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牧師:若林 学

今年の主題
祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。
                                              マルコの福音書11章24節


今週の説教    Shirone Lutheran Christ Church    Short message of this week
5/13聖書箇所    5/13ミニメッセージ    5/13説教全文 


2012年5月13日  
ミニメッセージ:「
互いに愛し合うことは主の戒め

ヨハネの福音書15章11〜17節


牧師 若林 学



宗教を信じる人々の動機は様々でも、その目的とする所はかなり絞られてきます。その一つは患難から救われ、幸せになりたいと願うことではないでしょうか。病気から救われたい、人間関係から救われたい、嫌な性格から救われたい、経済的困窮から救われたい、災害から救われたい、運命から救われたい、そして死から救われたい。これらの様々な救いの願望に対して、キリスト教の神様はその全てに応えています。なぜならその神様は、この様に言われるからです。「苦難の日にはわたしを呼び求めよ。わたしはあなたを助け出そう。あなたはわたしをあがめよう。」(詩篇50篇15節)

この言葉をよく見ますと、神様は私たち人間に苦難があることを知っておられます。なぜ知っておられるのでしょうか。それは、当の神様がその苦難を与えておられるからです。このように言うと、キリスト教の神様はなんと意地悪なお方だろうと思われてしまいますが、そうではありません。キリスト教の神様は愛の神様です。私たち人間を愛しておられるので、私たちが滅びるのを見過ごしにできないのです。それで、私たちそれぞれに苦難を与えて、ご自分の方に振り向かせようとしておられるのです。

ですから、このキリスト教の神様イエス・キリストの方に振り向く時、私たちは全ての患難から救われます。ただしそれは救いの入り口にようやく立っただけに過ぎません。私たちは救いの内側に入らなければならないのです。私たちは絶えず患難にさらされているからです。しかし、内側に入るなら、私たちは、自分の性格が清められ、患難が患難として感じなくなって行くことを経験します。変えようとして何度も努力したあの嫌な性格が良い方へ変わるのを見るからです。その清められるための具体的な方法は、生まれたばかりの乳飲み子が乳を飲み続けるように、聖書の言葉を覚え続けることです。忘れてもいいのです。とにかく毎日聖書の言葉を覚えるのです。忘れることをかまわず聖書の言葉を覚え続ける時、私たちはイエス様の喜びが心に満ちて来るのを感じます。そして、そうこうしている内に、私たちの心に自制、柔和、誠実、善意、親切、寛容、平安、喜び、そして愛という徳性が備わって来るのを私たちは見るのです。これらの徳性が患難に対する強い免疫力となるのです。

その中でも特に愛は、アガペーと呼ばれる神の愛で、自分の感情に左右されず、人を分け隔てなく愛する愛です。これは使徒パウロが『コリント人への第一の手紙』13章4〜8節で歌っている素晴らしい愛です。「愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。愛は決して絶えることがありません。」愛はなんと強い免疫力を持つことでしょうか。

私たちがイエス・キリストを受け入れ、聖書の言葉を覚え続ける時、私たちはいつの間にかこのアガペーの愛で愛し合うようになります。そしてイエス様から友と呼んでいただけるようになります。私たちが神様のように、分け隔てなく人を愛しているからです。それでは、今までの私たちは何だったのでしょうか。私たちは僕(しもべ)のような者でした。自分の感情の赴くままに愛する自己中心的な人間だったのです。

このように互いに愛し合うという主の戒めを守る私たちにイエス様は約束されます。「あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになります。」互いに愛する私たちが求めるものはただ一つ、私たちの愛する家族や隣人も救われることです。そのような私たちをイエス様は、さらに、病気や貧困や災害から守り、人間関係や運命や死後の行き先さえも変えて、幸せにしてくださいます。



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