本日の講壇(2017.6.11)
聖書箇所 Ⅰヨハネ1章5~10節
説教題 『光である神』
■序論
ヨハネの手紙には、福音が伝えられた目的とは私達が神とキリストとの交わりを得るためだと記されている。私達が神との交わりに生きるためには、罪が解決されなければならない。
1、神は光である(5節)
ヨハネが知らせる神のお姿は、「神が光である」ことと「神のうちには暗いところが少しもない」ことである。神の光の前に、私達の罪は明らかにされる。罪は神と私との親しい交わりを阻む原因である。私達は罪を解決し、真理に生きることで、神との交わりを持つ者となれる。(ヨハネ8:12)
2、真理を行う(6節)
人は、偽りを言っているならば真理を行うことは出来ない。「神と交わりがある」と言いながら「やみの中を歩んでいる」状態は、信仰と行いが伴わない偽善の姿である。表面上は信仰深く見せてはいても、内面で主に逆らう偽善を神は嫌われる。真理を行う者となるには、み言葉を聞いて行う人になることである。(ヤコブ1:21,22)
3、すべての罪からきよめられる(7節)
恵みは受動的であるが、罪の解決のためには自らが神の光の中を歩む決心をしなければならない。私達が神の光の中を歩み続けるならば、主との交わり、他者との交わりが保たれる。しかし、罪を赦しきよめるのは人の決心や努力ではなく、十字架のイエス・キリストの血潮である。罪からのきよめは神からの一方的な恵みである。(ローマ人への手紙8:1)
4、罪を認めて悔い改める(8~10節)
神の前に、己に罪はないと言うことは、神様だけでなく自分自身を欺くことである。神との交わりに生きるには、自分の罪を認め、言い表し、赦されなければならない。
■結論
私達は光である神との交わりに生きるために、暗いところが少しもない神様の前に罪を認め、きよめていただこう。罪の解決は、十字架のキリストのみにある。
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