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「牧会ミニ通信」 2003.12.21〜 |
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| 横浜上野町教会牧師 柴田 智悦 |
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82 2003/12/21 |
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○生きている、「いのちのパン」(ヨハネ6:35,51)であるイエス様がお生まれになったのは、ユダヤのベツレヘム(ヘブル後で「パンの家」という意味)というところでした。そこにやって来たのが、東方の博士たちです。博士たちはまず、エルサレムにやってきました。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方」ですから、当然エルサレムの宮殿にいると思ったのでしょう。学者たちは、その「ユダヤ人の王」であるキリストは「ユダヤのベツレヘム」で生まれると教えました。ところが、だれも博士たちと一緒に、救い主イエス様に会いに行った人はいません。 |
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83 2004/01/01 |
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○主の栄光は光だけとは限りません(詩19)。主は今もこの世界に生きておられるのですから、今ここにも主の栄光が満ちているはずです。イエス様のみ顔に、主の栄光が一番輝いており、イエス様のご生涯やその救いのみことばに、主の栄光が見えるのです。しかし、その主の栄光がどこにも見えないように思えます。それはどうも私たちの側が、イエス様を正しく見ていないからのようです。 |
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84 2004/01/04 |
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○旧約聖書と新約聖書の間に、一時的にユダヤ人が独立した時がありました(BC.142-63)。そのころ起こった新しい群れや、国外に離散している(ディアスポラ)ユダヤ人たちは、主にギリシャ語を話し、ギリシャ的な考え方に影響されていました。そのようなギリシャ語を使うユダヤ人(ヘレニスト)と、ヘブル語を使うユダヤ人との間の文化的違いから問題が起こりました。しかし教会は、キリストのからだとして御霊に委ねつつ問題を解決し、一致を保ちました。ご聖霊に導かれる教会は、主に従い続けるため、変化にも対応できる用意が必要です。 |
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85 2004/01/11 |
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○7人の役員の筆頭に上げられているステパノの、生涯最後の日が聖書に記録されました。みことばに信頼し、みことばに従って生きようとするとき、毎日の生活の一瞬一瞬が大切であり、主の計画と導きの中にあることがわかります。 |
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86 2004/01/18 |
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○ステパノの裁判に立ち会った大祭司は、イエス様の裁判にも立ち会ったカヤパ(AD18-36在職)であろうと考えられます。ステパノも主と同じような理由で訴えられ、弁明する機会を与えられました。このとき彼は、自らを弁明するのではなく、アブラハムの召命から始まる大説教を語りました。 |
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87 2004/01/25 |
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○「荒野の集会」(38節)はギリシャ語で「エクレシア」つまり、教会とも訳せる言葉です。教会は旅人であり寄留者である集会として、歴史の中を歩んでいます。この荒野において、教会は生けるみ言葉を授かり、その生けるみ言葉をよりどころとし、そのみ言葉を世に宣べ伝えることによってその使命が果たされていきます。世の荒野にある人々は、モーセの言葉に聞き従わず、ステパノの言葉も受け入れませんでした。 |