ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2006年5月28日


2006年5月28日 主日礼拝説教
「いつものとおり」(ルカによる福音書4章14節-21節)

■はじめに
 今、私たちはルカの福音書を通して、イエス様の歩まれた道を追っています。先々週はイエス様が荒野で悪魔の試みに会われた記事をお読みしました。
 イエス様は悪魔の3つの試みに対して、父なる神様のみこころに徹底して従うという道を選ばれました。イエス様は、この世の権力や富や栄光を用いて人々を救いに導くことをなさいませんでした。イエス様は、十字架の死によって人々を救うという道を歩み出されたのであります。

■ガリラヤのナザレに行き、会堂に入られる
 さて、今日は、イエス様が悪魔に試みられた後、ご自分の故郷であるガリラヤ地方へ帰られたところから始まります。

14イエスは御霊の力を帯びてガリラヤに帰られた。すると、その評判が回り一帯に、くまなく広まった。15イエスは、彼らの会堂で教え、みなの人にあがめられた。

 イエス様は「御霊の力を帯びて」ガリラヤに帰られると、神の国の教えを宣べ伝え始められました。イエス様のなさったわざと教えが評判になり、それがどんどん「回り一帯に」広がっていったのです。
 悪魔の誘惑の後、イエス様の「評判が、回り一帯に、くまなく広まる」までの、イエス様の実際の歩みはどうだったのでしょうか。
 ヨハネの福音書1章から4章を見ると、最初の弟子たちとの出会いがあり、カナの婚礼では、水をぶどう酒に変えるという最初の奇蹟が行われました。そのほか、死にかかっていた王室役人の息子を直したり、人々にお話しをしたりなさいました。
 これらのことが伝え伝えられて、イエス様の評判が広まり、イエス様の教えを聞くために人が会堂に集まったのでした。それで15節にありますように、「イエスは、彼らの会堂で教え、みなの人にあがめられた」のでした。
 イエス様の評判がガリラヤ地方にくまなく広まって、それから、イエス様は故郷のナザレという町に帰って行かれました。

16それから、イエスはご自分の育ったナザレに行き、いつものとおり安息日に会堂に入り、朗読しようとして立たれた。

 イエス様は「いつものとおり」に「安息日に会堂に」行かれました。それは、子どものころから行っていた会堂であったでしょうか。今はガリラヤ地方一帯で評判になっているラビとして、イエス様はこのナザレの会堂に入られました。
 係りの人が、聖書を朗読しようとして立ち上がられたイエス様にイザヤの書を手渡しました。

17すると、預言者イザヤの書が手渡されたので、その書を開いて、こう書いてある所を見つけられた。

 イエス様の手に預言者イザヤの書が手渡されてから、しばらくの間、巻物を開くという静かな時間があったと思われます。巻物ですから、今の聖書のように簡単に何ページを開くというわけにはいかないでしょう。イエス様は、巻物を開いて読む個所を見つけられました。すでに会堂で決められてあった個所なのか、あるいはイエス様が、あらかじめどこを読むと決めておられたのか、それはわかりません。
 イエス様は、イザヤ書61:1-2のことばを見つけられ読まれました。

18「わたしの上に主の御霊がおられる。主が、貧しい人々に福音を伝えるようにと、わたしに油を注がれたのだから。主はわたしを遣わされた。捕らわれ人には赦免を、盲人には目の開かれることを告げるために。しいたげられている人々を自由にし、19主の恵みの年を告げ知らせるために。」

 イエス様は、この個所を読み終わると巻物をもとのように巻き戻し、係りの人に渡してから、座られました。会堂にいる人たちの目がいっせいにイエス様に注がれました。これからイエス様は、何を話されるのであろうか、と。
 イエス様は、開口一番、21節にありますように、「きょう、聖書のこのみことばが、あなたがたが聞いたとおり実現しました」と宣言されました。
 イザヤ書のこのみことばには、「貧しい人々」に福音を伝え、「捕われ人、盲人、しいたげられている人々」に救いをもたらすために、主から遣わされた「わたし」という人が出てまいります。このイザヤ書のみことばに書かれている「わたし」とは、イエス様ご自身のことであります。そして、きょう、あなたがたが聞いたとおりに、主の恵みの年が実現したのだ、と語られたのでした。

