「牧会ミニ通信」
2009.9.8〜9.27
横浜上野町教会牧師 柴田 智悦

  354                                                                                               2009/9/6

「信じていた主にゆだねた」  使徒14:19〜28

○パウロとバルナバはピシデヤのアンテオケから追い出されイコニオムへ向かい、そこで福音を伝えました。再びユダヤ人たちの反対にあった二人は、ルカオニヤ地方のルステラとデルベに逃れ、そこで福音を宣べ伝え続けました。ところがここでもユダヤ人たちの煽動によって、一度はパウロとバルナバを神々として礼拝しようとした群衆から、パウロは石打にされました。イコニオムでは逃れた石打を、今度は逃れることができませんでした。「しかし、主はいっさいのことから私を救い出してくださいました」(Uテモテ3:11)。二人はただ、ご聖霊なる主にとどまっていたので、どのような状況であってもそれをみ心として主に従うことができたのです。主のために働く者は、ただ主の思われる通りに自分が支配されようとする必要があります。
  ○再びルステラに戻って語るパウロは「確かに、キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願う者はみな、迫害を受けます」(Uテモテ3:12)ということを自らの身を持って証ししたのです。そしてイコニオムとピシデヤのアンテオケにも引き返して再度教会を訪問しました。それは、み言葉を教えることによって「弟子たちの心を強め」、信仰を確立させるためでした(コロサイ1:28)。次に兄弟たちをその聖い信仰の上にしっかりと築き上げるため「この信仰にしっかりとどまるように勧め」ました(ローマ8:17)。さらに教会ごとに長老たちを選び(1テモテ3:1-13,テトス1:5-9)彼らを主にゆだねたのです。二人は福音を宣べ伝え、回心した者たちを教え、教会を建て、それを強めたのですが、神である主が行なわれたことが全てでした。

  355                                                                                               2009/9/13

「主のみことばを教え、宣べ伝えた」  使徒15:28〜35

○ある人々がエルサレムからアンテオケにやって来て、異邦人が救われるためには割礼を受けなければならないと教えました。しかし、救いは主からの賜物として頂くものです。そこで、アンテオケ教会は、エルサレム教会と話し合う事にしました。
  ○ペテロは、ユダヤ人も異邦人も主イエスの恵みによって救われるのであって、決して割礼の有無や律法の行ないによるのではない、と証言しました。バルナバとパウロの話もペテロの語った事実をさらに強く裏付けました。ヤコブは、主の目的が異邦人をも救いに召される事であり、ペテロやパウロの語った事実は、預言者たちのことばと一致していることを示しました(アモス9:11,12)。
  ○ヤコブの提案はユダヤ人と異邦人との交わりに関するものであり、他の人々のつまずきにならないための避けるべき四項目でした(1コリント9:19-23)。どちらも主イエス様の恵みによって救われましたから、ただ主の前にへりくだり、主のみこころを求め、お互いが配慮し合うべきであり、相手を裁いたり、つまずかせたりするならば、それは福音を福音として捕らえられていないことになります。
  ○エルサレム教会は、この会議の内容を手紙に記しました。ヤコブの意見に教会は全会一致して賛成したのですが、その秘訣は、ご聖霊がこの会議の議長であり(28)、教会はただご聖霊に依り頼んで主のみ心だけを知ろうと求めていたからです。そして、この手紙はアンテオケ教会で読まれ、彼らはその励ましによって喜びました。このような過程を経て、教会はその福音の本質的な教えを正しく認め、ご聖霊による一致によって堅く信仰に立ち、全世界に出て行って福音を宣べ伝える基礎を固めていきました。

  356                                                                                               2009/9/20

「教会は、信仰を強められた」  使徒15:40〜16:5

○罪を犯した人間に対して、罪の結果の罰が宣言されます。女性は産みの苦しみを経験しなければならなくなりました。そして、夫婦の、主を中心とした人格的な愛の関係は、力によって一方が他方を支配する関係となってしまいました。男性は労働の苦しみを宣言されます。苦しんで働かなければ食べていくことができなくなったのです。
  ○さらに、人間全体に向かって死が宣告されました。もともと、人間が創造された時の世界では、いのちだけがあったのです。しかし善悪を知ることをすべての判断基準とし、自分を神のような絶対者としたとき、そのようになった人間が永遠に生きることは悪を限りなく広げることになりますので、それを防ぐために死がもたらされました。
  ○ところが人間が神である主に反逆した瞬間、主は人間を捨てられず、かえってご自分のものとし続け、最終的にサタンに勝利すると言われたのです。人間を滅びに陥れようとする罪の根源であるサタンの頭を踏み砕くのは、女の子孫として生まれ人間の代表となられるイエス・キリストご自身に他なりません。そのイエス様は十字架でかかとにくぎを打たれ傷を負われます。この3:15は原福音と呼ばれています。
  ○さらに神は、世界の基の置かれる前からキリストにあって私たちを選んで下さったのです(エペソ1:4)。天地創造の前からキリストが存在しておられます。そのキリストは、神である主に人間の罪を赦していただくため、ご自分を犠牲にして十字架に死なれたお方です。神である主の本当の御心は、イエス様において示されているのです。それは、私たち人間の罪のためにご自分を身代わりとして十字架に捧げ、罪を解決して下さるということです。そしてイエス様の十字架の御業を受け入れ、永遠のいのちを頂いた者にとって地上の死は、本来のその人の存在の中心となった永遠のいのちに生きる門を開くことになるのです。これほどまで私たちを愛して下さる主の御心を知ってますます主を崇めたいと思います。

  357                                                                                               2009/9/27

「全家族そろって神を信じた」  使徒」16:30〜40

○パウロたちの宣教の働きにおいて、ご聖霊が導いておられました。どのように導かれたか、その方法は一定ではありません(1列19:12)。大切なのは、主の時を待ち望み、ご聖霊に導かれ得るような姿勢をもって備えている、教えられやすいクリスチャンとなることです。
  ○主は、ルデヤという婦人の心を開いて福音に耳を傾けるようにされました。そして彼女はイエス様を受け入れ、彼女の家族全員も信じてバプテスマを受けました。彼女は、自分自身とともに自分の家族全員をも主に捧げたのです。さらにパウロたちの伝道活動のために家庭を解放し、そこが教会となりました(16:40,ピリピ4:15-16)。もし、主に全く心を捧げて行くならば、主がその町に教会を建て上げられ、驚くべき勝利が主によってもたらされるのです。
  ○看守は「主よ。私は救われるために何をすべきでしょうか」と尋ねました。そこに福音が語られました。「主イエスを信じなさい。そうすれば、・・救われます」。パウロはイエス様だけが主である事を指し示し、イエス様を信じる決断を促しました。さらに、「あなたの家族も主イエスを信じれば救われます」と言ったのです。そして、その家の者全部がバプテスマを受け、全家族が主に捧げられました。
  ○信仰は主が心を開いてくださらなければ起こりませんが、私たちは自ら信ずる決断をする必要があります。私たちが全家族を主に捧げて行くならば、私たちの町も、国も、全世界が主のものとなっていくのです。

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