのは、私たちの喜びが全ものとなるためです。」
神と親しく歩むことが、神との交わりの一つの姿です。神との交わりは、御子イエスとの交わりとも、聖霊との交わりとも、表現されます。
使徒たちは、神と親しく歩んだことで、最高レベルの人々でした。だからこそ、私たちがこの使徒たちが持っている性質の神と交わりに招かれています。この交わりの結果が、「喜びが全ものとなる」と語られています。
また、更に言うならば、神御自身、御子御自身、聖霊御自身が、私たちとの交わりを望んでおられ、神のみことばに耳を開き、期待して主の御前に来るように、内側に働きかけておられます。まさしく、「神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。」(ロマ 8:14)と書かれている通りです。御霊に心を開き、従いましょう。



2016年7月24日 祝福の家(500)


          いのちの水の川
 御使いはまた、私に水晶のように光るいのちの水の川を見せた。それは神と小羊との御座から出て、都の大通りの中央を流れていた。川の両岸には、いのちの木があって、十二種の実がなり、毎月、実ができた。また、その木の葉は諸国の民をいやした。(黙示録 22:1-2)

川は、聖書の中では特別な意味で用いられています。創世記の最初のエデンの園から、4つの川が流れていました。全地を潤すためです。
そして、聖書の最後の書物である黙示録の21章には、神の都の中に流れる「いのちの水の川」についての書かれています。
私たちにとって、今の世界で、より重要なことは、生ける水を流れさせてくださるという約束を現実的に味わい、楽しむことです。
「わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」(ヨハネ 7:38)この流れの実体は、「これは、イエスを信じる者が後になってから受ける御霊のことを言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊はまだ注がれていなかったからである。」(ヨハネ7:39)と、あえて明示されています。聖霊が、イエスを主と告白する人々の心に住んで、地上で天国の川の流れを体験させてくださる、との約束です。
神無き世界は、砂漠のような世界であり、心から湧き上がる喜びを与えてくれるものはありません。人の心には、神でなければ満たすことのできない部分があるからです。しかし、主イエスさまは、十字架につき、よみがえって天の御座に座しておられ、そこから、信じる私たちの心に聖霊を注いでくださっています。ハレルヤ。
この聖霊の継続的な注ぎによって、「荒野は果樹園」となり、喜びと楽しみがあふれて、追いかけてくる人生に変えられているのです。主イエスを求め、聖霊の満たしをもっと求め続けていきましょう。

2016年7月17日 祝福の家(499)

       キリストの再臨とその備え
そのとき、人々は、人の子が力と輝かしい栄光を帯びて雲に乗って来るのを見るのです。これらのことが起こり始めたなら、からだをまっすぐにし、頭を上に上げなさい。贖いが近づいたのです。…木の芽が出ると、それを見て夏の近いことがわかります。そのように、これらのことが起こるのを見たら、神の国は近いと知りなさい。しかし、あなたがたは、やがて起ころうとしているこれらすべてのことからのがれ、人の子の前に立つことができるように、いつも油断せずに祈っていなさい。」(ルカ21:27-31、36)

夏の暑さは、聖書を信じ、聖書の示す希望に生きるクリスチャンにとっては、極めて大切な真理を自覚させてくれます。
夏は、夏のくだものの収穫と関連し、ヘブル語の語呂合わせで、「終わり」を示すために用いられています。

アモス8:2 主は仰せられた。「アモス。何を見ているのか。」私が、「一かごの夏のくだものです」と言うと、主は私に仰せられた。 「わたしの民イスラエルに、終わりが来た。 わたしはもう二度と彼らを見過ごさない。

ギリシャ語でも、終わり(telos)と夏(theros)と、発音上の類似があります。

「頭を上に上げる」とは、勝利者の象徴的行為です。すべてを見ておられ、みことばの真実を保証されるのは、主イエスです。ですから、私たちは、時のしるしを良く読み取りながら、最終的な審判者であり、栄光をもって再臨される主イエスさまに、恥じることのない者、勝利者として立つことができるように、祈りに励みましょう。


2016年7月10日 祝福の家(498)

     みことば、キリスト、大きな喜び
使徒 8:4 他方、散らされた人たちは、みことばを宣べながら、巡り歩いた。
使徒 8:5 ピリポはサマリヤの町に下って行き、人々にキリストを宣べ伝えた。
使徒 8:8 それでその町に大きな喜びが起こった。

迫害でエルサレムを離れたキリストの弟子たちの働きと、そ直後の結果がここに記されています。「みことば、キリスト、大きな喜び」という三つの要素が前面にでています。
最初は、みことばです。みことばが神の国の祝福をもたらす種として蒔かれ続ける中で、神が働きをしてくだいます。みことばに力があるからです。みことばの中心は、キリストです。主キリストに関することが聖書の最重要主題であり、みことばからキリストが語りかけてくださり、キリストの愛、力、恵み、知恵、御人格が輝いてきます。
キリストが示され、キリストの特別な働き、権威が明らかにされていくとき、やみの勢力は力を失います。偽りが破られ、惑わしが逃げ出します。「汚れた霊につかれた多くの人たちからは、その霊が大声で叫んで出て行くし、大勢の中風の者や足のきかない者は直ったからである。」(使徒 8:7)と書かれている通りです。
その結果が、「それでその町に大きな喜びが起こった。」(使徒 8:8)と書かれています。
個人の魂の中でも、団体でも、地域でも、国でも、この原則は全く同じです。
ですから、私たちは、みことばを読み、暗記し、口に出していきましょう。キリストの栄光、力が現わされるように、聖霊の神の助けを求めましょう。そして、キリスト御自身が、全面に出て来て、その権威をもって敵に勝利するのを期待しましょう。

2016年7月3日 祝福の家(497)

          神の栄冠を得るために
キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。(ピリ 3:14)

7月に入りました。聖書の示す7月は、大収穫が終わる「仮庵の祭」です。旧約聖書のレビ記にはこう書かれています。
レビ 23:24 「イスラエル人に告げて言え。第七月の第一日は、あなたがたの全き休みの日、ラッパを吹き鳴らして記念する聖なる会合である。……
旧約に親しむことで、神の救いの計画全体に対する展望が開かれてきます。過ぎ越しの祭が、キリストの十字架の死、ペンテコステの祭が、聖霊降臨、そして、仮庵の祭が、キリストの再臨を預言しています。
ですから、主の前に主に喜ばれることを意識して歩む者として、世の終わりを迎えている私たちの時代を見分け、最終ゴールに目を向けていくことはとても重要です。
聖書では、信仰者の生活、人生をレースに例えています。すなわち、無目的に生きるのでも、地上の人生がすべてであるかのように錯覚するのではなく、やがてあらゆる人々を公平に裁かれる神の前に出て、自分の人生の報告をするものとして生きていく意味で、レースに例えています。
神の栄冠を得るために、小さな努力、忍耐、方向性の確認、惑わしからの解放などなど、さまざまな知恵と信仰が必要とされています。救われる以前の私たちは、このようには歩んできませんでした。しかし、やみから驚くべき光の中に移された者たちとして、私たちは世と世の欲、目に見える快楽・欲望から離れ、主イエスの前、「よくやった、良いしもべだ。」と言われるようになるために、レースを走っているのです。信仰を働かせ、神に向かって、前進、前進しましょう。