■ご自分がメシヤであると宣言される
 さて、イザヤ書にある「油を注がれた者」とは、ギリシヤ語でキリスト、ヘブル語ではメシヤであります。イエス様は、いま「油を注がれた」者として、人々の前に立たれました。イエス様は、油を注がれた者としてのご自分の使命を、このイザヤ書の預言の中から語ろうとされたのでした。
 イエス様がメシヤとして、救い主として、これからの生涯でなさろうとしたこと、それがこの18、19節の内容だったのでした。
 この18、19節に、「……するために」という動詞の使い方が4つ記されています。
 1つは、「貧しい人々に福音を伝える」ためにとあります。イエス様は貧しい人々に福音を伝えました。そしてイエス様は貧しい人々の友となられました。イエス様は「貧しい者は幸いです。神の国はあなたがたのものだから」(ルカ6:20)と語られました。
 2つ目は「捕らわれ人には赦免を、盲人には目の開かれることを告げる」ためにとあります。ヨハネの福音書12:46に「わたしは光として世に来ました。わたしを信じる者が、だれもやみの中にとどまることのないためです」とあります。
 3つ目は「しいたげられている人々を自由にする」ためにとあります。この「自由にする」ということばと、2つ目にあった「赦免」は同じことばが使われています。イエス様は捕らわれている人、しいたげられている人を赦免し、自由になさいました。イエス様は、「捕われている人、しいたげられている人」たちに目をそそぎ、声をかけ、良き友となってくださいました。
 4つ目は「主の恵みの年を告げ知らせる」ためにとあります。「主の恵みの年」とは、旧約聖書のレビ記25章に記されている、ヨベルの年のことであります。それは50年ごとにやってくる恵みの年で、全住民に解放が宣言される年でありました。売られた土地はもとの所有者に返され、借金は棒引きになり、奴隷もみな解放されました。
 このような幸いな恵みの年が、油注がれた方、メシヤ、キリストがおいでになるときに実現するということを、イザヤ書はすでに700年前に預言していたのでした。
 人々は、今までイザヤの預言を何度も聞いてきたでしょう。いつの日かやってくる約束として聞いてきたでしょうが、人々はきょう、イエス様によって、この恵みの年が実現したと告げられたのでした。貧しく、捕らわれており、しいたげられている人、目の見えない人のために、イエス様は主の救いを告げ知らせたのでした。
 主の恵みの年を告げ知らされた人々、それがきょう、ここにいる私たちもそうなのであります。

■人々が恵みのことばに驚く
 聞いた人々は、「みなイエスをほめ、その口から出て来る恵みのことばに驚いた」とあります。人々が恵みのことばに驚いたのであります。
 「捕われ人には赦免を」「しいたげられている人々を自由にする」とありました。この「赦免を」と「自由にする」は、同じことばが使われていると言いましたが、「罪のゆるし」とも訳されることばです。
 「捕らわれ人を赦免」することができるお方、「罪の赦しを」もたらしてくださるお方はイエス様であります。その赦免のためには、高い価が支払われました。イエス様のいのちであります。
 私たちが赦免されるために、主キリストはその身に、苦しみを受けてくださいました。キリストの死によって、私たちは罪の縄目から自由にされ、罪の束縛から解放されました。私たちが赦免され、自由にされたのは、主キリストが私に代わって私たちの罰を受けてくださったからです。
 しかも、主キリストは、この赦免を受けるために、私たちに何の条件も要求されないのです。私たちをあるがままで救ってくださり、主が「あなたを赦す」とおっしゃってくださったのです。もうだれも、私たちを罪の「捕らわれ人」に引き戻すものはありません。
 コリント人への手紙第2、6:2にこのようにあります。

