Q 靖国神社とはどんな神社なのでしょうか。

A 靖国神社の由来についてお答えします。靖国神社は明治天皇によって維新戦争で殉じた官軍兵士を慰霊する目的で明治2年6月に「東京招魂社」として建立されました。鳥羽伏見戦争から函館戦争までの官軍の「戦死」者3588名が祭られたのが始まりです。「本神社は、明治天皇の思し召しに基づき、嘉永6年以降、国事に殉ぜられた人々を奉斎し、永らくそのみたまを奉慰し、その御名を万代に顕彰するため、明治2年6月29日に創立された神社である。」と、靖国神社は社憲に設立目的を明記しています。顕彰とは「戦死」者の神徳をほめたたえ、世に対して広く知らしめることです。

以上のように、靖国神社は天皇のために戦死した人々が祭られますから、逆賊とされる西郷隆盛は資格がありません。大久保利通は戦死でなく暗殺、木戸孝允、東郷平八郎は戦死ではなく病死、乃木希典も戦死でなく自刀なので祭られていません。もちろん幕府軍兵士や会津百虎隊も資格がありません。天皇のために「戦死」した人々のみを軍神として祭ったのです。明治12年には「別格官幣・靖国神社」と改称され、陸海軍の共同管理となり、国家に一命をささげた人々が神・英霊として祭祀される場所となりました。昭和14年には、各地にある招魂社は「護国神社」と改称され、靖国神社の地方版とされました。

戦後はGHQ(連合軍総司令部)による「神道指令」によって国家と分離され、「宗教法人・靖国神社」として発足し今日に至っています。現在、靖国神社には幕末期の戊申戦争からアジア太平洋戦争までに亡くなった246万6千3百44柱(毎日新聞 2001年8月2日)が祭られています。

そのうち最も多いのはアジア・太平洋戦争の戦没者213万3760柱です。この中には、広島原爆の軍属死亡者、対馬丸沈没犠牲者、沖縄ひめゆり、白梅などの7女学校部隊生徒なども含まれています。台湾・朝鮮出身の軍人軍属、約5万人も合祀されています。

祭神は軍神とも呼ばれていますが、その中には戦争裁判で死刑判決を受け刑死・獄死した14名の戦犯(靖国神社では「昭和受難者」と呼んでいます)や、台湾・朝鮮出身の軍人軍属、約5万人も合祀されています。


Q2  靖国神社はふだんどんな宗教行事をしているのですか。

A  靖国神社は東京都千代田区九段北3−1−1 (地下鉄半蔵門線 九段下駅下車 徒歩3分)にあります。 一つの宗教法人・靖国神社として様々な神道的宗教活動を行い、お宮参りも神前結婚式も引き受けています。年間約300万人が靖国神社に参拝に来るそうです。靖国神社で最も重要な行事は春と秋に行われる「例大祭」と呼ばれる合祀祭です。靖国神社の御神体は神鏡と神剣ですが、副璽簿は靖国神社が祭神として認定した人々の名簿である「霊璽簿」とされています。靖国神社に祭られるとは、「霊璽簿に氏名、戦没年月日、戦没場所、所属、階級、勲章の等級などが記載される」ことを意味します。夫や息子あるいは愛する家族をアジア・太平洋戦争で失った大勢の人々が、慰霊のために靖国神社で参拝しています。

誰をどのような基準で合祀するのかは非公開でわかりません。さらに靖国神社側から遺族に対して、事前に連絡や了解をとることはありません。ですから知らない間に合祀されているケ−スもあります。おかしなことですが、祭られる人は合祀を断ることができません。戦死者は「すべて靖国の神となる」のは当たり前と考えられていたからです。


Q3  なぜ8月15日にあえて参拝するのでしょうか。

1969年の第61回国会において靖国神社の国家護持をめざした「靖国神社法案」が提出されました。しかし国会が保革伯仲となっていた三木内閣時代には、国家護持法案はもとより「戦没者の慰霊表敬法案」さえ成立する見通しがなく、ついに1974年の「夏」の第72回通常国会(田中内閣)において護持法案は廃案となりました。