2016年6月25日 祝福の家(496)


          神のことばの前進
 こうして神のことばは、ますます広まって行き、エルサレムで、弟子の数が非常にふえて行った。そして、多くの祭司たちが次々に信仰にはいった。(使徒 6:7)

使徒の働きには、AD30-60年の30年間で、当時のローマ帝国全土に福音が広がって行った歴史が描かれています。しかも、現代とは全く違って、高度の情報手段やハイテクもありませんでした。しかし、聖霊の注ぎと、イエスの御名に対する信仰によって、福音は広がり続けていきました。
使徒の働きの最初のまとめのことばが「こうして神のことばは、ますます広まって行き、エルサレムで、弟子の数が非常にふえて行った。」です。注目すべきことは、「神のことば」の成長です。もちろん、その結果としての弟子たちの数の著しい増加もありました。しかし、神のことばそれ自体が持っている力が発揮されて、神のみことばの応答としての直接の影響が、「弟子の数の増加」として、述べられています。
神のことばが人を作り変え、普通の人をキリストの弟子にしました。そして、キリストの弟子たちが、他の人々をキリストの弟子に作り変えていきました。
キリストの弟子になった人々は、神のことばをよく読み、神のことばを語り、神のことばに従う生き方を貫きました。聖霊は、神のことばに従う人々に与えられ、神のことばに従うことを更に深めるように促しました。それによって、もっと聖霊に満たされて、最初に満たされた段階から、もっと進んだ段階に導かれました。
私たちも、初代教会の信仰にならう者たちです。神のことばを愛し、信じ、口に出し、実行するのです。神のことばを用いて祈り、神の働きを信じて期待していきましょう。

2016年6月19日 祝福の家(495)


         いのちのことばを語り続けなさい。
ところが、夜、主の使いが牢の戸を開き、彼らを連れ出し、「行って宮の中に立ち、人々にこのいのちのことばを、ことごとく語りなさい。」と言った。(使徒 5:19-20)
そして、毎日、宮や家々で教え、イエスがキリストであることを宣べ伝え続けた。(使徒 5:42)

最初の迫害の中に置かれた教会は、「あなたのしもべたちにみことばを大胆に語らせてください。御手を伸ばしていやしを行なわせ、あなたの聖なるしもべイエスの御名によって、しるしと不思議なわざを行なわせてください。」(使徒4:29-30)と叫びの祈りをしました。この歴史を変える祈りは、その直後だけでなく、後になっても聞かれて言ったことが使徒の働きに記録されています。
神は、教会に、「いのちのことばを、ことごとく語りなさい」と命じています。そして、使徒たちはそのように祈り、現に、「イエスがキリストであること」を語り続けていきました。
 私たちも、使徒たちの行った祈りをし続けて、神の力ある働きに用いられていきましょう。また、時が良くても悪くても、いのちを与えるみことば、救いを得させる神の力である福音を語っていきましょう。
このために、聖霊の油注ぎを新しく受けていきましょう。

2016年6月12日 祝福の家(494)


         初代教会のしるしと不思議なわざ
 そして、彼らは使徒たちの教えを堅く守り、交わりをし、パンを裂き、祈りをしていた。そして、一同の心に恐れが生じ、使徒たちによって、多くの不思議なわざとあかしの奇蹟が行なわれた。
(使徒 2:42-43)
 初代教会の生活は、全教会のモデルです。イエスを信じ、イエスの教えに身をささげた信仰者たちは、「使徒たちの教えを堅く守り、交わりをし、パンを裂き、祈りをしていた。」と書かれている生活に励みました。その直接的な結果が、「一同の心に恐れが生じ、使徒たちによって、多くの不思議なわざとあかしの奇蹟が行なわれた。」と記録されている事実です。
 力ある教会は、この4つの原則を重んじます。そして、その結果が「多くの不思議なわざとあかしの奇蹟」です。過去の継続的な動作を表わす表現がなされていますので、いわば、「不思議なわざとあかしの奇蹟」の水が流れる川が弟子たちの霊の部分に注がれ続けていることを示しています。
 この流れがさらに強まって、美くしの門で足なえの男のいやしがなされました。そして、それに続いて、迫害が起こり、初代教会は危機に立たされました。そのとき、彼らは「御手を伸ばしていやしを行なわせ、あなたの聖なるしもべイエスの御名によって、しるしと不思議なわざを行なわせてください。」」と祈りました。
 この信仰が、神に喜ばれて、初代教会は、もっと新しい領域に導かれました。私たちも同じです。大胆に主に偉大な働きを求めて祈りましょう。主は、それを尊び、答えてくださるからです。

2016年6月5日 祝福の家(493)


         極めて偉大な、主イエスによる救い
このイエスは、神が昔から、聖なる預言者たちの口を通してたびたび語られた、あの万物の改まる時まで、天にとどまっていなければなりません。(使徒 3:21)

聖書が示す主イエスさまによる救いのスケールの大きさは、まさに、人間の理解をはるかに超越しているものです。この理解は、神が与える理解であり、使徒ペテロによって語られた理解です。
たいていの人々は、目先のことしか考えません。そして、自分の視界に入るものが全てであるかのように錯覚させられます。しかし、聖書が差し出している救いは、宇宙全体をも含む壮大なものです。
1. この救いは、「神が昔から、聖なる預言者たちの口を通してたびたび語られた」と書かれているように、旧約聖書の諸々の預言に基づいているものです。天地が滅びても、それに至る諸々の天変地異があっても、微動だにしない、天地を創造された神が用意された救いです。
2. 万物は、最初の人アダムの罪によって罪の決定的な影響下に置かれました。しかし、神の御子イエスの、罪なき血の代価が支払われて勝ち取られた救いです。主の十字架の死の場面で、天地は揺れ動き、墓から死者がよみがえり、神と人を隔てていた象徴とも言える神殿の幕が上から真っ二つに引き裂かれて、まったく新しく用意された救いです。神の聖霊が注がれて、万物の一新の最初の部分が信仰者達によって味わわれている救いです。
3. 「被造物も、切実な思いで神の子どもたちの現われを待ち望んでいるのです。それは、被造物が虚無に服したのが自分の意志ではなく、服従させた方によるのであって、望みがあるからです。被造物自体も、滅びの束縛から解放され、神の子どもたちの栄光の自由の中に入れられます。」(ロマ 8:19-21)

2016年5月29日 祝福の家(492)


          イエスの御名の力
このイエスの御名が、その御名を信じる信仰のゆえに、あなたがたがいま見ており知っているこの人を強くしたのです。イエスによって与えられる信仰が、この人を皆さんの目の前で完全なからだにしたのです。(使徒 3:16)

