聖書箇所 ヨハネの福音書10章1~11節 説教題 『わたしは良き牧者です』 ■序論 聖書はイエス・キリストと私達との関係を羊飼いと羊にたとえている。羊のためにいのちを捨てるのが良き牧者である。良き牧者には愛が満ちている。 1、羊の名を呼ぶキリスト(1~6節) 9章でイエス様は生まれつき目が見えない人の目を開き、非難するパリサイ人らに本当に見えていないのはどちらかを問われた。10章では羊を愛する羊飼いの姿を描いている。羊は夜になると、獣や盗人から守るために囲いに入れられた。良き羊飼いは門から入り、羊の名を呼んで点呼した。一匹ずつその顔と名前と特徴を覚えているのが良き羊飼いである。羊は名前を呼ぶ羊飼いの声を知っているので、聞き分けて安心してついていく。イエス様もみことばを通して私達の名前を呼ばれる。私達もイエス様の声を聞き分けよう。 2、羊の門であるキリスト(7~9節) イエス様はご自分を羊の門にたとえられた。門は囲いの中に入るために避けて通れない。囲いの中は安心、安全に過ごせる所である。イエス様はご自身を通して、そこに招き入れて下さる。門は厳重であることより、安心を与えることが大事である。まさに羊の門であるイエス様を通して、神の国に招き入れられ、安らぎを得られるのである。イエス様の前に来た盗人とは旧約における偽預言者である。彼らは人々の魂を惑わし滅ぼした。しかし、神の国に招くイエス様は、みことばを通して私達を養って下さることを信じよう。 3、羊のためにいのちを捨てるキリスト(10~11節) イエス様は盗人が来る目的と御自身が来られた目的の違いを明らかにした。イエス様は羊にいのちを与え、豊かにし、羊のためにいのちを捨てるお方である。100匹のうちの1匹が迷子になれば、いのちをかけて探し出すのが良き羊飼いである。そして、ひとりの魂が救われることは天における大きな喜びである(ルカ15章)。神様の愛はひとりの御子を世に遣わし、私の罪を赦すために十字架につけるほどである。いのちを与える行為は最高の愛の現われである。今日も神様の最高の愛が私に注がれていることを感謝しよう。 ■結論 良き牧者であるイエス様は今日も私達の名を呼び、先頭に立って、導き、養って下さる。イエス様に安心してついていき、十字架の愛を伝えていこう。 |