聖書箇所 ハバクク書3章1~19節 説教題 『神のあわれみを祈る人』 ■序論 預言者ハバククは民に対する神の裁きの宣告を受けてもなお神のあわれみを求めて祈った。神のあわれみを信じ、祈り、行動する人が今も求められている。 1、ハバククの祈り(1~2節) 1、2章でハバククは神の怒り、裁きを厳粛に受け止めた。まもなく南ユダ王国はバビロンに征服されようとしていたが、ハバククはその場しのぎのことをせず、神のあわれみを求めて祈った。彼の祈りは神の裁きを受ける覚悟とともに神の裁きにも耐えられるように同胞のために執り成した。それは神の裁きを通して、民が悔い改めて新しく変えられるためである。神のあわれみを求めて祈ることができるのは信仰者だけである。私達も神の憐れみによって今も生かされている。このいのちの日の限り、他人のために、国のために祈ろう。 2、神の裁きの到来(3~15節) ハバククは祈りの中で神がどのようなことをなさるのかを預言している。神の裁きは、悪者にとっては滅びだが、正しい者には救いの日を意味する。義なる神は神に背く罪を決してそのままにはしておかれない。同時に愛の神は救いの道をも備えて下さっている。神の義(裁き)と神の愛(救い)がひとつに現われているのがイエス・キリストの十字架である。ハバククは自然界にあるものを神が揺り動かす神の裁きを伝えているが、その向こうにある神の救いの約束を見出していた。神のあわれみを祈る私達は、神の救いに希望を持とう。 3、信仰の賛美(16~19節) 神の到来を知ったハバククは震えおののいた。しかし、彼は取り乱したり、自 暴自棄にはならなかった。神は決して不公平なことをなさらず、公義と公正を 行うお方である。神の裁きの日に町は閑散とするが、一方でハバククは喜ん で主を賛美している。ハバククの心に与えられたのは喜びで、彼にとって神は 「救いの神」(18節)である。彼がこのように喜び勇むことができたのは、神 のあわれみを受けたからである。神への信仰が人生を支えることを信じよう。 神のあわれみなしには、すべての人は到底生きられないことを覚えよう。 ■結論 神のあわれみを受ける人は十字架による罪の赦しと永遠の生命をいただける。ハバククのように神による救いと勝利を信じて、神の約束を祈って伝えよう。 |