推進団体である日本遺族会と自民党遺家族議員協議会は、1975年5月6日、国家護持を最終目的としつつも、「表敬法案の推進、国家機関の公式靖国参拝、それもかなわぬときには従来の靖国法案の国会提出」を要望しました。廃案になった8月の丁度翌年の1975年8月15日に、時の総理大臣が靖国神社に参拝することは票田獲得に繋がり、その効果は絶大です。小派閥出身の三木武夫はその日を選んで「私人と断って」私的参拝をしました(文芸春秋 9月号 「歪められた8月15日公式参拝」 坪内祐三氏)。この際、政府は「玉串料は公費から支出しない。記帳には公職の肩書きをつけない。公用車を使用しない。公職者は随行しない。」の4原則を示しました。

もともと8月15日には靖国神社では何の行事も行われていません。総理大臣の公式参拝はすでに1951年10月18日の秋の例大祭に吉田茂首相が参拝したことから始まり、1952年には7年ぶりに天皇も参拝しています。吉田(5回)、岸(2回)、池田(5回)、佐藤(11回)、田中(5回)と歴代総理の公式参拝は繰り返されましたが、彼らは「春や秋の例大祭」に参拝しました。しかし三木首相が初めて「8月15日の終戦記念日」に、しかも「靖国国家護持法案が廃案になった翌年」に参拝したのです。

その後、いわゆる東条英機を初めとする A級戦犯も、1978年10月に靖国神社に合祀されるようになりました。

三木首相の参拝から10年後の1985年の8月15日に、中曽根総理は歴代首相がいわば私的立場で参拝をしていたところから一歩踏みだし、初めて「公式参拝」を行いました。神道儀礼の「2礼2拍子1礼方式」をとらず、玉串料ではなく供花料を公費から支出すれば、違憲とはならないとの有識者懇談会の答申を受けて判断しました。

この中曽根首相の公式参拝に対して、9月20日中国外務省は「A級戦犯も祀る靖国神社への日本内閣構成員の公式参拝については、日本政府に我が国の立場を伝え、同時に行事を慎重にするように要求した。」との談話を発表し、中曽根首相の8月15日の公式参拝に対して初めて非難しました。そのため、首相は10月の秋の大祭以降の公式参拝を取りやめました。そして今年2001年、総裁選に出馬する小泉首相が再び15年ぶりに8月15日に靖国神社を参拝すると発表したため、中国政府から強い抗議がわき起こっています。


Q4 中国政府が問題にするA級戦犯の合祀とはなんですか。

太平洋戦争での日本の政治・軍事指導者を米、英、中、ソ連などの戦勝国が裁いた極東軍事裁判(都響裁判)で起訴された28人の被告をA級戦犯と呼びます。A級というランクは国際法上初めて導入された「侵略戦争を計画・遂行した」責任を問う「平和に対する罪」に相当する。ことを意味しています。

東京裁判は1946年5月に始まり、1948年11月の判決では、松岡洋右元外相ら死亡などで免訴になった3人を除き25人全員が有罪となり太平洋戦争開戦当時の東条英機首相ら7人が絞首刑に、平沼麒一郎元首相ら18人が終身禁固刑などに処せられました。1951年9月のサンフランシスコ講和条約締結後は戦犯の釈放が進められ、A級戦犯も1956年3月までに釈放されました。

靖国神社は1956年から200万人にも及ぶ太平洋戦争の戦没者の合祀を本格化させました。政府は、B・C級も含めた戦犯についても戦没一般者と同様、遺族への恩給支給などを認めました。

そして1978年10月に靖国神社は、東条英機元首相らの絞首刑の7人に加え、未決拘置などに病死した松岡洋右元外相ら7人、合計14人のA級戦犯を「昭和受難者」として内密に合祀しました。この事実は翌79年4月の報道で明らかにされました。


靖国神社に合祀されたA級戦犯  14名

絞首刑  東条英機元首相 板垣征四郎元陸軍大将、土肥原賢二元陸軍大将、松井石根元陸軍大将、
      木村兵太郎元陸軍大将、武藤章元陸軍中将、広田弘毅元首相  7名
受刑中死亡
      白鳥敏夫元駐伊大使、東郷茂徳元外相、小磯国昭元首相、平沼麒一郎元首相、     
      梅津美治郎元陸軍大将  5名

未決病死 松岡洋右元外相、 永野修身元海軍元帥  2名

このときはアジア各国からの目立った反応はありませんでしたが、国内では「戦争犯罪者を神格化し罪を帳消しにするのは問題」と学者らが指摘、野党も参拝中止を迫ったため、大平首相は秋の例大祭を「私人」として参拝をしました。天皇はこの年から議論が割れる場所には参拝できないと、靖国神社への参拝を中止しました。


