聖書箇所 ヨハネの福音書7章37~53節 説教題 『渇いている人は来なさい』 ■序論 ペンテコステ記念礼拝・会堂献堂20周年記念礼拝を次週に控え、先日は大掃除をして備えた。主のみことばを通して、私達の信仰も整えられよう。 1、信じる者に注がれる聖霊(37~39節) 7章ではエルサレムにおける仮庵の祭りの様子が記されている。祭りの終わりの日は、ギオンから黄金の器で水が運ばれ、神殿の祭壇に注がれた。イエス様はその儀式になぞらえて、魂の渇きと生ける水について話された(37~38節)。4章でサマリヤの町で井戸に水くみに来た女性が「生ける水」であるイエス様に出会った。つまり、イエス様を信じて救われる者は水のバプテスマ、イエスを宣べ伝えていく者は聖霊のバプテスマを受ける。主は聖霊に対する渇きを持つ人を、宣教への情熱を持つ人へと変えて遣わして下さると信じよう。 2、ダビデの子孫としてキリストが来られる約束(40~44節) イエス様に対する群衆の意見は対立した。キリストであると認める人達(41節)も実は自分達の理想とする政治的・軍事的リーダーを求めていた。また、ガリラヤ育ちのイエス様をキリストと認めることに反発もあった。しかし、キリストがダビデの町ベツレヘムで誕生する預言は実現した(ミカ5:2)。イエス様の生涯を通して、神の時に神の御計画はすべて実現し、神の御栄光は現わされる。神を信じて従う者の人生は神のものである。私達の人生を神の約束に合わせるのではなく、神の約束を信じて、私達の人生を委ねていこう。 3、役人、群衆、ニコデモを非難する祭司長たち(45~53節) イエス様を捕えられずに戻って来た役人たちを祭司長らは詰問した。しかも役人らはイエス様の話を聞き、神の権威を認めるようなことを言っている。祭司長らの怒りの矛先は、律法を知らない群衆に向けられた。しかし、議員のニコデモは、律法に基づいて公平に裁くべきと提言する(申命記1:16、17)。しかし、祭司長らはガリラヤ出身のイエス様を認めようとするニコデモの話も切り捨てた。ニコデモはイエス様が十字架で死んだ後、信仰を現わす行動に出た(19:39)。主を信じて従う人は聖霊に強められて行動できると信じよう。 ■結論 マタイ10:28 人を恐れず、主を恐れよう。今も主は渇いている人を招いておられる。神の約束と御計画を信じ、聖霊の力を受けて、今週も遣わされよう。 |