使徒ペテロを通してなされた、美しの門での奇跡の力は、自分の敬虔さではなく、「イエスの御名の力」であると、ペテロが断言しています。ここに重要な真理が宣言されています。
1.「イエスの御名」に、想像を超えた力があるという真理です。確かに、この真理は、新約聖書でこう語られています。
すべての支配、権威、権力、主権の上に、また、今の世ばかりでなく、次に来る世においてもとなえられる、すべての名の上に高く置かれました。(エペ1:21)
それゆえ、神は、キリストを高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。(ピリ 2:9)
2.ペテロは、この「イエスの御名の力」を、このとき、奇跡のいやしを行うために用い、との威力を示しました。単に御名の力知っているだけでなく、御名の力を公然と表わしました。
どうしてそのようなことができたのでしょうか。「金銀は私にはない。しかし、私にあるものを上げよう。ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい。」と言ったことで、生まれつき足なえの人を歩かせる信仰をもっていたからだと推定できます。主イエスは、私たちに信仰を与えます。救われるための信仰だけでなく、それ以上の信仰、力ある働きをする信仰を与えてくださいます。

2016年5月22日 祝福の家(491)

     

救いのみことばを受け入れた人々の生活
そこで、彼のことばを受け入れた者は、バプテスマを受けた。その日、三千人ほどが弟子に加えられた。そして、彼らは使徒たちの教えを堅く守り、交わりをし、パンを裂き、祈りをしていた。そして、一同の心に恐れが生じ、使徒たちによって、多くの不思議なわざとあかしの奇蹟が行なわれた。(使徒 2:41-43)
教会の誕生の様子が描かれているこの個所は、文字通りに、世界の祝福の一つの大きな始まりを語っています。主イエスさまによって開かれた天からの祝福の水源が、どのように世界に流れ始めていったかが記録されています。
1. 使徒ペテロのことばを受け入れた三千人ほどが、「弟子に加えられた」。この人々は、弟子、キリストから学び続け、キリストの道を歩み、キリストの救いを世界に示す、いわば、世の光としてのリーダーの道を歩み始めました。
2. 「彼らは使徒たちの教えを堅く守り、交わりをし、パンを裂き、祈りをしていた。」この4原則が、信仰生活の基本になりました。原文では、1:14での「専念する」とまったく同じ動詞と、文章表現になっています。あたかも、次の聖霊の注ぎを待ち望んで期待しているような雰囲気を伝えています。
3. 「一同の心に恐れが生じ、使徒たちによって、多くの不思議なわざとあかしの奇蹟が行なわれた」とは、天の御国が地上に侵入している様子を示しています。聖霊による神の臨在が強まっていることの、目に見える現れが、次から次へと起こっている様子が伝えられています。
聖霊の火で燃やされた人々による天の祝福が、流れはじめています。誰も押しとどめることができない聖霊の火が、まず、弟子たちの中でさらに高い段階へと燃え上がり、新しい局面での神の働きに順義されているのです。ハレルヤ

2016年5月15日 祝福の家(490)

前もって預言されていた終末時代の聖霊の注ぎ

 

『神は言われる。終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。その日、わたしのしもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する。(使徒 2:17-18)

 私たちの生きている時代は、聖書全体の預言的視点から見るときに、実にすばらしい時代であるということができます。霊的収穫である魂の救いが、全世界的になされ、その最終的刈り入れとしての特別の聖霊の傾注が預言されているからです。栄光の主イエスが、花嫁としての栄光の教会を迎えに来るのです。ハレルヤ。
 確かに、一方では、終末の激変、激動、巨大地震など、従来とは違った不安定要素は拡大してきています。他方、、福音宣教、教会の質的、量的拡大の面からすれば、これまでの教会の歴史には見られなかったようなレベルの天からの介入が頻繁に起こっています。なぜならば、この歴史の背後に、神の救いの計画を完成させるように、神が働き、聖書の諸々の預言を成就させるように、聖霊を送っていてくださるからです。
 主イエスは、十字架の上で、サタン、罪、死に対する完全な勝利を勝ち取ってくださいました。その証拠が復活、聖霊の注ぎによる世界宣教、教会の時代としての今日までの約2000年の歴史です。
主イエスの勝利の力をより豊かに体験し、味わい、主が与えた地上での私たちの務め励むために、上からの力を新しく受けていきましょう。祈り、信じ、心を開き、期待して従いましょう。

2016年5月8日 祝福の家(489)

 

聖徒たちの祈りの力
  さて、民衆がみなバプテスマを受けていたころ、イエスもバプテスマをお受けになり、そして祈っておられると、天が開け、聖霊が、鳩のような形をして、自分の上に下られるのをご覧になった。また、天から声がした。「あなたは、わたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ。」(ルカ 3:21-22)
そして、彼らは使徒たちの教えを堅く守り、交わりをし、パンを裂き、祈りをしていた。(使徒 2:42)
真夜中ごろ、パウロとシラスが神に祈りつつ賛美の歌を歌っていると、ほかの囚人たちも聞き入っていた。ところが突然、大地震が起こって、獄舎の土台が揺れ動き、たちまちとびらが全部あいて、みなの鎖が解けてしまった。(使徒 16:25)
医者のルカが書いたルカの福音書と使徒の働きの二巻の書物は、祈りに関する特別な真理に光を当てています。それは、祈っているときに、天の世界、霊の世界、自然界に何かが起こっていることを知らせることです。
祈りは、神を知る人々の特権であり、また責任でもあります。祈りを通して出なければ体験することのできない世界があります。祈りをしていくことで、この世界に入り、この世界から、地上に影響をもたらす特権を与えられています。
祈りは、神との直接的な交わりです。祈りは、訓練の要素がありますが、報いの大きな領域でもあります。祈りを通して、祈りを学び、祈りの力を味わい楽しむようになってきます。ですから、「絶えず祈りなさい。」「油断しないで祈りなさい」と勧められています。

 

2016年5月1日 祝福の家(488)

 

昇天した主イエスの聖霊の約束

そして、こう言われると、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。」(ヨハネ20:22)

しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」(使徒1:8) 

よみがえった主イエスは、恐怖でおびえる弟子たちに姿を現しました。そして、「父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わします。」と宣言し、彼らに息を吹きかけて「聖霊を受けなさい。」と言われました。人間的にはあらゆる望みが失われたように思われた弟子たちは、このとき、聖霊を吹きかけられて、今までとはまったく新しい領域に入って行きました。彼らは、聖霊がどんな御方であるかを体験し始めたのです。そして、よみがえりの主イエスは私たちが、この世に権威を持って遣わされた者としての自覚と意識を鮮明にするように、実に高貴で、聖なる使命を与えられたものとして生きていくように「聖霊を受けなさい。」と言われました。 私たちは、新約聖書を読み、学び、聖霊の御人格とその現実をもっと深く知り、味わうように召されています。よりはっきりと断言するならば、クリスチャン生活は、聖霊の内住がなければ不可能です。ですから、肉(自我、自己中心)によって歩むのではなく、御霊によって歩むのがクリスチャンです。「肉に従う者は肉的なことをもっぱら考えますが、御霊に従う者は御霊に属することをひたすら考えます。肉の思いは死であり、御霊による思いは、いのちと平安です。」(ロマ 8:5-6) 聖霊を歓迎し、聖霊に満たされ、導かれる豊かさを体験していきましょう。「もし肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬのです。しかし、もし御霊によって、からだの行ないを殺すなら、あなたがたは生きるのです。神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。」(ロマ 8:13-14)


2016年4月24日 祝福の家(487)

 