Q5  A級戦犯を分祠する案がありますが、どうでしょう。

中国政府の激しい批判をかわす目的で、中曽根氏の側近が練り上げた案です。中曽根氏はこの問題を協議するため1986年に特使を中国に派遣。日本遺族会出身の板垣正参院議員がA級戦犯の遺族と接触したが、東条元首相の遺族らの強い反対に遭い、神社側も「いったん祭った祭神をはずすなどというわけにはいかない」と反発し、分祠案は立ち消えになりました。

1999年8月に、野中広務官房長官が「靖国神社からA級戦犯を分祠し、同神社を特殊法人化するのが望ましい」と発言し、分祠案推進者となっています。


Q6  中国政府の「A級戦犯分祠案」に対する対応

中国などが反発する理由は唐家旋外相の「友好の基盤が崩れることを心配する」という発言に集約されています。1972年の日中国交正常化の際、当時の周恩来首相は「あの戦争の責任は、日本の一握りの軍国主義者にあり、一般の善良なる日本人民は、中国人民と同様、一握りの軍国主義者の策謀した戦争にかり出された犠牲者であるのだから、その日本人民に対してさらに莫大な賠償金支払いの負担を強いるようなことをすべきではない。すべからく日中両国人民は、共に軍国主義の犠牲にされた過去を忘れず、それを今後の教訓とすべきである」と述べて賠償請求を放棄した。だから中国政府はA級戦犯を合祀する靖国神社に首相が参拝することによって、A級戦犯の戦争責任が曖昧になったり、名誉が回復されたりすると、自国民を納得させられないというのである。」(文芸春秋 2001年9月号 古山高麗雄)。日中国交正常化の基盤に、「戦争指導者への戦争責任の明確化」があるのですから、これを曖昧にすることは認められないというのです。そしてA級戦犯が合祀された靖国へ首相が公式に参拝することは、「侵略戦争を指導したA級戦犯の功績をたたえること」であり、戦前の軍国主義への回帰ではないかという懸念しているのです。これは重要な視点と言えます。

A級戦犯として処刑された東条英機元首相、松井石根元陸軍大将といった人物は「中国人民に対し侵略と残虐を実行した直接の責任者」として今も激しい憎しみと怒りの標的とされています。一度悪人とみなされれば死んでも許されません。日本のように「死ねば仏」とか「死後は神になる」という寛容な精神はなく、日本人が死者の霊をみなくまなく悼むという習慣は理解できないといわれています。2000年に発行された「世界の邪教 人類の公敵」という書は日本の神道を世界でも主要な「邪教」としているほどです。(文迎春秋 9月号 古森義久)

したがって、A級戦犯の分祠は、中国政府として要望する「最低限の処置」となっています。しかし、中国人民にとって靖国神社というのは日本の対外戦争の美化、中国への侵略の象徴として広く知られており、悪のシンポル
されている現実があります。「A級戦犯を除いても、靖国神社は依然、日本の軍国主義のシンポルのままなのです。」と古森氏は厳しく指摘しています。したがって、靖国神社に日本の首相が公式参拝を繰り返す限り、侵略戦争の「軍神」たちを祀る神社への参拝は中国人民と政府を刺激し続けることになると思われます。


Q7  靖国神社公式参拝は、どのような問題を引き起こすので反対しているのて゜しょうか。

第1に、「憲法違反の疑いがある宗教行為だからです。」
第2に、「アジア諸国、とりわけ中国人民の感情を無視する国際外交問題だからです」
第3に、「日本国内のナショナリズムを高揚する運動と連動している政治運動だからです。」


Q8  どのような点から憲法違反と指摘されているのでしょうか。

憲法違反の疑いは、法学者の間で強く主張されています。首相・閣僚の靖国神社公式参拝に関する憲法問題は憲法20条(政教分離)と同89条(宗教組織への公金支出禁止)との関係に集約されます。

憲法20条3項  国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。
憲法89条    公の財産は宗教上の組織もしくは団体の使用、便益、維持のためなどに支出し、
           またその利用に供してはならない。

