聖書 ヨハネの福音書65259
6:52 すると、ユダヤ人たちは、
「この人は、どのようにしてその肉を私たちに与えて食べさせることができるのか。」
と言って互いに議論し合った。

6:53 イエスは彼らに言われた。
「まことに、まことに、あなたがたに告げます。人の子の肉を食べ、
またその血を飲まなければ、あなたがたのうちに、いのちはありません。

6:54 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、
永遠のいのちを持っています。
わたしは終わりの日にその人をよみがえらせます。

6:55 わたしの肉はまことの食物、
わたしの血はまことの飲み物だからです。

6:56 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、
わたしのうちにとどまり、わたしも彼のうちにとどまります。

6:57 生ける父がわたしを遣わし、わたしが父によって生きているように、
わたしを食べる者も、わたしによって生きるのです。

6:58 これは、天から下ってきたパンです。
あなたがたの先祖が食べて死んだようなものではありません。
このパンを食べる者は永遠に生きます。」

6:59 これは、イエスがカペナウムで教えられたとき、会堂で話されたことである。

本日の講壇201735

聖書箇所 ヨハネの福音書65259

説教題 『まことの食物 まことの飲み物』

■序論

まことの食物、まことの飲み物とはイエス様御自身である。「イエス様は私に本当のライフ(いのち、生活、人生)を与えて下さる方です」と告白しよう。

 

1、キリストに与えられるいのち(5254節)

イエス様は十字架によって私達に永遠の生命を与えて下さるお方である。十字架によってイエス様の体は裂かれ、血が流された。だから、その肉を食べ、その血を飲むこととは、イエス様の十字架と復活を信じることである。信じる者には、永遠の生命が与えられる。それらのことを現わすのが、聖餐式である。聖餐式は、私達の罪を赦し、永遠の生命を与えるために、十字架で体を裂かれ、血を流されたイエス様に対する信仰を新たにし、感謝し、確信を深める時である。いのちのパンであるイエス様御自身を信じ、その恵みを分かち合おう。

 

2、キリストにとどまる生活(5557節)

イエス様は御自身をまことの食物、まことの飲み物であると表現された。食物と飲み物とは、毎日の生活に欠かせないものである。つまり、イエス様を信じて従う信仰とは生活そのものである。同時にイエス様がいなくては、私達は本当の意味で生きることができない存在である。信仰は趣味や娯楽の世界とは違い、生活そのものに根付くのである。イエス様のからだである教会にとどまり、イエス様のみことばによって、信仰は成長していく。イエス様はぶどうの木、私達はその枝である155。イエス様にとどまり、多くの実を結ぼう。

 

3、キリストによって生きる人生(5859節)

イエス様からいただく永遠の生命によって生きる人は幸いである。当時、ユダヤ人が集う会堂ではモーセの律法が朗読されていた。律法では血を飲むことについて厳しく禁止している(レビ171014。ユダヤ人にはイエス様が教える肉や血のことは不可解で、目に見える肉体のことと捉えていた。しかし、イエス様を信じる信仰は、私達の霊の目を開き、永遠の神の国へと招き、私達の人生を私中心から神中心へと生き方も価値観も変えていく。イエス様への信仰が、私達のいのち、生活、人生を喜びと希望で満たして下さることを感謝しよう。

 

■結論

イエス様のみことばとイエス様のからだである教会にとどまろう。イエス様からいただいた永遠のいのちを感謝し、幸いな生活、豊かな人生を送ろう。