聖書箇所 Ⅰコリント3111
3:1 さて、兄弟たちよ。私は、あなたがたに向かって、御霊に属する人に対するようには話すことができないで、肉に属する人、キリストにある幼子に対するように話しました。

3:2 私はあなたがたには乳を与えて、堅い食物を与えませんでした。あなたがたには、まだ無理だったからです。実は、今でもまだ無理なのです。

3:3 あなたがたは、まだ肉に属しているからです。あなたがたの間にねたみや争いがあることからすれば、あなたがたは肉に属しているのではありませんか。そして、ただの人のように歩んでいるのではありませんか。

3:4 ある人が、「私はパウロにつく。」と言えば、別の人は、「私はアポロに。」と言う。そういうことでは、あなたがたは、ただの人たちではありませんか。

3:5 アポロとは何でしょう。パウロとは何でしょう。あなたがたが信仰にはいるために用いられたしもべであって、主がおのおのに授けられたとおりのことをしたのです。

3:6 私が植えて、アポロが水を注ぎました。しかし、成長させたのは神です。

3:7 それで、たいせつなのは、植える者でも水を注ぐ者でもありません。成長させてくださる神なのです。

3:8 植える者と水を注ぐ者は、一つですが、それぞれ自分自身の働きに従って自分自身の報酬を受けるのです。

3:9 私たちは神の協力者であり、あなたがたは神の畑、神の建物です。

3:10 与えられた神の恵みによって、私は賢い建築家のように、土台を据えました。そして、ほかの人がその上に家を建てています。しかし、どのように建てるかについてはそれぞれが注意しなければなりません。

3:11 というのは、だれも、すでに据えられている土台のほかに、ほかの物を据えることはできないからです。その土台とはイエス・キリストです。

本日の講壇201742

聖書箇所 Ⅰコリント3111

説教題 『成長させて下さる神』

■序論

キリストのからだなる教会に連なるひとりひとりの信仰の成長が教会全体の成長となる。キリストにつながり、成長させて下さる神様に信頼しよう。

 

1、神の協力者(Ⅰ~節)

パウロはコリント教会の人達に神の協力者になるように勧めている。神の協力者は「御霊に属する人」である1節)。しかし、コリント教会の人達は肉に属し、人間の派閥に属する人になっていた34節)。その姿は神の協力者とはかけ離れた、人のねたみや争いに支配され、互いの足を引っ張り合う「ただの人」のような歩みである。しかし、パウロは自分自身を「あなたがたが信仰に入るために用いられた主のしもべ」5節)であることを謙遜に自覚していた。これこそ神の協力者の姿勢である。神の協力者として、神に忠実な僕となろう。

 

2、神の畑(6~節)

神の畑とは神の御心によって実が結ばれるところである。いわば神のぶどう園のようなものである。イエス様はサマリヤの町で一人の女性が救われた後、「目を上げて畑を見なさい。色づいて刈り入れるばかりになっています」(ヨハネ435)と言われた。神の協力者として呼び集められ、神の畑で仕えるのがクリスチャンである。つまり、そこは決して自分の畑ではない。だから、植える人や水を注ぐ人は、ただ神が用いた僕に過ぎず、一つの目的を共有している。私達は主に与えられた賜物を用いて、収穫のために、神の畑で喜んで仕えよう。

 

3、神の建物(9~11節)

建物に大切なのは統一性と多様性である。神の建物である教会にも同じことが言える。体はかしらなるキリストから指令を受け、各器官がそれぞれの機能を果たしている。建物は各パーツが組み合わさって全体を構成している。共通するのは、小さな部分もどれ一つ欠かすことができず、全体でひとつとなり、互いは対立ではなく補完関係にあることである。神の建物である教会は、イエス・キリストへの信仰を土台として建て上げられていく。私達も神の建物である教会を構成する欠かせない存在として、今集められていることを覚えよう。

 

■結論

私達を肉に属する人から御霊に属する人へと造り替え、成長させて下さるのは神様である。神の協力者として、神の畑で仕え、神の建物の完成を待ち望もう。