最近の司法判断は「違憲(の疑いがいがある)」が主流とされています。中曽根元首相参拝後の1991年1月「岩手靖国・玉串料訴訟」の控訴審判決は「天皇、首相の公式参拝は宗教的意義を持ち、特定宗教への関心を呼び起こす」という理由を挙げ、初の違憲判決を示しました。神社での正式参拝時に、榊の枝に木綿か紙をつけた「玉串」に願いを託し、神前に捧げる習わしがある。玉串料とは、その祭に、神社に納める費用のことで事実上、昇殿して正式参拝する祭の費用という位置づけになっている。

中曽根元首相らの公式参拝の違憲性が問われた「大阪靖国訴訟」控訴審判決(1992年7月)も「憲法が禁じた宗教的活動に当たると疑いが強い」ことが指摘され、判決理由は「中国などから反発と疑念が表明された」ことに言及している。これに対し、政府は1985年に転換した「合意」方針を堅持しており、大阪控訴審判決の際も、当時の加藤紘一官房長官は「違憲の疑いがあるとの判決理由はまことに遺憾だ」と述べ、司法判断と真っ向から対立しています。

1997年4月、「愛媛玉串料訴訟」で最高裁が靖国神社への玉串料県費支出に違憲判断をくだしています。これらの判決から「首相の公式参拝も違憲の疑いが強い」とみなされ、慎重な対応または中止が求められているのです。

首相の靖国神社公式参拝は違憲か合憲かという憲法議論が、学者・政治家間で活発になされています。最高裁判決が出ていない以上、下級審の判例に基づいて総合的に判断するしかありません。日本弁護士連合会の久保井会長は、7月26日に、小泉首相の靖国神社参拝は憲法20条3項が禁止する「宗教的活動」に抵触する違憲行為であると断言し、中止を求める声明を出しました。

日本国憲法を擁護する義務を持つ日本国の首相は、違憲の疑いが強いと疑義されている靖国神社公式参拝を、強行したり、「一礼方式ならば違反にならない」などという姑息な態度をとらずに、中止する冷静な勇気をもっていただきたいと願います。


Q9  日本の最近のナショナリズム高揚とどのように関連すると考えられますか。

自民党は2007年7月「靖国神社問題に関する懇談会」を発足させています。さらに2001年8月9日、小泉首相が「熟慮に熟慮を重ねる」と内外の批判が噴出して思案している最中に、 「小泉総理の靖国神社参拝を実現させる超党派国会議員有志の会」(保岡興治会長)は、安部晋三官房副長官と会い、首相が15日に参拝するように申入書を手渡しました。申入書は「内政干渉等により首相の信条を曲げざるを得ない事態に至ることは、国民の純粋な期待に失望や傷を与える結果になりかねない」と指摘しています。首相がことばを翻すならば、首相の構造改革にも影響が出るとプレッシャ−さえかけています。

いうまでもなく、「靖国神社国家護持法案」の提出成立。首相・閣僚の公式参拝。しかも秋と春の大祭ではなく「終戦記念日」の8月15日の公式参拝。さらに天皇による参拝が最終目標にすえられていることが推測されます。最近の「歴史教科書問題」に見られるように、教育の現場で国家主義的なイデオロギ−を強めて、従来の「自虐視」的な歴史認識を「誇りある民族」としての歴史、国家観に変えて行こうとする動きが徐々に強まっています。 

靖国神社参拝に関する政治的動向をまとめ、その他の国家主義的出来事を赤色で挿入します。

1869年      東京招魂社創立  
1897年      靖国神社と改称  
1945年12月   連合国軍司令部か゜神道指令。国家神道の禁止と政教分離。
1947年5月    日本国憲法施行
1951年9月    サンフランシスコ講和条約
     10月   吉田首相が靖国神社参拝
1959年3月   千鳥が淵の無名戦没者墓苑完成
1964年8月   終戦記念日に第2回戦没者追悼式を靖国神社境内で開催。天皇、池田首相、衆参両院議長らが出席
1966年      記紀神話に基づいた「建国記念の日」制定
1969年6月   自民党が靖国神社国家護持法案を国会提出。74年まで5回提出しいずれも廃案。
1975年3月   自民党が戦没者慰霊表敬法案を決定。国会には上程せず。
1975年8月   三木首相が歴代首相で初めて、終戦記念日に靖国神社を私的参拝。首相・閣僚の終戦記念日
            の靖国神社参拝が恒例化。
1978年10月  靖国神社が東条英機らA級戦犯14名を密かに合祀。翌年、新聞報道で露見。
1979年      元号の法制化
1980年8月   鈴木首相が終戦記念日に参拝し、以後閣僚の集団参拝が恒例化。
     11月   首相・閣僚の靖国公式参拝は違憲の疑いを否定できないとの政府統一見解を表明。
1984年4月   自民党は「首相の靖国公式参拝合憲」と党議決定。
1985年8月   官房長官の私的勉強会「閣僚の靖国神社参拝問題に関する懇談会」が合憲判断を出したのを受けて、
中曽根首相は首相として初めて終戦記念日に靖国神社を公式参拝する。
           中国など近隣諸国が公式参拝を批判。
1986年8月   中曽根首相は終戦記念日の公式参拝を取りやめ。以後、途絶える。
1990年      天皇即位・大嘗祭への国家予算支出
1993年      細川首相が「私としては侵略戦争であったと認識している」と発言

