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「牧会ミニ通信」 2006.1.1〜1.29. |
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| 横浜上野町教会牧師 柴田 智悦 |
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178 2006/1/1 |
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○イエスという名はヘブル語ではヨシュア、「主は救い」という意味です。特にイエス様は「ご自分の民をその罪から救ってくださる」お方であり、それによって救われるという名は、世界中でこの名前の他にはありません(使徒4:12)。 |
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179 2006/1/8 |
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○私たちが人をさばいてはいけないのは、自分がさばかれないためです。それは、他の人から批判されないように、というより主によってさばかれないように、という意味です。私たちは永遠のさばきからは免れているにしても、神の子であるために与えられるさばき、罪に定められないための「主による懲らしめ」というものがあるからです。私たちが自分をさばいて自分のうちにある悪いものを取りのけることによって、主からの懲らしめも免れることができるのです。そして、大胆に確信を持って主の前に立つことができるのです。 |
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180 2006/1/15 |
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○私たちがクリスチャンであるということは、堕落していてどんな善にも全く無力であらゆる悪に偏っていた私たちの本性が、神の御霊によって新しく生まれ変わったということです(ガラテヤ2:20)。それは表面的な事ではなく、木とその実との関係のように、本質的な問題です。実の善し悪しではなく、木の問題です。まず、木であるその人自身を良くしなければ、行いである実も良くはならないということです。 |
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181 2006/1/22 |
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○地面を深く、岩の地盤に達するまで掘り下げてその岩の上に土台を据えて家を建てた人は、人生の基礎を正しく据えた人のことです。労力を惜しみ、地面を掘りもしないでそのまま地面の上に、土台もなしに家を建てた人は先見の明がありませんでした。私たちの人生も、目前のことだけではなく、長期的な、永遠の視点でものを見ていくことが大切です。 |
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182 2006/1/29
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○この百人隊長は、ユダヤの国民を愛し会堂を建ててあげるほどの宗教的な人でした。ユダヤ人の長老たちが、イエス様のみもとに来て、百人隊長のしもべのために熱心にお願いしたのは、彼がユダヤ人の社会の中で信頼され尊敬されていたからです。しかし、ユダヤ人の長老たちの態度も腑に落ちません。もし、イエス様が神である主の賜物を分け与えることによって、しもべの病気をいやすことができると思っているならば、なぜ、彼ら自身がまずイエス様を信じなかったのでしょうか。反対に、どうせそんなことはできるはずがないと思っていたならば、彼らの熱心な願いは偽善にすぎません。 |