本日の講壇(2017.11.19)
聖書箇所 ヨハネの福音書11章17~44節
説教題 『キリストによる永遠の生命』
■序論
イエス・キリストは信じる者に永遠の生命を与えて下さる。永遠の生命は神からのプレゼントである。聖書は私達にどう生きるべきか教えている。
1、よみがえりであるキリスト(25節)
マルタとマリヤは兄弟ラザロの死を深く悲しんでいた。彼女達はイエス様がラザロの病気を癒して下さると信じ、使いを送ったが、イエス様が到着したのはラザロの埋葬後だった。兄弟の死に悲しみにふける二人の姉妹は、イエス様に無念さを伝えた(21、32節)。しかし、イエス様はご自身がよみがえり、いのち、ご自身を信じる者は死んでも生きることを伝えた(23~25節)。人間にとって死は決して解決できない問題である。しかし、イエス様にとって死はピリオドではなく、ただのコンマである。よみがえりであるイエス様を信じよう。
2、涙を流されるキリスト(35節)
イエス様は神であるとともに100%人間の体と心を持っておられた。ラザロの死は肉親だけではなく、近所の人々も悲しんでいた。マリヤはイエス様にやりきれない心境を伝えた。イエス様は涙を流された(35節)。イエス様はマリヤに対して、マルタとは違う対応をされた。イエス様は兄弟を亡くした深い悲しみを受け止め、マルタの心に寄り添われた。イエス様はそれぞれに対して慰めを与えて下さるお方である(ローマ12:15)。いつでもどこでもイエス様は私達のあらゆる思いを受け止め、寄り添って下さることを信じよう。
3、神の栄光を見せるキリスト(40節)
イエス様はマルタとマリヤと近所の人々の深い悲しみを受け止め、ラザロが葬られている墓に向かった。埋葬して四日経つが、イエス様は墓の石を取り除けるように言われた。それは、信じる者に神の栄光を見せるためである。イエス様はラザロをよみがえらされた。神にとって不可能なことは一つもない(ルカ1:39)。ラザロは生き返ったが栄光の体ではなかった。しかし、イエス様はご自身が栄光の体で復活し、また信じる者には永遠の生命と栄光の体を与えて下さる。私達も神の栄光を見せて下さるイエス様とそのみことばを信じよう。
■結論
イエス様を信じる人生は神の栄光で満ちている。永遠の生命をいただいた人はあらゆる恐れが取り除かれる。信じない者にならないで信じる者になろう。
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