1995年8月   自民党歴史検討委員会が「大東亜戦争の総括」を出版し、自衛とアジア解放戦争と定義。
1996年7月   橋本首相が靖国参拝。中国政府の反発を招く。
1997年2月   日本の前途と歴史教科書を考える若手議員の会(中川昭一氏代表)結成
1999年     靖国神社創立130周年
1999年     「日の丸・君が代」の国旗国家法制化 
2001年4月   「新しい歴史教科書をつくる会」主導の中学歴史公民教科書の検定合格

2001年4月   小泉首相が終戦記念日参拝を明言。
2001年8月15日  


Q10   どのような解決方法が考えられるでしょうか。 

1)憲法違反の疑義を払拭するには、一宗教法人にすぎない靖国神社と完全に切り離して、国立の墓苑を新しく建設するか、千鳥が淵墓苑を整備して、無宗教の公的追悼を行うことが望ましいと考えられています。1975年5月にエリザベツ女王が来日したとき、追悼場所を巡って靖国神社か千鳥が淵墓苑化で対立し、結局、伊勢神宮を「見学」することで治まったいきさつがあります。無宗教で国際慣例にのっとった追悼が行われる国立の追悼場所の建設が急がれます。そして「慰霊・参拝」という私的宗教行為と「追悼」という公的表敬行為を峻別することか゛大切です。

2)一宗教法人に過ぎない靖国神社に対して、首相も・閣僚も公職にある間は、「8月15日の終戦記念日」のみならず「春や秋の大礼祭」においても、靖国神社への参拝を控える思慮が求められます。政教分離という根幹的な憲法条項に対する違憲の疑いが強い状況では、憲法を擁護する義務を持つ首相・閣僚は慎重な姿勢を保つべきである。違憲批判を避けようと、あの手この手と姑息な手法や強弁を用いながら、既成事実を作り上げてゆく手法は取るべきではない。そのような妥協的参拝態度が、なによりも靖国神社側から、「非礼な行為」であると強く非難されていることも真剣に受けめるべきである。

3)首相・閣僚が誠心誠意尽くすべきことは、同じ8月15日に武道館で行われる「全国戦没者追悼式」において、戦争責任という重い自覚を認識し、国内310万人の戦没者ばかりでなく、2000万人のアジア諸国の犠牲者たちに対して心からの追悼の意を表すことである。アジア太平洋戦争は、天皇の名によって、日本軍国主義が引き起こした「侵略戦争であった」という歴史観を明瞭にした上で、2度と侵略戦争をおこさない誓いを国内外に宣言することがすべてである。「アジアを解放するたの戦争であった」と侵略戦争を美化したり、自虐史化したりするような歴史歪曲を修正すべきである。できるかぎり早く、近隣諸国との間で最低限の、歴史認識の共有を進めるために学者専門家レベルでの取り組みを政府主導で行うことが期待されます。

4)全国8万の神社を統括する神社本庁や「英霊に応える会」に加盟している仏所護念会教団(195万人)などは首相の公式参拝を歓迎しています。日本遺族学会や諸宗教団体の票を期待する思惑から靖国神社参拝を行う政治的な取引はやめ、憲法順守、アジア外交の視点から冷静な政治的判断をしていただきたい。国民の声に耳を傾けるというのなら、100万人のキリスト者たち、415万世帯の信者を持つ立正校正会、103の仏教団体が加盟する日本仏教界の「政教分離」を願う、靖国神社首相参拝反対声明に対しても虚心に熟慮していただきたい。

 2001年8月18日 



  
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