本日の講壇(2017.12.10) 聖書箇所 ルカの福音書1章26~56節 説教題 『神からの恵みのクリスマス』 ■序論 救い主イエス・キリストの誕生とは、神の恵みが全人類全てに分かる形で注がれた出来事である。私達は神の恵みを受け取るクリスマスを過ごそう。 1、不可能を可能にする神の恵み(ルカ1:37) 天使がマリヤに告げた救い主を産むというお告げは、到底信じられない、人間には不可能と思われるような神のご計画であった。神は救い主イエス・キリストの誕生を通して、私達に「神にとっては不可能なことは一つもない」という神の御業の真実を明確に見せて下さった。救い主が誕生するということは、神が不可能を可能としてまで、私達を愛して救おうとされるという神の恵みである。私達は不可能は何一つない神を信頼し、神が私に与えると言われる恵みを経験し、味わい、神の恵みを証する者となろう。(マタイ19:26) 2、必ず実現するとの信仰によって受ける神の恵み(ルカ1:45) エリサベツは、主によって語られたことは必ず実現すると信じきった者は、何と幸いなことかと、マリヤに向かって祝福の言葉を送った。信仰者の幸いは、神の恵みの実現を信じきるところに与えられるものである。しかも、主によって語られたことを信じきる信仰に立つからこそ、神の恵み深い働きを経験することが出来るのである。救い主誕生は、神が主体的に働き、成された御業である。私達は主の語られたことを信じきる先に、本当の希望を持つことが出来るのである。(Ⅰコリント1:18) 3、卑しい者に目を留められる神の恵み(ルカ1:48) マリヤは、自分のような最も卑しく、小さい者に神は目を留めて下さると信仰を告白して、主の御名を崇めた。救い主誕生の恵みの真髄は、神がわたしという一人の存在に目を留めて、幸いな者として下さるという神の真実が現されたところにある。一人の人間の存在は全体から見るならば小さく、儚いものであるが、神の目はそこに注がれ、目を留められるのである。私達は神が独り子を犠牲にするまでに、目を注いでいただいた存在であることを深く感謝しよう。(ヨシュア記1:5、詩篇34:15) ■結論 救い主誕生に見る神の恵みは、不可能を可能とする神の恵み、神のことばの実現を信じきった者が受け取ることの恵み、卑しく小さい者に目を留めて下さる神の恵みである。神の恵みを受け取り、生きるお互いとして歩もう。 |