宗教改革記念日
     10月31日


大勢の人々が教会に集まる、全聖徒の日(11月1日)の前日であった1517年10月31日にマルティン・ルター博士がドイツにあるヴィッテンベルク城教会の扉に意見交換を呼びかける「95ヶ条の提題」を張り出したことが宗教改革の発端となりました。
ルター博士の有名な言葉は「聖書のみ、恵みのみ、信仰のみ」で、宗教改革の三大原理となっています。
〒950-1214
新潟市南区上下諏訪木 1148-4
TEL: 025-372-3916
牧師:若林 学
shirone church

今年の主題
祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。
                                              マルコの福音書11章24節


ルーテル教会とは

Shirone Lutheran Christ Church   What is Lutheran church?


ルーテル教会は、聖書をクリスチャン 信仰と実践の唯一の権威としていることは他のプロテスタント教会と同じですが、異なるところはルター主義の上に立っている教会であることです。ルター主義 は、当時ローマ・カトリック教会の神父でありドイツのヴィッテンベルグ大学の神学教授であったマルチン・ルター博士によって1513年から1530年にかけて の神学上の発見から始まりました。今日のルター主義(ルーテル教会)は初代教会や中世教会の伝統を多く取り入れています。もちろん、それらの伝統はプロテ スタントの聖書主義に一致するように見直しされています。そして、伝統的な典礼式文を用いることによって、歴史的に途切れることなく続いている神の民の一 員である意識を醸成しています。

ルター博士がローマ・カトリック教会に反抗した話はよく知られています。ルターの立場を、端的にまとめるならば、教会と教皇は霊的な事柄に対して神から何の権威 も与えられてはいず、良心に対して最終的な権威を持つのは、祭司や教会ではなく、聖書である、というものでした。「何であれ、聖書に逆らわないものは聖書 のためにあり、聖書は聖書のためにある。」とルターは言いました。人が罪赦され無罪とされるのは、良い行いをしたからとか儀式を行ったからではなく、また 特に、ローマ・カトリック教会から発行された贖宥状(しょくゆうじょう、免罪符ともいう)を買ったからでもなく、聖霊によって導かれた罪から神への悔い改めによるものである、とルターは考えて いました。義とされることは信仰によるのであって、儀式によるのではない。そして、信仰は教会の命令に同意することではなく、キリストに対する心からの真 摯な信頼である。「義人は信仰によって生きる」というのが最初から最後までルターの考えでした。ルターは、「個人の良心は神に対してのみ責任がある、と考 え、また、聖書は明白で、完全で、霊感によって書かれた信頼できる神の言葉であり、人類のための案内書である」と考えていました。神と、良心と、聖書、こ の 3つの上にルター主義は建てられています。

1529 年、ルターは小教理問答書、大教理問答書を書きました。その一年後に、信仰の声明書であるアウグスブルグ信仰告白書がルターの同僚であったフィ リップ・メランヒトンによって執筆されました。1537年にシュマルカルド条項がルター、メランヒトン、それにドイツの宗教改革者たちによってまとめられ ました。ルターの死後、1577年には根本信条宣言が作成された。これらの信仰告白に関する書物が、1580年に『一致信条書』としてまとめられ、ルーテ ル教会共通の信仰告白書となりました。ルターの観念や神学の解釈としてのこれらの文書はルター主義の教義上の基礎となっています。

(Handbook of Denomination in the United States by Frank S. Mead, Abingdon Press 1995, pp174-175より、若林学訳)

.





マルチン・ルター博士
(1483-1546)



ルターの紋章


95ヶ条の提題




ルーテルの名前の由来  

現在、全世界で約7 千百万人のクリスチャンがルーテル教会の信者です。こんなにも多くの数のクリスチャンがマルチン・ルターの名前で呼ばれるようになったことは歴史上の偶然 によって起こりました。ルターは1521年のローマ教皇勅書によってローマカトリック教会より公式に破門されました。加えるに、その勅書はルターの追随者 を『ルーテル』と呼んで異端者で分派主義者の烙印を押しました。当然、ルターと彼の追随者はそのような状況の元で個人的な名前が使われることに抗議しまし た。それで最初の50年間、ルターの追随者達は『福音派』あるいは『改革教会』として知られていました。しかし、ルーテル教会と改革教会派(ジョン・カルバン派)教会の区別 がはっきりとされるに及んで、ルーテルの名前はだんだんと浸透していき、30年戦争の終わり(1648年)ごろには一般的に用いられるようになりました。 (The Religious Bodies of America by F. E. Mayer, CPH 1961, p127 若林学訳)


copyright(c)2008 Manabu Wakabayashi All rights reserved