ホームへ

キリスト教キーワード(た 〜 と)


単語をクリックして下さい。ジャンプします。
大祭司賜物断食単立長老天使トーラー


《大祭司(だいさいし) [High priest]》
 神と人との仲保者として神に仕え、祭の儀式にたずさわる者を祭司といいますが、この祭司職の最高位にいる人が大祭司です。バビロン補囚後に出現した制度であり、政治的独立を失ったユダヤ人にとって、精神的な最高指導者であったばかりでなく、外国の支配力に対してユダヤ人側を代表して裁判その他の権威を持っていました(ネヘミヤ3:1,12; マルコ15:53以下)。大祭司は聖所に関することの総責任者であり、年に一度、贖いの日に神殿の至聖所に入って、彼自身と全国民のために贖罪の儀式を行いました(ビ16章)。しかし、彼自身が人間であるために不完全な贖いしか捧げることができず、完全な贖罪は永遠の大祭司イエス・キリストの出現を待たなければならなかったのです(ヘブル5章, 9章)。

このページの目次へ全キーワードの目次へ




《賜物(たまもの) [gift; χαρισμα(カリスマ)]》
 聖書の中でこの言葉は、よく「神から戴く特別な才能」という意味に使われます:「わたしたちは、与えられた恵みによって、それぞれ異なった賜物を持っています」(ロマ12:6)。確かに誰でもが伝道者になるべく救われるのではなく、誰でもが奏楽奉仕ができなければならないのではありません。「私達の一つの体は多くの部分から成り立っていても、すべての部分が同じ働きをしていないように」それぞれが賜物を過大評価せずに慎み深く歩むべきだからです(ロマ12:3)。しかしこの言葉は第一に、私達がキリストの十字架の業に目見開かされ彼を救い主として受け入れたときに賜った贖いの結果を意味しているのです:「イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます」(使徒2:38)。

このページの目次へ全キーワードの目次へ




《断食(だんじき) [fasting] 》
 食事の一部または全部を断つことです。モーセ(出エジ24:18; 申命9:9)、エリヤ(1列王19:8)など多くの聖書人物が信仰上の必要から行いました。断食は戦争の前や、病気快癒を祈るとき、悔い改めや、天災の時など、様々な状況で主なる神のみこころを求めるときに行われました。ユダヤ人は特に国民的祭りの時に現代でも断食を行っています。
 主イエスも必要に応じて断食をされました(例:マタイ4:2)。儀式や形式としての断食ではなく、祈りのひとつの持ち方として断食することは勧められています(マタイ17:21; 使徒13:2,3; 14:23)。確かに断食から来る不断の空腹感は祈り求めているものが何であるのかを、いつも思い起こさせる良い方法ですが、イエスはそれを弟子たちに強要しませんでした(マルコ2:18-20)。むしろ、主なる神との間で持たれるべきだからです(マタイ6:16-18)。

このページの目次へ全キーワードの目次へ



《単立(たんりつ)教会》

 特定の教派・教団に属さない教会を単立教会といいます。各個教会の独自性を発揮して教会活動をしています。しばしば指摘されるように、キリスト教には沢山の派があります。プロテスタントだけでも数百を越えます。それぞれの起源には背景がありましたが、中には意義不明になってしまっているものもあります。こうした中で、人間が作る組織的制約から来る信仰の不自由さをもう一度見直して、神のみことばである聖書のみを拠り所として、ただキリストによって贖われたクリスチャンであることに一致を見い出そうとする「復帰運動」が18世紀末のアメリカに起こりました。彼らは中央本部を持たず、互いの独自性を尊重しつつ、交流を持ち続けているキリストの教会の人々です。

このページの目次へ全キーワードの目次へ




《長老(elders)》

 旧約時代は、家、氏族、部族の首長が長老と呼ばれました(レビ4:15)。その職務は司法・行政の広きにわたっており、王の任命権も持っていました(1サム8:5)。彼らは家長であることから当然に長老となることもありましたが、年齢や能力によって選ばれることもありました(民数11:16,24)。新約聖書時代になると、教会を運営する上での役職のひとつとして長老が設けられました(使徒11:30; 14:23)。長老の務めは、民の指導(1テモ5:17)、教会の各種責任を果たすことでした(例:使徒15:2)。 問題の解決、取り決めの制定(使徒16:4)、牧会(1ペテロ5:1-4)。ペテロやヨハネが自分自身をさして「長老」と呼んでいることからも明らかなように(2ヨハネ1:1)、牧会の責務を負う牧師も長老の一人です。このように、聖書は複数長老を自明のこととしています。

このページの目次へ全キーワードの目次へ




《罪(つみ) [sin; παραπτωμα(パラプトマ);ハタ(H)]》

 神への不従順や背反など、神の意志に逆らうすべての思いや言葉、行為のことです(ロマ3:20; 7:7; 14:23; ヤコブ4:17)。また自我欲、利己心といった性質的要素のものを「罪性」といいます。
 最初の人間アダムの堕落によって罪は全人類に及びました(創世記3章; ロマ5:12)。これは「原罪」といいます。原罪と罪性はすべての人に遺伝的に受け継がれていると聖書は述べています(ロマ7:17,20)。
 犯した罪は、悔い改めてキリストの贖いを信じることによって赦され、永遠の命が与えられるのです(1ヨハネ1:9; ヨハネ3:16)。また、罪性は、まったき献身と信仰とによって聖化されます。(1ヨハネ1:7,9; ヘブル9:14)。

このページの目次へ全キーワードの目次へ




《天使(てんし)[angel; αγγελοs(アンゲロス); マルアハ(H)]》

 神に仕える超自然的、霊的存在で、さまざまな使命を持っています。神によって創造され(詩篇148:2,5)、天地創造の御業に立ち会い(ヨブ38:7)、神のみこころを行います(詩篇103:20)。そして、キリストの生誕にも(ルカ1章)、また復活の時に至るまで、神のメッセンジャーとして働きを続けました。ミカエルとかガブリエルと名前の示されている天使もいます(ダニエル10:13; ルカ1:26)。しかし、その働きがどんなに重要であっても、天使礼拝は誤りです(コロサイ2:18; 黙示19:10)。天使のうち堕落したものもあり、それがサタンとなったと述べられています(Uペテロ2:4)。これらの堕天使たちは十字架に於いて敗北し、また最終的に滅ぼされることがマタイ25:41に預言されています。

このページの目次へ全キーワードの目次へ




《トーラー[H] 律法》

 「律法」という意味のヘブル語で、日本語では一般の法律と区別するために語順を逆にした訳語が当てられました。しかし、ヘブル語では、一般的な意味での法律に加えて、モーセ五書(創世記、出エジプト記、レビ記民数記、申命記)をさします。ユダヤ人はトーラーを「成文トーラー」と「口伝トーラー」とに分け、前者を聖書、後者をミシュナー(律法の解説書)をさすものとしています。大まかに言えば、旧約聖書+ミシュナーがユダヤ教、旧約聖書+新約聖書がキリスト教、更に、旧約聖書+コーランがイスラム教と言うことができます。同じ旧約聖書に根ざすこの3つの宗教の違いは、イエスをキリスト(救い主)と知っているかどうかにあります。ユダヤ教とイスラム教はイエスを預言者とは認めても、十字架による贖いを知らないのです。

ホームへこのページの目次へ全キーワードの目次へ