真理のみことばと、その働き
 真理によって彼らを聖め別ってください。あなたのみことばは真理です。(ヨハネ 17:17)
 永遠の神さまが、永遠のいのちをあたえるために、神のことばをあたえてくださったことは、何とすばらしいことでしょう。神のことばの中に、神のいのちがあります。これは、地上の消え去るものとは違う性質のいのちです。
1. 人は、この神のことばを信じたことによって、新しく生まれました。「あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種からであり、生ける、いつまでも変わることのない、神のことばによるのです。」(1ペテロ1:23)
2. 主キリストを信じて、自分の人生の主としてイエスさまを迎えた人は、新しく生まれたので、新しい食べ物を食べます。これが、神のことばを読み、味わい、理解を深め、神との親しい交わり、神の性質の浸透をもたらします。ですから、「 生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。」(1ペテロ2:2)と勧められています。みことばを味わう人ほど、もっとみことばを求めていき、内なる人が成長していきます。
3. 神のことばは、真理です。この神のことばが、偽りの限界の満ちている世の中で、キリストを信じて従う人々の魂、考え方、ことば、思いをきよめる働きをします。
4. このみことばのもたらす力を体験し、更に体験を重ねることによって、すばらしい天の光を放つ人となり、多くの実を結んで神の栄光を輝かす人生となります。ハレルヤ。

2016年4月17日 祝福の家(486)

 

わたしの父の約束
 よみがえった主イエスさまの二回の約束
1.さあ、わたしは、わたしの父の約束してくださったものをあなたがたに送ります。あなたがたは、いと高き所から力を着せられるまでは、都にとどまっていなさい。」 (ルカ 24:49)
 2.しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」
(使徒 1:8)
主イエスさまの昇天後、主の弟子たちは、約束された聖霊を待ち望みました。祈りを続けて、聖霊を待ち望み、そして、おペンテコステの日に聖霊を受けました。
以来、聖霊はキリストの教会に、聖徒たちに天から注がれてきました。これが、キリスト教会の2000年の歴史です。
そして、再臨の近い今日、聖霊の注ぎの約束は、新しい次のタイミングを待っているかのようです。
 使徒 2:17 『神は言われる。終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。その日、わたしのしもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する。また、わたしは、上は天に不思議なわざを示し、下は地にしるしを示す。それは、血と火と立ち上る煙である。主の大いなる輝かしい日が来る前に、太陽はやみとなり、月は血に変わる。しかし、主の名を呼ぶ者は、みな救われる。』 ご一緒に祈り続けて、待ち望みませんか。

2016年4月10日 祝福の家(485) 

 

聖書が成就するために来られたキリスト

 わたしは彼らといっしょにいたとき、あなたがわたしに下さっている御名の中に彼らを保ち、また守りました。彼らのうちだれも滅びた者はなく、ただ滅びの子が滅びました。それは、聖書が成就するためです。(ヨハネ 17:12。参照13:18)
 そこで彼らは互いに言った。「それは裂かないで、だれの物になるか、くじを引こう。」それは、「彼らはわたしの着物を分け合い、わたしの下着のためにくじを引いた。」という聖書が成就するためであった。(ヨハネ 19:24)
この後、イエスは、すべてのことが完了したのを知って、聖書が成就するために、「わたしは渇く。」と言われた。(ヨハネ 19:28 )
 この事が起こったのは、「彼の骨は一つも砕かれない。」という聖書のことばが成就するためであった。(ヨハネ 19:36)

 聖書に親しみ、聖書に教えられ、聖書に書かれている祝福に目を向けて生きることは何と幸いなことでしょう。
聖書は、キリストが中心になるように書かれています。「あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思うので、聖書を調べています。その聖書が、わたしについて証言しているのです。」(ヨハネ 5:39)
 大切な時間と能力を、人生の目的を、この聖書と聖書の中心であるキリストに向けて歩んでいくとき、私たちは、使徒パウロがこう言っていることを理解し始めることができるのです。
 「私にとっては、生きることはキリスト、死ぬこともまた益です。」(ピリ 1:21)
「 私は、キリストとその復活の力を知り、またキリストの苦しみにあずかることも知って、キリストの死と同じ状態になり、どうにかして、死者の中からの復活に達したいのです。」(ピリ 3:10-11)

2016年4月3日 祝福の家(484)


最高の権威を持つキリスト
 「神は、その全能の力をキリストのうちに働かせて、キリストを死者の中からよみがえらせ、天上においてご自分の右の座に着かせて、すべての支配、権威、権力、主権の上に、また、今の世ばかりでなく、次に来る世においてもとなえられる、すべての名の上に高く置かれました。また、神は、いっさいのものをキリストの足の下に従わせ、いっさいのものの上に立つかしらであるキリストを、教会にお与えになりました。」(エペソ1:20―22)
 2016年の新年度が始まりました。桜も咲き乱れ、新しい季節の到来を告げています。主イエスさまの十字架と復活により、天の聖所の幕が切り裂かれています。ですから、誰でもイエスさまによって、父なる神さまとの交わりを楽しみ喜ぶ道が開かれています。天の御座から生ける水の川が流れ続けており、賛美と祈り、みことばと教会での交わりを通して、聖霊による喜びと力を新しく感じる体験へと招かれています。ハレルヤ。
 主イエスさまの権威は、最高の権威です。この主の権威は、心から礼拝する人々にとって、もっと親しく体験するものとなります。よみがえった主イエスは、御自身の権威を信じる私たちに、もっと親しくこの権威を知り、この権威を用いてもらいたいと願っておられます。
具体的には、主イエスの御名を用いることです。生活のいろいろの場面で、ともにおられる主イエスの御名を用いていきましょう。こうして、御名に含まれている権威の偉大さの中でできることを拡大していきましょう。

 

2016年3月27日 祝福の家(483)

キリストは死を滅ぼし、福音によって、いのちと不滅を明らかに示されました。(2テモテ 1:10b)

イースター、おめでとうございます。私たちの主イエスは、死をもって死を滅ぼしました。そして、永遠のいのちと不滅の世界を、諸国民の前に現わされました。ハレルヤ。これが福音の神髄です。
キリストは、神であるにもかかわらず、罪の世界に来て、私たちの罪と死とその背後にいる悪魔サタンを滅ぼしました。十字架と復活によって、この事実を全世界に明らかにされました。そして、このキリストを本気で信じる人は、キリストのものとなり、サタンの支配から光の世界に移されたのです。
この真理を大声で叫び、この喜びを高らかに歌いましょう。世は、このかまゆい真理、事実に覆いをかけることに必死になっています。また、この真理が救われていない闇の世界に輝くことのないように、敵は教会と福音に攻撃、批判、悪口を放ちます。
しかし、敵の武器は嘘をつくことだけです。キリストの復活のときから、否、エデンの園から、嘘が武器でした。だからこそ、キリストの教会は真理のみことばを味わい、学び、研究し、福音の神髄がいつもキラキラ輝くように、キリストのよみがえりを宣べ伝え、人々を救いに入れる働きに全力を尽くすのです。
キリストのものとなった私たちの話題は、キリストが中心になるべきです。キリストの十字架とよみがえりの力が、聖霊によっていつも新鮮にされるようにしていくことで、眠りをもたらす敵の策略に勝利するのです。
キリストの十字架と復活と福音宣教を中心とするみことばを味わい、祈ることで、キリストがもっと近く感じられるようになります。そして、この世の仕事に励みつつも、世の事柄が色あせて来るようなるとき、それは極論すればキリストのためにやっているのであって、それ以外ではないとの意識が強まります。
そして、使徒パウロのことばにアーメンと心底から同意するのです。「しかし、朽ちるものが朽ちないものを着、死ぬものが不死を着るとき、『死は勝利にのまれた。』としるされている、みことばが実現します。」(1コリント 15:54)

