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「牧会ミニ通信」 2006.12.3.〜2006.12.24. |
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| 横浜上野町教会牧師 柴田 智悦 |
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221 2006/12/3
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○私たちが何をするにしてもそこには目的があり、それを実現することができたなら、私たちの人生は十分意味があったと思われます。では、逆に、目的を達成できなかったとしたら人生の意味はどうなるのでしょうか。はたして、この世の終わりである前兆が現れ始めたときでも、人生に意味を与える目的を見いだせるでしょうか。その日には、私たちがある意味絶対的な信頼を置いている宇宙空間ですら崩れ落ち、私たちが土台を置いている地でさえ揺り動かされるのです。 |
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222 2006/12/10
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○バプテスマのヨハネが登場した時を、マルコは「神の子イエス・キリストの福音のはじめ」としています。このイエス・キリストの福音は、歴史の中の出来事に裏付けられて始まっています。ローマ皇帝による政治の支配下にある混乱した時代に「神のことばがヨハネに下った」のでした。主の沈黙が終わり、生ける神である主が再び語り始められたのです。しかも、イスラエルが神の民として歩み始めた荒野で与えられました。以来、神のことばは告げ知らされ続けています。 |
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223 2006/12/17
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○ヨハネは、主に先立って行き、主の道を整える使者でした。そうして真直ぐに整えられた主の道を通って主がおいでになります。ところが、その主が来られる主の日は御怒りの日であるとヨハネは告げています。ですから預言者たちが繰り返し警告して来たように(ヨエル2:12,13)、ヨハネも同じ警告を、バプテスマという形を通して繰り返すのです。そしてその御怒りは「必ず来」ます。しかもヨハネは、本当に悔い改めて主に立ち返ったアブラハムの子孫には、悔い改めにふさわしい実が結ばれるとも言っています。 |
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224 2006/12/24
「祝福の源」 ルカ1:39〜45 |
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○「男の子を産む」という御使いの言葉を信じたマリヤは、すぐに御使いから告げられたしるしを確かめに、また、それによって自分の信仰の確証を得るために、エリサベツの所を訪ねました。そして、マリヤがエリサベツに挨拶をしたとき、エリサベツの胎内の子が最初の預言をし、マリヤの胎内の子を歓迎しました。すると、エリサベツ自身も聖霊に満たされ、聖霊によって語り、マリヤから産まれて来るお方こそ「私の主」と告白しました。そして、「救い主」を生む母として選ばれたマリヤこそ祝福された幸いな人だと告げました。 |
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225 2006/12/24
「この方こそ主キリスト」 ルカ2:8〜20 |
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No.225(06/12/24)
○御使いは「この民全体のための素晴らしい喜びを知らせに来た」と言っています。つまり「福音を宣べ伝えに来た」、と言っているのです。そしてその喜びとは、きょうダビデの町であなたがたのためにお生まれなったお方こそが、救い主であり、主であり、キリストである、ということです。それは、神ご自身、ということですから、私たちは福音を信じることによって救われるのです(ローマ10:9,1コリント15:2)。 |