「牧会ミニ通信」
2009.1.4〜1.25.
横浜上野町教会牧師 柴田 智悦

  322                                                                                               2009/1/4

「彼らはこの上もなく喜んだ」  マタイ2:1〜12

○ヘロデは紀元前37年から紀元前4年までユダヤの王として君臨しました。その彼の最晩年に、東方からの博士たちが「ユダヤ人の王としてお生まれになった方」を探しにヘロデのもとに来たのです。ヘロデが地上で支配を振るった33年が終わる頃イエス様はお生まれになり、地上の生涯の33年を終えられ、真の王として天の御国の王座に着かれました。   ○博士たちの見つけた星が、救い主がどこにいるかを指し示す道しるべとなりました。ユダヤ人にはメシヤなるキリストの誕生の場所さえ「ユダヤのベツレヘム」と、知らされていました(ミカ5:2)。しかし、ユダヤ人以外の人間にとっては、導きの星が必用だったのです。こうして博士たちは星に導かれて幼子を見出し、ひれ伏して拝みました。博士たちは幼子を礼拝することによって、救い主と出会ったのです。
  ○博士たちが出会ったのは、圧倒するような威厳に満ちたメシヤではなく、母の腕に抱かれている赤ん坊でした。しかし、博士たちはためらう事なくその救い主を礼拝し、その方こそ王であるという証しとして贈り物をささげました。黄金は神の国の王として来られたお方に、乳香は神である主と人との仲保者として祭司の役目を果たされるお方に、没薬は贖い主として十字架の死をとげられるお方にささげられました。
  ○真の王である主は、無力で小さく貧しく何もできない「幼子」としてこの世にお生まれ下さいました(イザヤ53:2,3)。異邦人や羊飼いに、救い主が生まれたという御告げが告げられたのは、彼らこそ救い主誕生の立会人としてふさわしい者として選ばれたからです。私たちも、何をしたかではなく、存在自体を赦されているのです。イエス様がその命と引き替えにしてくださるほど価値ある者と認めて下さったのです。
  ○私たちのからだは、代価を払って買い取られ、私たちの内に住まれる神から受けた「聖霊の宮」とされており、もはや自分自身のものではないのです(1コリント6:19,20,ガラテヤ2:20)。その内なるご聖霊として住んでいて下さるキリストご自身、インマヌエルとして私たちと共にいて下さるイエス様ご自身に委ねて、私たちはただ存在するだけの者として主に全くご支配されお従いするならば、私たちの人生が全く変えられるのです。この世の基準から解放され、ご聖霊に満たされて天の御国を目指して歩ませて頂きましょう

  323                                                                                               2009/1/11

「そして天から声がした」  マルコ1:4〜11

○イエス様が受けたバプテスマはヨハネのバプテスマであって、罪の悔い改めのバプテスマでした。もちろん、イエス様が悔い改めるべき罪を持っておられたわけではありません。イエス様は罪人の罪の身代わりとして、十字架で死なれるためにこの世に来られたお方です。そのために、イエス様は罪人の経験するあらゆることを、バプテスマも含めて、ひとりの人として経験されたのです(ヘブル2:17,4:15)。
  ○イエス様が水から上がられると、天が裂けて御霊が鳩のように下られ、天から声がしました。御父と御霊が御子に対して証しをしておられるのです。イエス様が十字架上で死なれた時には「神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂け」ました(15:38)。イエス様の公生涯の最初に天が裂けて、主ご自身から御霊が送られたように、イエス様の公生涯の最期に神殿の垂れ幕が裂けて、今度は私たちの方から主の臨在の前に行く道が開かれたのです(ヘブル10:19.20)。
  ○イエス様の公生涯は神である主ご自身の愛する子、として始まりました(詩篇2:7,イザヤ42:1)。天からの声は、イエス様が神の子としてのメシヤであり、また主のしもべであるという事を示しています。イエス様が十字架で死なれた時には、百人隊長が「この方はまことに神の子であった」と証ししました。イエス様は王として支配をされると同時に、しもべとして苦難を受けられるのです。私たちを罪から救い天の御国に入れて下さるお方ですが、同時にそのために自ら十字架で私たちの贖いとしての苦しみを体験して下さるお方です。
  ○私たちも主からの御霊を頂いて、イエス様を信じ、神の子とされました(ローマ8:9,11,14-16)。私たちも信仰によってイエス様を救い主と信じ、バプテスマを受け、神の御霊をいただき、神の子どもとされているのです(1ヨハネ3:1,2)。私たちが神の子どもとされている、という事実に立って、天の御国を目指して歩ませて頂きたいと願わされます。