2016年3月20日 祝福の家(482)


 イエスは、苦しみもだえて、いよいよ切に祈られた。汗が血のしずくのように地に落ちた。(ルカ 22:44)
 望みを抱いて喜び、患難に耐え、絶えず祈りに励みなさい。
(ローマ 12:12)
今週から受難週が始まります。私たちの罪のために苦しまれ、なだめの供え物となって、十字架の上で血を流してくださった主イエスを、特に深く覚えていく時を持ちましょう。

主イエスは、十字架に着くことを知り、それを耐え忍ぶためにゲッセマネの園で祈りをされました。十字架の苦しみの極みまで耐え忍ぶ力を得たのは、このゲッセマネの園での祈りでした。福音書記者たちは、主のこの祈りの苦悩を傍観者の視点から伝えてくれています。

新しい神の用意された領域に進むための祈りの中でのこの種の苦闘は、祈りをした人でなければ分からない種類のものです。私たち一人一人も、人生の重要な場面で、この種の祈りを求められることがあります。アブラハムがイサクをささげるように求められたとき、ヤコブが息子たちのために一族全部が殺される危機に直面したとき、モーセが反抗を重ねるイスラエルの民のために砕かれるほどの祈りをしたときなど、聖書は人生の重要場面での孤独で切実な祈りの場面を私たちに示しています。
祈りは、神に意思を向ける訓練の面があります。祈りを通して、内なる人が強められ、神との関係が深まり、世の束縛から解放されます。御霊の交わりの親しさの中に、御声を聴く特権の中に招き入れられます。

2016年3月13日 祝福の家(481)


 そこで、こう言われています。「高い所に上られたとき、彼は多くの捕虜を引き連れ、人々に賜物を分け与えられた。」
(エペソ 4:8)
 来週から受難週が始まります。主イエスは、人の手で造った神殿ではなく、信仰によって罪の赦しを受けた人々からなる教会を神の住まいとされるためにも、十字架の上で贖いを成し遂げてくださいました。そして、よみがえって天に挙げられた後で、「多くの捕虜を引き連れ、人々に賜物を分け与えられた。」のです。これが、聖霊の賜物です。キリストのみからだを建て上げ、福音を広く伝えるために、栄光の御霊と御霊の賜物を与えてくださいました。
 「あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。そして、神は教会の中で人々を次のように任命されました。すなわち、第一に使徒、次に預言者、次に教師、それから奇蹟を行なう者、それからいやしの賜物を持つ者、助ける者、治める者、異言を語る者などです。…あなたがたは、よりすぐれた賜物を熱心に求めなさい。また私は、さらにまさる道を示してあげましょう。」(1コリント12;27-31)
 この御霊の賜物が、タラントのたとえで語られています。そこでの要点は、「だれでも持っている者は、与えられて豊かになり、持たない者は、持っているものまでも取り上げられるのです。」(マタイ25:29)
御霊の賜物は、活用することによって、もっと豊かに与えられていきます。御霊の賜物は、人間的能力を超越しています。そして、熱心に求める人にもっともっと与えられていくと約束されています。 ですから、御霊の賜物に関する健全な聖書的知識を得て、御霊の賜物を熱心に求めて生きましょう。主イエスはそうするい人を待っています。

2016年3月6日 祝福の家(480)


      終末への備える信仰者の祝福
万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、心を整え身を慎みなさい。何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪をおおうからです。つぶやかないで、互いに親切にもてなし合いなさい。(1ペテロ4:7-9)

今日の午後は、市ヶ尾キリスト教会の2016年度の出発大会が行われます。一年間の守りと忠実に主に従う歩みをしてくださったおひとりおひとりに感謝します。
新約聖書の教会に宛てて書かれたすべての手紙には、色合いの濃淡はありますが、終末意識、まもなく主が栄光をもって天御使いたちを従えてこられる意識が見られます。これこそ、キリストの教会の最高の希望です。私たちはイエスさまの十字架の血で罪の赦しを受けて救われました。そしてこのゴールを目指しして走り続けるランナーの教会です。
終わりへの備えの最初の勧めは、祈りです。祈りを通してしばいしこの世から超越して、聖なる神の御座の前に出て、主と交わり、心と心を通わせて時を過ごし、御座の視点から今の自分、家庭、教会、国家、世界を見ていくのです。主からの使命を共有する共同体、キリストのからだとしての組織を持つもの花嫁らしく準備することで、いつ主が来ても、熱いはいつ主の御元に召されるとしても、用意のできている者たちとされるのです。ハレルヤ。

2016年2月28日 祝福の家(479)


            義の衣
 また、私は大群衆の声、大水の音、激しい雷鳴のようなものが、こう言うのを聞いた。「ハレルヤ。万物の支配者である、われらの神である主は王となられた。私たちは喜び楽しみ、神をほめたたえよう。小羊の婚姻の時が来て、花嫁はその用意ができたのだから。花嫁は、光り輝く、きよい麻布の衣を着ることを許された。その麻布とは、聖徒たちの正しい行ないである。(黙示録19:6-8)
 イエス・キリストによって与えられる義の実に満たされている者となり、神の御栄えと誉れが現わされますように。(ピリピ1:11)

 王の息子である王子の結婚式は、神の御子イエスキリストが、花嫁なる教会との結婚式を示しています。ですから、キリスト教式結婚式は、終末的なキリストの栄光の再臨としての意味合いを持っています。父なる神が王国の王として語られている福音書でのたとえ話は、黙示録での「私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとを出て、天から下って来るのを見た。」(黙示録21:2)と結びついています。
 キリストの十字架の血によって示された神の義を、信仰によって受け取り、義なる神から罪の赦しをいただいた私たちは、一方的に義人としての身分と立場を与えられ、天の御国の相続者とされています。これが信仰による義認です。そして、義と認められた人は、義人として義なる神との交わりを保ち、義の道を歩みます。その結果として、義の実を結んでいきます。義は平和を造ります。「義は平和をつくり出し、義はとこしえの平穏と信頼をもたらす。」(イザヤ 32:17)
 こうして、義人とされた人だけが平和を造り出すことができるのです。そして、このような高貴な務めと使命を与えられた人々が、この地上にいるキリストを信じ従う者たちです。主イエスさまは、山上の説教でこう宣言されました。「平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです。」(マタイ 5:9)
 本当の信仰者と偽物の信者との違いは、口先のことばではなく、義の実であると主は言われました。「こういうわけで、あなたがたは、実によって彼らを見分けることができるのです。」(マタイ7:20)

2016年2月21日 祝福の家(478)


