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「牧会ミニ通信」 2008.9.7〜9.28. |
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| 横浜上野町教会牧師 柴田 智悦 |
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306 2008/9/7
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○「あなたはどこにいるのか」という主の御声が聞こえた時、アダムは何と答えたでしょうか。彼は、言い訳を言っただけでした。弁解はしても悔い改めはありませんでした。それが、罪のしるしなのです。ところが、主はそのことを責めるのではなく、再び問いかけて下さいました。主は、このときも尋ねておられます。それはアダムが、罪を告白して赦しを求めるチャンスでした。主はどこまでも、人に働きかけ、人が自ら悔い改めに導かれるよう、促しておられるのです。 |
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/// 2008/9/14
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○先週、デボーションについて証ししていただきましたので、『祈りのノート』の事について少し書かせていただきます。 |
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307 2008/9/21
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○罪を犯した人間に対して、罪の結果の罰が宣言されます。女性は産みの苦しみを経験しなければならなくなりました。そして、夫婦の、主を中心とした人格的な愛の関係は、力によって一方が他方を支配する関係となってしまいました。男性は労働の苦しみを宣言されます。苦しんで働かなければ食べていくことができなくなったのです。 |
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308 2008/9/28
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○善悪の知識の木の実を食べた人は、神のようにはならず、却って善を憎み悪を愛するようになりました。結局、罪人として善悪を知るようになったにすぎず、自分が悪だと言うことを知っただけなのです(ローマ7:18,19)。私たちは堕落しており、どんな善にもまったく無力であり、あらゆる悪に偏っていると告白せざるを得ないのです(ハイデルベルク問8)。 |