聖書箇所 ヨハネの福音書6章22~40節 説教題 『わたしがいのちのパンです』 ■序論 イエス様は「わたしがいのちのパンです」と仰せられた。教会の使命は、イエス様による永遠の生命と豊かな恵みを分かち合い、伝えていくことである。 1、満腹させるパン(22~27節) 五千人の給食と湖の上を歩く奇跡の翌日、群衆はイエス様を捜してカペナウムへ行った。しかし、彼らはいのちのパンよりも、物質的なパンを求めていた。彼らの願望は自分達の国を築き、その王としてイエス様を担ぐことだった(15節)。しかし、イエス様が治める神の国は、平和を愛し、与えることを喜び、仕えられるよりも仕えることによって神の栄光を現わすところである。だからイエス様は彼らに永遠のいのちに至る食物のために働くように言われた。イエス様と神の国に仕える奉仕が私達に本当の充実を与えて下さると信じよう。 2、天から下る神のパン(28~34節) 群衆はイエス様に神のわざを行うために何が必要なのか尋ねた(28節)。神が遣わされた御子イエス・キリストを信じることが神のわざである。しかし、群衆は目の前におられるイエス様を預言されたメシヤだと信じるために証拠を求めた。彼らにとって「天からパンを与えて食べさせた」のはモーセだと理解していた。しかし、天からパンを下さるのは神であり、そのパンは空腹を満たす食べ物のことではなく、いのちを与える方、霊の食物のことである(34節)。私達は聖書を通して、天から下る霊の食物と出会い、得られることを感謝しよう。 3、永遠のいのちに至るパン(35~40節) イエス様は御自身が人々の渇きも飢えも満たすいのちのパンであることを示された(35節)。イエス様が天から人となって地に遣わされたのは、父なる神の御心を行うためである(38節)。神の御心はひとりも滅びずに永遠のいのちを得ることである(3:16)。だから、神の子どもとされたクリスチャンにも、神の御心を行うことを神は望んでおられる。それは福音宣教である。教会の使命は、神が遣わされた御子イエス様を信じ、イエス様のみことばに養われ、みことばを伝えていくことである。みことばに従うことによって神の御心を行おう。 ■結論 教会は人々の胃袋や願望を満たすことに熱中していては本末転倒である。いのちのパンであるイエス様を信じ、従い、永遠のいのちと復活の福音を伝えよう。 |