6神は言われます。「わたしは、恵みの時にあなたに答え、救いの日にあなたを助けた。」確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。」

 主の恵みの年が実現したことをきょう覚えたいと思います。恵みの主と共に歩むことのできる幸いを覚えたいと思います。

■ゆりのきキリスト教会の礼拝が始まるまで
 今日で、5月7日の礼拝開始からひと月がたちました。4月から開設準備期間として、私たち夫婦ふたりで礼拝を行ってきました。今このように毎週礼拝をささげることができる、その感謝でいっぱいであります。
 東葉高速線の「八千代中央駅周辺、ゆりのき台に教会を」と考え始めたのは、昨年の暮れからでありました。今年の1月に入って、正式に八千代市で教会を始めるということが、長老教会の伝道委員会で話し合われ、決定されて、八千代中央駅周辺の不動産屋さんを訪ね回りました。
 手頃な物件をいくつか見せていただきましたが、オーナーさんが違う宗教を信じているからとか、賛美歌やピアノが2階に響くからとかの理由で断られました。そのほか、物件はありましたが、見る前の問い合わせだけで、宗教活動はだめ、教会には貸すことができない、というものばかりでした。それで、1月、2月は過ぎていきました。
 もうここでは見つからないので、教会に貸してもいいと言ってくれた、駅から遠くになりますが、成田街道のほうにあるところに決めてしまおうか。また、八千代中央がみこころではなく、別のところに神様は導いておられるのではないか、と思い始めていたころ、3月2日に、駅前のローソンの2階があいているので、教会でも大丈夫かどうか聞いてみます、という連絡がありました。
 ここは、以前、別の不動産屋さんを回ったとき、ローソンの2階があいているが、前に入っていたテナントのピアノの音がうるさくて苦情が出たところなので、教会は無理でしょうと言って、問い合わせもしなかった物件でした。
 ですから、たぶんダメだろうと思って待っていると、次の日、教会に貸してもいいと言っているので見てみてください、というのです。さっそく案内してもらい、見てみると気に入りました。
 それで申し込みをして、伝道委員会からの了解をいただき、正式契約をしたのが3月25日でした。4月から開設の準備を始めたいと願っていたので、それは最後の週でした。
 あとでわかったことですが、ここは教会だから、間違いがないから貸したかった、ということでした。なんと思いがけないことばだったのでしょう。そのうち、このビル会社の担当者の方が、以前教会に行ったことのある方だと知りました。
 私たちは、ここはすべて備えられた教会、礼拝をする場所であることが確信できました。最後の最後に、神様からいただいたすばらしい会堂でした。

■いつものように
 そのようにして、私たちは4月から「いつものとおり」二人で礼拝を守り、そして、5月7日からは地域に住む人たちも加えられて、「いつものとおり」礼拝を守っているのです。
 椅子もなく、講壇も事務机に段ボールを置いたようなところからのスタートでしたが、先週、講壇も椅子も届きました。こうして私たちは「いつものとおり」礼拝をささげているのです。
 きょうお読みしたところの16節のみことばを、もう一度味わいたいと思います。

16それから、イエスはご自分の育ったナザレに行き、いつものとおり安息日に会堂に入り、朗読しようとして立たれた。」

 イエス様が「いつものとおり」安息日に入られた会堂で、みことばを聞くことができた人たちは、驚くばかりの大きな恵みを告げ知らされたのでした。
 私たちも、毎週毎週、守らせていただく礼拝のなかで、神様の恵みをみことばからいただきたいと思います。「いつものとおり」主の日に、「いつものとおり」この会堂で、「いつものとおり」守られる礼拝を大切にしていきたいと思います。
 「きょう、聖書のこのみことばが、あなたがたが聞いたとおり実現しました。」
 そのような恵みに感謝できる礼拝を、これからも続けさせていただきたいと思います。


ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2006年5月28日