   人手による石の神殿から、教会という霊的神殿へ

 私たちは生ける神の宮です。神はこう言われました。「わたしは彼らの間に住み、また歩む。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。
                         (2コリ 6:16)
 このキリストにあって、あなたがたもともに建てられ、御霊によって神の御住まいとなるのです。(エペソ 2:22)
 こうしてキリストが、あなたがたの信仰によって、あなたがたの心のうちに住んでいてくださいますように。(エペソ 3:17)
 旧約時代の預言者ハガイが見た幻は、「この宮の栄光は、先のものにまさる」でした。彼が見た栄光の神殿とは、キリストの栄光の教会、キリストの花嫁なる教会です。御子キリストの血によって買い取られた教会は、生ける神の住まいとして、全地に神の栄光を現わす目的で、人々の生き方、考え方、社会や国家を変え、歴史を作り変え続けて今に至っています。
 これから、もっと栄光を現わすように父なる神は準備しておられ、栄光で輝く教会を花婿なるキリストの前に立たせるように、天も地も、宇宙にも力を働かせておられます。こうしてあらかじめ語られた預言を全部完成させてくださいます。
 キリストのものとなった私たちは、「ともに建てられ」ていく経過を経て、御霊によって神の住まいとして、神の臨在を体験し、神のもたらす満たしをより豊かに、より深く、より広く味わっていくように召させています。ハレルヤ。
 ともに建てられるプロセスは、3つあります。
一つ心で神に向かって祈り賛美する礼拝と神から来るみことば、そして置かれたと事での証と生活というタテの関係、
次に、互いに教え、互いに戒め、互いに励まし、赦しを求め、罪の告白をしてきよめられ、キリストが中心の交わりというヨコの関係、
そして、世界宣教と再臨に向かっての神の救いの計画完成への前進です。
です。聖霊なる神を歓迎し、神の臨在に浸りましょう。

2016年2月14日 祝福の家(477)


      主イエスさまの来られた目的
人の子が来たのが、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためであるのと同じです。(マタイ 20:28)

人生には目的があります。この目的を意識し、自覚している人生と、そうでない人生とには、天地ほどの違いがあります。
人生の目的は、神の栄光を現わし、永遠に神を喜ぶことであると、歴代の聖徒たちの声を代弁するかのように、有名なウエストミンスター信仰告白に書かれています。
やがて、世の終わりが来て、栄光の花嫁なる教会が主イエスの前に迎えられ、世界は最終的、決定的な裁きを受けること、そして、どの人も地上の歩みを終えて、神の前に立つことが聖書に書かれています。そのとき、この神の栄光を現わすという神の与えた目的に従って歩んできたか、主イエスが与えられたタラントをどのように用いたか、一人一人が、最終的に報告することになっていることを主イエスさまは語っています。
主イエスは、この点でも最高の模範、最高の手本として御自身を示されました。「仕える」とは、主人である父なる神さまから委ねられた財産の管理人として、主人である神に喜ばれるように主に仕え、その表れとして教会、互いに仕え合うことだと聖書は教えています。ここでの「いのち」は、プシュケーという語が用いられて、魂、地上的な生き方を意味して、こうも言われています。います。「いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを見いだすのです。人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう。」(マタイ16:25-26)
神を第一にする人生、これこそ、イエスさまの示し、教えた生き方です。

2016年2月7日 祝福の家(476) 


     「主のしもべとしての使命と自覚」
見よ。わたしのしもべは栄える。彼は高められ、上げられ、非常に高くなる。(イザヤ52:13)
 「あなたがたはこれを見て、心喜び、あなたがたの骨は若草のように生き返る。主の御手は、そのしもべたちに知られ、その憤りは敵たちに向けられる。」(イザヤ 66:14)

「主のしもべ」は、イエスさまを指すイザヤ書での呼び名で、とりわけイザヤ53章での「苦難のしもべ」の姿を通して、神の使命のために生きる・苦しむ者の最終的な栄光が預言されています。イザヤ書の65-66章では、「主のしもべたち」とそうでないものたちとの最終的な対比が繰り返し預言・宣告されています。
 さばきと救いの最終局面に向かっている全人類の歴史の中で、キリストを信じて、神のしもべたちの中に加えられることは何とすばらしく、厳かで、責任と特権と栄光ある祝福でしょうか。
 主イエスが栄光をもって再臨されるのは、この「主のしもべたち」である「キリストにある忠実な人たち」のためであることを繰り返し語っています。 福音書では、「仕事を任された主人の帰りを待つしもべ」としての信仰者の姿が、主イエス御自身によって語られています。十字架の血で買い取られて主イエスのものとされた責任ある、使命を与えられた栄光ある身分です。

2016年1月31日祝福の家(475)   
      

霊の家に築き上げられる生ける石
 
「あなたがたも生ける石として、霊の家に築き上げられなさい。そして、聖なる祭司として、イエス・キリストを通して、神に喜ばれる霊のいけにえをささげなさい。」(1ペテロ 2:5)

 キリストを信じる信仰者は、1ペテロ1章では、地上での寄留者、天に向かう旅人、2章では、霊的な神殿を築き上げる「生きている石」とそこで奉仕する祭司のイメージとして描かれています。当時のエルサレム神殿を知っている人々は、「石」が非常に高価な、縁取りされた、一個数トンもの見事なものであることを認識していました。(マルコ13:1)
 主イエスの尊い血で買い取られた者であることを信じ、自覚する信仰者は、それ以上の生きている存在で、一般人とは違う敷地で奉仕する祭司です。そして、このような信仰をもって生きている者たちによって構成されるのが、霊の家、教会です。
 かつて、預言者イザヤを通して神が語った「『わたしは彼らの中からある者を選んで祭司とし、レビ人とする。』と主は仰せられる。」(イザ 66:21)光栄に満ちた地位と務めをますますはっきり自覚し、聖なる者たちにしか許されていない特権である「霊のいけにえ」をささげる務めに励みましょう。

2016年1月24日  祝福の家(474)

祭壇の火
 火は絶えず祭壇の上で燃え続けさせなければならない。消してはならない。(レビ 6:13)
 私たちの神は焼き尽くす火です。(ヘブル 12:29)
  火は、聖書の神の臨在を表わす方法の一つとして、聖書にしばしばでてきます。モーセの召命の際に、神は燃える芝の中で御自身を現わしました。そして、イスラエルの民が罪とその束縛の象徴であるエジプトを出た後で、「主は、昼は、途上の彼らを導くため、雲の柱の中に、夜は、彼らを照らすため、火の柱の中にいて、彼らの前を進まれた。彼らが昼も夜も進んで行くためであった。」(出 13:21)また、シナイ山で民の代表者たちの前に御自身を現わすとき、「シナイ山は全山が煙っていた。それは主が火の中にあって、山の上に降りて来られたからである。その煙は、かまどの煙のように立ち上り、全山が激しく震えた。」(出 19:18)と記されています。
火は、燃える神の愛と情熱、罪に対する容赦のないさばき、聖霊の愛と力、きよめ、徹底的な献身などを表わしています。
周囲を目覚めさせ、主イエスの再臨と最後のさばきを連想させます。
聖書の神をよりよく知るために、聖書全体を通してこの主題を学び、ねたむほど私たちを愛しておられる神、聖霊の熱い情熱を受けて、周囲に感化を与える信仰者、教会となりますように。

