聖書箇所 ヨハネの福音書7章14~24節 説教題 『神から出た教え』 ■序論 いつの時代も圧倒的多数派が正しいとは限らない。私達は何が事実で何が真実か見分けにくい時代に生きている。神から出た正しい教えは何か見出そう。 1、人の学問ではない(14~17節) イエス様は仮庵の祭りにエルサレムの宮で教えられた。ユダヤ人たちは「正規に学んだことがないのにどうして学問があるのか」と驚いた。しかし、イエス様は12歳の時に過ぎ越しの祭りで、宮で教師たちの真ん中に座って話を聞き、質問しておられた(ルカ2:46、47)。イエス様には神の知恵と神の知識と神の力が満ち溢れていた。それは人間の学問からは到底出てこない教えである。イエス様は愛によって律法を全うすることを教えられた。聖書を通して、もっとイエス様を知り、愛し、真の知恵と知識の宝をいただこう(コロサイ2:3)。 2、自分の栄光を求めるものではない(18~19節) イエス様は自分の何かをPRしたことはなく、全て父なる神から語るように言われたことを語られた。それが神の栄光を現わす生き方である。主の御名をみだりに唱え、主の御名で自分の語りたいことを話すのは、自分の栄光を求める偽預言者のすることである。主が求めておられるのは真実な証人である。イエス様を信じる信仰によって、神が私のためにして下さった事実を語る時に、それが真実な証となる。神から出る教えは、自分の何かをひけらかすことではない。主が遣わして下さる場所で、主の栄光を現わすことをひたすら求めよう。 3、うわべによって人を裁かない(20~24節) イエス様はモーセの十戒を通してユダヤ人の罪を指摘された。ユダヤ人たちはイエス様を殺そうとしていた(1節)。彼らはかつてイエス様が安息日に病人を癒したことを律法違反として裁いた。しかし、ユダヤ人は生後8日目の新生児に割礼を施す儀式は、安息日にも行っていた。イエス様は安息日を聖なる日とすることと、隣人を愛することは何も矛盾することではないと教えられた。神から出た教えは人がつくった細かいルールを超越する。私達が神を愛し、神を第一とする時に、隣人を愛する人へと変えられていくと信じよう。 ■結論 Ⅰヨハネ4:8 神の真実な愛を知らずには、どんな学問も哲学も法律も虚しいものである。神の愛を受け、神から出た教えを、愛によって実行しよう。 |