聖書箇所 ユダの手紙1~25節 説教題 『永遠の生命に生きる人』 ■序論 ユダの手紙は短いが、聖書66巻の一つに数えられている。主の再臨に対する警告が内容の大部分を占めるが、永遠の生命に生きる人に光をあててみよう。 1、イエス・キリストのしもべ(Ⅰ~2節) 著者ユダはヨセフとマリヤの子どもである。つまり戸籍上はイエス様の弟である。しかし、ユダは自分自身を「イエス・キリストのしもべ」と紹介している。当初彼はイエス様を救い主と信じていなかった(ヨハネ7:5)。おそらくイエス様の十字架と復活の後に信じ、昇天後に、聖霊を受けて、キリストの証人として生きるようになったのだろう。キリスト者は「神に愛され、守られ、召された」者たちである。だから、しもべであるが自由人である。永遠の生命と自由を与えられたキリスト者は、神と隣人を愛するためにその特権を用いよう。 2、イエス・キリストのみことばを思い出す人(3~19節) ユダの手紙の背景にある問題は、ひそかに忍び込んで来た人々が、神の恵みを放縦に変え、唯一の救い主イエス・キリストを否定した(4節)。人々を惑わし、神の裁きを受けた者の実例と特徴として、➀カナンに入る前に神を疑った人たち(5節)、➁創造主に並ぼうとして堕落した御使いたち(6節)、➂好色と不自然な肉欲を追い求めたソドムとゴモラの住民(8節)、総じて「生まれつきのままの人間」(19節)が人々を惑わす。しかし、永遠の生命に生きる人は、どんな時代でも、主のみことばにとどまり、いつも主のみことばを思い起こそう。 3、イエス・キリストのあわれみを待ち望む人(20~25節) 永遠の生命に生きる人とは、イエス・キリストのあわれみを待ち望み、みことばを最後まで信じる人である。また、自分の持っている最も聖い信仰の上に自分自身を築き上げ、聖霊によって祈り、神の愛のうちに自分自身を保つ人である。神との関係を深める人は、疑いやつまずきが起きそうな時に、「私たちの主である唯一の神」(25節)に助けを求める。明日のこともすべて御存知の神に委ねるからこそ、キリスト者は不安や恐れに打ち勝つことができる。永遠の生命に生きる者は、イエス・キリストへの信仰を人生の土台としよう。 ■結論 Ⅰペテロ1:21~25 キリスト者の信仰生活は神のみことばに基づく。決して滅びることのない神のみことばを信じ、とどまり、人々に分かち合おう。 |