聖書箇所 ヨハネの福音書11章45~57節 説教題 『キリストが全人類のために』 ■序論 ヨハネの福音書では1章からキリストが世に来られる目的を明確に記している。待降節を迎えるにあたり、キリストが世に来られた目的を受け止めよう。 1、「われわれは何をしているのか」(45~48節) ラザロが生き返ったのを見た者達はパリサイ人達に報告した。そして、祭司長はユダヤ人議会を召集した。ユダヤ社会は政治と宗教の自由を与えられているが、もしキリストを信じる者達が暴動を起こし、治安を乱せば、たちまちローマ帝国がユダヤ人の領土を奪い、武力で民を鎮圧することになる。祭司長、パリサイ人らは自分達の既得権を失うことを何よりも恐れた。利己的な考えはいろんなものを見えなくさせる。しかし、自分で何をしているのか分からない罪人のためにキリストは十字架にかかられたことを覚えよう(ルカ23:34)。 2、「あなたがたにとって得策」(49~53節) 大祭司カヤパは議長を務めていた。「ひとりの人が民の代わりに死んで、国民全体が滅びないほうが、あなたがたにとって得策だということも…」(50節)彼の発言の意図はキリストを殺害することを暗示している。しかし、彼の思いとは裏腹に深い真理が隠されている。つまり、キリストの十字架のことを預言している(52節)。彼らは自己保身のために得策を探していたが、全人類の救いのための得策はキリストの十字架以外にはないからである(ヨハネ3:16)。罪の赦しと永遠の生命は神が全人類に備えられた最高の得策であると信じよう。 3、「あなたがたはどう思いますか」(54~57節) キリストは荒野に近い地方へと去り、時がくるまで弟子達と各地を巡回していた。過ぎ越しの祭りが近づき、エルサレム近郊は人々の行き来が激しくなる時期である。そのような時に、ユダヤ人議会はキリストを捕えるために、見つけた者は届け出るようにとの命令を出した。それほどの包囲網が敷かれている中で、ユダヤ人たちはキリストが過ぎ越しの祭りに来るか予測がつかなった(56節)。しかし、キリストは十字架にかかるために来られた。全人類のために十字架の道を進んで下さったキリストに心から感謝しよう(Ⅰテモテ1:15)。 ■結論 キリストの十字架は他でもない私に注がれた神の愛である。自分の罪深さを知るほどに神の愛の深さを知る。今年のクリスマスも十字架の愛を伝えよう。 |