聖書 第一ヨハネの手紙2章1~11節
2:1 私の子どもたち。私がこれらのことを書き送るのは、
あなたがたが罪を犯さないようになるためです。
もしだれかが罪を犯したなら、私たちには、
御父の御前で弁護してくださる方があります。それは、義なるイエス・キリストです。

2:2 この方こそ、私たちの罪のための、
――私たちの罪だけでなく全世界のための、――
なだめの供え物なのです。

2:3 もし、私たちが神の命令を守るなら、
それによって、私たちは神を知っていることがわかります。

2:4 神を知っていると言いながら、
その命令を守らない者は、偽り者であり、真理はその人のうちにありません。

2:5 しかし、みことばを守っている者なら、
その人のうちには、確かに神の愛が全うされているのです。
それによって、私たちが神のうちにいることがわかります。

2:6 神のうちにとどまっていると言う者は、
自分でもキリストが歩まれたように歩まなければなりません。

2:7 愛する者たち。私はあなたがたに新しい命令を書いているのではありません。むしろ、これはあなたがたが初めから持っていた古い命令です。その古い命令とは、あなたがたがすでに聞いている、みことばのことです。

2:8 しかし、私は新しい命令としてあなたがたに書き送ります。
これはキリストにおいて真理であり、あなたがたにとっても真理です。
なぜなら、やみが消え去り、まことの光がすでに輝いているからです。

2:9 光の中にいると言いながら、兄弟を憎んでいる者は、
今もなお、やみの中にいるのです。

2:10 兄弟を愛する者は、光の中にとどまり、
つまずくことがありません。

2:11 兄弟を憎む者は、やみの中におり、やみの中を歩んでいるのであって、
自分がどこへ行くのか知らないのです。
やみが彼の目を見えなくしたからです。

本日の講壇2017730

 

聖書箇所 第一ヨハネの手紙2章1~11節

説教題 『神の愛の中に生きる』

■序論

永遠の命が与えられた者の生き方とはどのようなものだろうか。それは、罪を犯さない歩みであり、神の命令である御言葉を守って神と人とを愛する生き方である。

 

1、罪を犯さない歩み(2:1~6節)

ヨハネは、救われた者がもはや罪を犯さないようになるために、この手紙を書いた。人は弱さゆえに罪に傾きやすいが、もし私達が罪を犯したならば、神の前で義なるイエス・キリストが弁護して下さる。これは永遠の命をいただいた者の特権である。だからこそ、私達は罪を犯さないように生きることを求めなければならない。そのために、私達は神の命令である御言葉を守り行うことで、神との交わりが深められ罪の生き方から守られるのである。そして、私達が御言葉を実践するならば、私達の内に神への愛が全うされ、キリストのように歩む者へと導かれて行く。罪を犯さない歩みとは、キリストように生き、歩んで行くということである。      (Ⅰヨハネ3:9

 

2、互いに愛し合う歩み(2:7~11節)

キリストように生きて歩むということは、一言で言い表すならば「互いに愛し合うこと」に尽きる。この真理は新しいものではなく、旧約聖書の時代から神が人類に示し続けてきた真理である。ヨハネは互いに愛し合うことを、神からの新しい命令としてあえて記している。互いに愛し合うことは、私達の内に全うされた神の愛によって成されるものである。イエス・キリストは十字架の上で、互いに愛し合うことの真髄として、究極の神の赦しの愛を表された。私達は神を信じ、キリストを愛する者として、互いに愛し合う者となろう。互いに愛し合うことは実践のみである。自分にとって最も愛せない者を愛するためには、神の愛という原動力を内にいただかなければならない。

Ⅰペテロ4:8

 

■結論

私達はキリストの十字架のゆえに罪赦され、永遠のいのちをいただいたのだから、二度と罪の道に戻ることのないように、キリストのように生きる者となろう。そして、キリストのように生きるということを、互いに愛し合うことで実践しよう。