聖書箇所 ヨハネの手紙第一2章12~17節 説教題 『神のみこころを行う者』 ■序論 神のみこころを行うという生き方は、全てのクリスチャンが生涯を通して求めて行くものである。神はみこころを行う者を喜ばれる。 1、今立っているところで信仰の確信を持つ(Ⅰヨハネ2:12~14) みこころを行うとは、御子イエス・キリストの命令を実践することである。キリストは「互いに愛し合う」ことを新しい戒め、命令として言われた。ヨハネは、「子どもたちよ。父たちよ。若い者たちよ。」と互いに愛し合うように呼びかける。子、父、若い者は、各世代への呼びかけだけに留まらず、信仰の成長段階を示している。子は救われたばかりの、罪赦された恵みをいただいた段階である。父は信仰の経験を経て成熟し、神との交わりの豊かさを知った段階である。若い者は、救われてから成長し、信仰の戦いを通して悪に打ち勝つ恵みの経験をした段階である。私達は信仰の成長段階がどこであったとしても、互いに愛し合う者である。それぞれが神と自己の関係において、今立っているところで信仰の確信を持って歩むなら、神のみこころを行う者となることが出来る。 (マタイの福音書5:44,45) 2、世に対して信仰の確信を持つ(Ⅰヨハネ2:15~17) クリスチャンは、神を愛し、世の人々を愛して生きるが、世を愛することとは明確に一線を引く。神を愛することと、世を愛することは同時に成り立たない。世を愛するとは、自分の欲を満たす自己中心な生き方を選ぶことである。世と世の欲は滅び去るものに過ぎない。神が聖書を通して示すみこころを行う生き方とは、神を愛し、世の人々を隣人として愛するが、世は愛さない生き方である。世との関わりを持たざるを得ない私達にとっては、世を愛さない生き方には多くの戦いがある。しかし、主イエスは私達に助け主を送って下さった。助け主なる聖霊によって、私達はこの世における世を愛さず、神と人を愛する歩みを全うすることが出来る。私達は、世に対しては、聖霊なる神様への信仰の確信をもって、助け主なる聖霊と共に歩んで行こう。 (ヨハネの福音書14:16、Ⅰヨハネ4:13) ■結論 私達はみこころを行う者として、神を愛し、互いに愛し合う者である。今立っているところに従って、主への確信をもって歩んで行こう。世に対しても、 聖霊の確信を持って、罪に打ち勝つ者とさせていただこう。 |