聖書箇所 Ⅰコリント3章1~11節 説教題 『成長させて下さる神』 ■序論 キリストのからだなる教会に連なるひとりひとりの信仰の成長が教会全体の成長となる。キリストにつながり、成長させて下さる神様に信頼しよう。 1、神の協力者(Ⅰ~5節) パウロはコリント教会の人達に神の協力者になるように勧めている。神の協力者は「御霊に属する人」である(1節)。しかし、コリント教会の人達は肉に属し、人間の派閥に属する人になっていた(3、4節)。その姿は神の協力者とはかけ離れた、人のねたみや争いに支配され、互いの足を引っ張り合う「ただの人」のような歩みである。しかし、パウロは自分自身を「あなたがたが信仰に入るために用いられた主のしもべ」(5節)であることを謙遜に自覚していた。これこそ神の協力者の姿勢である。神の協力者として、神に忠実な僕となろう。 2、神の畑(6~8節) 神の畑とは神の御心によって実が結ばれるところである。いわば神のぶどう園のようなものである。イエス様はサマリヤの町で一人の女性が救われた後、「目を上げて畑を見なさい。色づいて刈り入れるばかりになっています」(ヨハネ4:35)と言われた。神の協力者として呼び集められ、神の畑で仕えるのがクリスチャンである。つまり、そこは決して自分の畑ではない。だから、植える人や水を注ぐ人は、ただ神が用いた僕に過ぎず、一つの目的を共有している。私達は主に与えられた賜物を用いて、収穫のために、神の畑で喜んで仕えよう。 3、神の建物(9~11節) 建物に大切なのは統一性と多様性である。神の建物である教会にも同じことが言える。体はかしらなるキリストから指令を受け、各器官がそれぞれの機能を果たしている。建物は各パーツが組み合わさって全体を構成している。共通するのは、小さな部分もどれ一つ欠かすことができず、全体でひとつとなり、互いは対立ではなく補完関係にあることである。神の建物である教会は、イエス・キリストへの信仰を土台として建て上げられていく。私達も神の建物である教会を構成する欠かせない存在として、今集められていることを覚えよう。 ■結論 私達を肉に属する人から御霊に属する人へと造り替え、成長させて下さるのは神様である。神の協力者として、神の畑で仕え、神の建物の完成を待ち望もう。 |