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「牧会ミニ通信」 2007.1.1〜1.28. |
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| 横浜上野町教会牧師 柴田 智悦 |
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226 2007/1/1 |
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○御使いから知らせを聞いた羊飼たちは、御使いのお告げを素直に主の言葉として信じ、それを実行に移しました。彼らはベツレヘムへ行くだけでなく、そのしるしを見て確認し、ますます、語られたみ言葉を確信したのです。そうして、見聞きした事に基づいて神を崇め讃美しながら帰って行きました。彼らは「すばらしい喜びの知らせ」、つまり、福音に信仰をもって応え、そのことで主を崇め讃美したのです。 |
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227 2007/1/14 |
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○安息日の最大の目的は「仕事を休む」ということでした。7日目は主の安息であるので「どんな仕事もしてはなら」ず、しかも、子どもも奴隷も家畜も在留異国人も同じように休むことができるのです。人間の業は一度中断される必要があるのです。どんな善いことであっても、人間が行う限り、自分を自分で正しいとする思いが必ず潜んでしまうからです。そのような考え方を、7日ごとに主によって中断されなければならないのです。それは「礼拝すべき」だからでも聖日を「厳守すべき」だからでもありません。安息日こそあらゆる「すべきである」とか「厳守」という考え方からも解放され、律法ではなく福音、苦しみではなく喜び、義務ではなく自由、行いではなく休息を得る日です。そして神のかたちに造られている人間を助けることこそ、安息日によりふさわしく、そういう思いやりこそ主が私たちに求めておられることです。 |
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228 2007/1/21 |
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○イエス様のたとえは「神の国」に関することです。結婚披露宴のように神の国においても、招かれた私たちが自分で席を決めるのではなく、披露宴の主人、つまり神である主ご自身が決めてくださっているのです。ですから、謙遜であるべきです。しかし、私たちがどんなに努力しても謙遜になりきることができないので、イエス様が私たちの代わりに極限の所まで謙らされました(ピリピ2:5-8)。イエス様が一番末席に座られたからこそ、主はイエス様を一番の上座に座らせ、すべての名にまさる名をお与えになったのです。ですから、私たちはただ、イエス様の歩みに倣っていれば良いのです。 |
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229 2006/1/28 |
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○当時の宴会ではまず、あらかじめお客を招待しておきます。そして宴会の時刻になったとき、しもべを送ってもう一度招きました。ところがこの時「みな」同じように断り始めたのです。断られた方にすれば、面目丸つぶれです。すると次にこの主人が招いたのは、お返しのできない人たち(14:13)です。しかしまだ席があるので、今度は町の外から無理にでも人々を連れて来させ、空いている席をすべて埋めさせました。 |