  324                                                                                               2009/1/18

「あなたは神の子です」  ヨハネ1:43〜51

○ヨハネは「イエスが神の子キリストであること」を読者が「信じて、イエスの御名によっていのちを得るため」(20:31)にこの福音書を書きました。そして、イエス様の公生涯の始まりのときにも、特別な一週間がありました(1:19-2:12)。
  ○イエス様の招きは、人が期待していない時にも起こります。 その時「しもべは聞いております」(1サムエル3:10)と、主に従う姿勢をとったサムエルに主が語られたのです。
  ○イエス様から声をかけられたピリポは、ナタナエルにイエス様をあかししました。それは全く正確とはいえないものでしたが、自分の理解している範囲でイエス様をあかしし、とにかくイエス様を紹介したいという思いで誘うのです。しかし、結果的にピリポは、ベツレヘムで生まれた神の子イエス様のもとにナタナエルを導きます。伝道とは、私たちのあかしに耳を傾ける人たちにイエス様を紹介し、お誘いし、イエス様の所にお連れする、ということです。そうすれば、イエス様が直接出会ってくださるのでお委ねすればよいのです。
  ○ナタナエルは、疑問に思った事を確かめるためにイエス様のもとへ行きました。ところが、イエス様の方から声をかけられます。ナタナエルが驚いたのは、イエス様が自分の心の想いを知っておられたからです。そのような方は主が約束されたキリストに違いありません。ナタナエルは、イエス様を確かめる前にイエス様の言葉に畏れを抱きました。疑いが砕かれ「あなたは神の子です」と告白せざるを得ませんでした。
  ○疑問を持ちつつもイエス様を求めて行くとき、確かな信仰が与えられます(詩篇32:2)。イエス様こそ天と地の間にかけられたはしごであり、イエス様において天の栄光が地に下り、人間に見えるものとなったのです。このイエス様と出会うことによって私たちも天に上げられ、私たちは地上で礼拝をささげていますが、その教会は天に属する祝福された霊のイスラエルとなるのです。教会は「神の家」「天の門」(創世記28:17)であり、天が開けている所です。

  325                                                                                               2009/1/25

「わたしについて来なさい」  マルコ1:14〜20

○シモン(ペテロ)とアンデレ、ヤコブとヨハネは、イエス様から召されたとき、自分を引き止めるものを捨てたのですぐにイエス様に従うことができたのです。彼らがイエス様に従うときまず捨てたのは網です。生活の糧となるもの、知識、技術、職業、そのようなものが私たちを世に縛り付けます。パウロは自分が生粋のユダヤ人であり、誇り高い部族の出であり、律法を忠実に守ろうとして来たパリサイ人でありましたが「私はキリストのためにすべてのものを捨てて、それらをちりあくたと思っています」(ピリピ3:8)と言っています。キリストご自身を得ることの素晴しさ、信仰に基づく神から与えられる義を持つことができることを知ったからです。
    ○彼らが捨てたのは、舟と雇い人たちです。金持ちの青年のように財産が私たちをこの世に縛り付けます(マルコ10:17-22)。しかし「金銭を愛する生活をしてはいけません」と主は言われます(ヘブル13:5)。しかも主の特別な奉仕者に対しては、主ご自身が相続地となられるのです (民18:20)。 ○彼らが捨てたのは父親でした(マルコ10:29,30)。家族が私たちをこの世に縛り付けます。ですから、意識の上でまず、一旦肉親との関係を打ち切り、イエス様と結び付き、その上で家族に対する義務を果たさせて頂くべきなのです。
  ○彼らが捨てたのは、自分自身でした。私たちをこの世に縛り付けようとするものは、何より私自身です。しかし、イエス様がご自身のいのちを差し出してくださり、私たちのいのちを買い戻してくださったのです(マルコ8:34-37)。イエス様にお従いする時にこそその永遠のいのちを受けるのです。
  ○そして、ついて行く相手はイエス様です。それは「人間をとる漁師に」して頂くためです。人間をとる本当の漁師であられるイエス様のお働きに、私たちが参加させて頂くためです。イエス様は、ご自分のからだとしてこの地上に残されたこの教会を通して、その働きを続けておられます。イエス様についていきます、と言うとき、従えるようにして頂けます。

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