2016年1月17日 祝福の家(473)    

 

それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」
(マタイ 28:19-20)

王の福音書であるマタイによる福音書には、主イエスは「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。」と語って、王なるイエスさまの権威が鮮明にされています。
王の王なる主イエスの最後の命令は、すばらしい命令です。この命令は、主イエスの心の深い所にある情熱と愛から出てきた命令です。これ以上重要な命令はないほど、緊急かつ、包括的な命令です。
ここでの命令は、教会への命令であり、主イエスを本当に信じているすべての人々への命令です。最後の日に主の前に出るときに、必ず問われる重要な命令です。
この命令の核心は、キリストの弟子を造ることです。単にキリストを信じる人を造るのではなく、キリストを愛し、キリストの命令を実行する人々、キリストの心、キリストのビジョンを実行する、キリストから学び、キリストに従うキリストの弟子たちを造ることです。このことは、キリストの弟子になっている人にしかできない働きです。
キリストから学び続け、キリストから変えられ続けて、情熱もキリストに似せられる者たちとされていきましょう

2016年1月10日 祝福の家(472)キリストと諸国


 「わたしに求めよ。わたしは国々をあなたへのゆずりとして与え、地をその果て果てまで、あなたの所有として与える。」(詩 2:8)
詩篇第二篇のこの節は、王の王なるキリスト、油注がれた御方の王としての就任式の式辞として預言され、歌われてきました。永遠の王国を樹立して世界統治を完成させ、キリストに敵対するあらゆる勢力を完全に打ち砕く王国の支配の完成の絵図です。
詩篇1篇は神のことば、詩篇2篇は王なるキリストの統治が主題になっております。これは、詩篇第1篇の最初の句と第二篇の最後の句とが同じになっていることから、この二つは対になっていることがわかります。そして、この2つの詩篇が詩篇150篇全体の表題になっており、ほんとうに幸いな人、祝福された人の特徴を表わしています。
この真理は、特定の国や地域、民族、言語と階層に関わりない、普遍的な真理です。そして、毎日、霊的ないのちを新しく活性化させ、成長させ、やがて、キリストと共に世界を共同統治、共同相続していていくにふさわしい人格、品性、ビジョン、情熱、感覚、祈り、共同体を形成していきます。神の預言のことばは必ず実現しますから、感謝と賛美であふれる人生となっています。ハレルヤです。


2016年1月3日 祝福の家(471)


平和の君なるイエスによる平和の統治
 私たちの主イエスは、神の国の王としてこの世に来られました。旧約聖書の預言、クリスマスでの出来事もそのことを強調しています。
 このキリストによる罪の贖いをいただき、内側にキリストが王として住んでくださった人には、この種の平和があります。神の国の中に迎えられた人々の特徴がこう書かれている通りです。「神の国は飲み食いのことではなく、義と平和と聖霊による喜びだからです。」(ロマ14:17)
 そしてこの平和をいただいた人は、平和を追い求め、平和を造る人として歩み、平和に役立つことに励み、(平和を破壊する攻撃者から守って)平和を保ち続けることが求められています。そして、これが聖霊による実として、キリストに属している身の証しとなり、平和の神がともにいるしるしとなっています。ハレルヤ。
 ― - ― - ― - ― - ― - ― - ― - ― その名は「…永遠の父、平和の君」と呼ばれる。その主権は増し加わり、その平和は限りなく。(イザヤ 9:6-7より)
「義は平和をつくり出し、義はとこしえの平穏と信頼をもたらす。」(イザヤ 32:17)
「この方は諸国の民に平和を告げ、その支配は海から海へ、大川から地の果てに至る。」(ゼカリヤ 9:10b)
 「暗黒と死の陰にすわる者たちを照らし、われらの足を平和の道に導く。」(ルカ1:79)
 「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」(ルカ 2:14)

 



2015年12月27日 祝福の家(470)


   すべての国々と種族とを集めに来る神


 「見よ。主は、地の果てまで聞こえるように仰せられた。「シオンの娘に言え。『見よ。あなたの救いが来る。見よ。その報いは主とともにあり、その報酬は主の前にある。』と。」
「わたしは、彼らのわざと、思い計りとを知っている。わたしは、すべての国々と種族とを集めに来る。彼らは来て、わたしの栄光を見る。」        (イザヤ 62:11、66 18)

 2015年も、今日の主日礼拝が最後になります。一年間の守りを主に感謝し、共に主の教会を建て上げるためにろうしてくださった方々に感謝します。
 メシア預言で有名なイザヤ書、第五の福音書と言われているイザヤ書で、「神は来る」「救いが来る」と繰り返して語られています。主を愛する者たち一人一人の忠実な奉仕、信仰を働かせての主に仕える働きに、「見よ。その報いは主とともにあり、その報酬は主の前にある。」と主御自身が語っておられます。それに私たちが心を向けるように促しておられます。
 神は、救い主イエス・キリストを遣わしてくださいました。
また、主イエスを信じる者たちに御霊を注いでくださいました。これからも豊かに注いでくださり、栄光の教会を建て上げ、花嫁なる教会を整えてくださいます。信じて楽しみにしていきましょう。



2015年12月20日 祝福の家(469)


      
                 キリストによる平和

「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。
(ルカ 2:14)

神が人となって地上に来られたイエスさま誕生は、まさに歴史の中心の出来事、全宇宙の最大の出来事でした。
「なぜなら、万物は御子にあって造られたからです。天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべて御子によって造られたのです。万物は、御子によって造られ、御子のために造られたのです。」(コロサイ1:16)

 このキリスト誕生の偉大さを知っていた大集団が、天の御使いたちでした。彼らは、キリストの苦難とそれに続く栄光に関して、「それは御使いたちもはっきり見たいと願っていることなのです。」と使徒ペテロが語った通り、歓喜であふれていました。
 そのような思いで満たされた天の軍団の夜空での歌声です。メロディーは書かれていません。しかし、繰り返し何度も賛美しながら歌い続けました。
 天の軍勢の務めの一つは、戦いをすることです。(ダニエル10章、黙示録12章参照)賛美の歌声は、大きな武器でもあります。同様に、聖徒たちの心からの賛美も、強力なインパクトを持っています(詩篇149)。ハレルヤ。


2015年12月13日 祝福の家(468)


                 救い主の誕生
ところが、彼らがそこにいる間に、マリヤは月が満ちて、男子の初子を産んだ。それで、布にくるんで、飼葉桶に寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。
(ルカ 2:6-27)
救い主の誕生でよって、世界の歴史はBC(キリスト以前)からAD(私たちの主の(統治の)年の)に変わりました。これ以上のなれ史的出来事が、ユダヤのベツレヘムの馬小屋の飼い葉桶で始まったことは、尽くし難しい豊かな意味があります。あたかも全世界の隅々まで流れる広大な霊的な河の水源のようです。
すべての中心がキリストです。歴史の中心、出来事の中心、誕生して消え去った無数の人々の中心、究極的な話題の中心がキリストです。
キリストが来るときに、天からの光が差し込み、暗やみは打ち破られ、いやしが起こり、絶望が希望に変わります。キリストが人の心に入るとき、その人からむなしさが消えて内側から喜びがあふれ出ます。王なるキリストは、赤ちゃんの姿で地上の支配を始めました。武力や策略によってではなく、天の平安、天の喜び、天の聖さ、無私の愛を注いて、平和と栄光の国を打ち建てるためにきました。人間的な力ではなく、神の御霊によってではなく神が支配する国を打ち建てるためです。
キリストを王として新しく迎え入れましょう。キリストに、問題も悩みも苦しみも話して、天からの支配をそこに迎えましょう。


