聖書箇所 ヨハネの福音書10章22~42節 説教題 『キリストである証明』 ■序論 イエス・キリストは全人類を救うために天の神から遣わされた救い主である。聖書を通してその良き知らせを信じることができるのは何と幸いなことか。 1、永遠のいのちを与えるキリスト(22~30節) エルサレムはBC165年頃にシリヤの王アンティオコスに攻められ、神殿にはギリシヤの神々が祀られた。激しい戦いの末、ユダヤ人達は神殿を奪い返し、神殿を聖別浄化し、再奉献した。ユダヤ人達はこの出来事を記念し、「宮きよめの祭り」をしていた。後にイエス様は供え物の動物が売買されている神殿を聖別された。いまや聖霊の宮である私達の体をイエス様は聖めて下さる。昔も今も天の父の計画を行い、神のわざを示すイエス様を信じない人が多い。しかしイエス様は信じる者に永遠の生命を与えて下さることを感謝しよう。 2、神の子であるキリスト(31~39節) ユダヤ人がイエス様を信じなかったのは、目に見えるものを神とすることを禁ずる律法が背景にあった。しかし、旧約聖書は律法とともに預言書があり、天から救い主が遣わされることが預言されている。それがイエス様である。しかし、ユダヤ人達はイエス様が神を冒涜していると石打ちにしようとした。イエス様が神の御子キリストであることは、イエス様のことばとわざによって証明される。人々を愛し、憐れみ、ご自身を信じる者の信仰に応じてイエス様は奇跡を行われた。神の御子イエス様のことばとわざを信じよう。 3、バプテスマのヨハネが示すキリスト(40~42節) ユダヤ人はイエス様を捕えようとしたが逃れ、ヨルダン川の向こう岸に渡ら れた。エルサレムではイエス様のことばとわざを見聞きして信じないユダヤ 人が多いが、一方でバプテスマのヨハネの証言を聞いて信じる者達もいるの は非常に対照的である。ヨハネはキリストではなく、キリストについて証言 した者である。信仰はことばを信じることである。神のことばを信じる人が、 キリストについて証言することによって福音は伝わる。神を目に見える形で 見せることはできないからこそ、ことばによってキリストを伝えよう。 ■結論 聖書のことばは信じる者にその通りになる。信じた者だけがに証言することができる。神の御子イエス様こそ、救い主キリストであることを証言しよう。 |