2015年12月6日 祝福の家(467)

神の壮大な救いの計画
 私たちの主キリスト・イエスにおいて実現された神の永遠のご計画に沿ったことです。(エペソ3:11)

  今日は、2015年のアドベント(キリスト降誕)の第二週を迎えます。私たちは、それが偶像礼拝であることも知らず、先祖から伝わったむなしい生き方の中で、この世で神も望みもない人生の中を歩んできました。私たちは、近親者の死を通して、罪の暗やみの中に生まれ育っている現実を直視させられました。壮大な暗黒の収容所のような世界の中で、根底にあきらめと虚しさ、無常観しかない世界に住んでしました。
しかし、天地を創造し、聖書を通して子自身を啓示された神は、天地の創造される前から、驚くべき救いの計画を立てられ、それを徐々に預言者たちの口を通して明らかにしてこられました。この神のことばが旧約聖書です。BC700年前に預言者イザヤはこう叫びました。
  その日、人は言う。「見よ。この方こそ、私たちが救いを待ち望んだ私たちの神。この方こそ、私たちが待ち望んだ主。その御救いを楽しみ喜ぼう。」(イザヤ 25:9)
 キリストを指し示す律法はモーセを通して与えられ、預言の成就としてキリストはこの世に来られ、十字架と復活を通して罪の暗やみの幕を切り開き、あらゆる人が救われる道を創設してくださいました。ハレルヤ。誰でも、罪を悔い改めてキリストを信じるなら救われ神の子どもとされるのです。永遠のいのちを与えられ、光の子どもにされるのです。キリストと共に栄光の御国の相続人とされるのです。


2015年11月29日 祝福の家(466)

「献身の始まりは、神を第一にすること」
 そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。(ローマ 12:1)
 今日から、2015年のクリスマスの降誕節が始まります。偉大な神の偉大な計画の中で、クリスマスがあらかじめ準備され、実現して2015年を迎えています。この間、全世界にキリストによる救いをもたらす福音が伝えられて、無数の人々が天の御国の祝宴に招き入れられています。私たちも、この福音を信じ、キリストに焦点を合わせて生きる祝福に加えられました。
 このような神の救いの働きに、神は神にささげた人々を用います。キリストの誕生の準備も、そのようにして神にささげた人々を通してなされ、実現されました。キリストを主、主人、支配者として信じた私たちは、キリストを礼拝する者たちです。そして、真の礼拝とは、すべてをささげることを意味しています。
 偉大な真理は、神にささげられた人々は、通常の社会生活をしているように見えても、心の中に迎えたイエスさまに喜ばれることが最大の人生の目的になっています。「自分ではなく、キリスト」です。キリストから日々新しく教えられ、変えられ、扱われ、もっと主イエスと親しい関係に入っていくように触れられているのです。この楽しさ、この喜び、この霊的興奮が、内に住むキリストのいのちの鼓動です。




2015年11月22日 祝福の家(465)

「神のことばの最重要性」
「わたしは彼らにあなたのみことばを与えました。しかし、世は彼らを憎みました。わたしがこの世のものでないように、彼らもこの世のものでないからです。」(ヨハネ 17:14)
主イエスは、神の戒めに非常に高い位置を与えていました。ですから、こう語りました。「だから、戒めのうち最も小さいものの一つでも、これを破ったり、また破るように人に教えたりする者は、天の御国で、最も小さい者と呼ばれます。しかし、それを守り、また守るように教える者は、天の御国で、偉大な者と呼ばれます。」(マタイ 5:19)
また、イエスはこう言われました。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』これがたいせつな第一の戒めです。『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです。」(マタイ 22:36-40)
キリストを主として信じている人は、神のことばを味わい、親しみ、みことばの価値の高さに次第に目が開かれていきます。新しく生まれ変わった人は、霊の糧である神のみことば、を「生まれたばかりの乳飲み子のように」求めて生きます。霊的に生きていて成長する人は、糧を味わい、更に必要を感じて、学び、暗記し、口に出すことに励んでいきます。詩篇記者のように、みことばの宝を深く味わい楽しみます。「私は、大きな獲物を見つけた者のように、あなたのみことばを喜びます。」(詩 119:162) 滅びていくこの世は、ノアの時代のように自己中心、自分勝手で、神のことばを無視します。しかし、主イエスの警告と招きに「狭い門からはいりなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこからはいって行く者が多いのです。」(マタイ 7:13)心を開きましょう。みことを読み、生きている神の語りかけ、ささやき、真理の明確な理解と、義の道での前進に励みましょう。


 

2015年11月1日 祝福の家(462)

ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。」(マタイ18:20)
ここで、「集まる」は、受動態完了形分詞です。すなわち、人間の側での自発的な集まりではなく、イエスの御名に深く入っていくために神によって選ばれ、神によって召し出されて集められたこと、しかも完了の事実を示しています。大自然が教えている通り、命ある草木は太陽の方に伸びていきます。命があるから、光の方向に伸び続け成長し続けます。
自己吟味の手紙と言われているヨハネ第一の手紙の中で、神によって生まれた人の特徴を二つ上げています。
第一に、神によって生まれた人は、自分を生んでくださった神を愛していきます。愛とは、口先だけではなく、神の命令を守ることで明らかにされます。自分の罪の大きさと十字架のキリストの代価の大きさを体験した人は、主イエスを愛し、神を愛し、神に向かっていく霊的ないのちがどんどん大きくなっていきます。
第二に、神によって生まれた人は、神によって生まれた者たちの集まりである教会を愛します。「生んでくださった方を愛する者はだれでも、その方によって生まれた者をも愛します。私たちが神を愛してその命令を守るなら、そのことによって、私たちが神の子どもたちを愛していることがわかります。」(1ヨハネ 5:1-2)この愛は、人間的な好き嫌いのレベルの愛ではありません。聖霊によって造り出された超自然的な愛です。御霊に明け渡し御霊に服従し御霊に満たされて益々上に向かう思いが強められる愛です。聖霊がすべてを変えていきます。
このような聖徒たちの御霊による交わりの光景が、14の都上りの歌の第13番目の大祭司アロンの頭に注がれた油、聖霊を象徴してこう預言されています。「見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。…それはまたシオンの山々におりるヘルモンの露にも似ている。主がそこにとこしえのいのちの祝福を命じられたからである。」(詩 133:1-3)このようなレベルの愛、「主がそこにとこしえのいのちの祝福を命じられた」世界に私たちは入っています。滅びゆく世的な在り方、地上的束縛をもたらす思いを追い出しましょう。聖霊に心を照らされ、聖霊に明け渡し、信仰の高嶺、栄光の領域を目指して聖化を求め、主の臨在を求め続けましょう。