本日の講壇

聖書箇所 ヨハネの福音書2章1~12節

説教題 『僕は見た、最初の奇跡』

■序論

ヨハネは他の三つの福音書にない出来事を記している。それは読者が主を信じて永遠の生命を得るためである。カナの婚礼でイエス様は最初の奇跡を行われた

 

1、ぶどう酒がありません(1~5節)

イエス様は弟子達とガリラヤのカナに行かれた。ユダヤ人の婚礼は1週間から10 日間盛大に開かれる。イエス様の母マリヤはその婚礼で接待役をしていたと考え られる。祝宴にぶどう酒は欠かせなかった。しかし、マリヤはイエス様にぶどう酒が ないことを告げた。しかし、イエス様は母の関心と自分の関心は違うことを告げら れた。イエス様に相談することは解決の始まりである。マリヤは手伝いの者達にイ エス様に従うように言った。ぶどう酒はイエス様の十字架の血潮を暗示している。 全人類の魂の渇きを潤し、解決して下さるのはイエス・キリストだけだと信じよう。

 

2、水がめに水を満たしなさい(6~9節)

祝宴の会場には大きな石の水がめが六つあった。ユダヤ人は日常的に汚れに敏感で、水によるきよめの儀式を行っていた。しかし、水は人間の全ての罪を洗いきよめることができない。六つの水がめは、水によるきよめは不完全であることを表している。新しい生まれ変わりは水と御霊による(35)。イエス様から水がめに水を満たすように言われた僕らは、そのみことばに完全に従った。これこそイエス様に完全に委ねる信仰の姿勢である。水はぶどう酒に変わり、水汲む僕はぶどう酒を運ぶ僕となった。みことばに従う人には特別な神様の恵みがあると信じよう。

 

3、よくも今まで取っておきました(10~12節)

通常、客の酔いが回って来ると、もてなしの質が下がるものだった。しかし、思いがけず上質のぶどう酒にありつけた一同は非常に喜んだ。花婿さえもそれがどこからきたのか知らなかった。これはイエス様が行われた最初の奇跡だった。このぶどう酒がどこから来たかを知るのは、水汲む僕達だけである。彼らはイエス様のみことばを信じて従った結果、主の栄光を間近で拝することができた。イエス様の十字架の恵みを感謝することができるのは救われた者だけである。イエス様を信じて救われた人生は、救われる前の人生にはるかに勝る恵みがあると信じよう。

 

■結論
ⅠヨハネⅠ:7全人類に必要なのはイエス・キリストの十字架の血潮である。信じる者はその恵みに与る。十字架の血潮が、唯一の救いの道であることを信じ伝えよう。

ヨハネの福音書2章1~12節
2:1 それから三日目に、ガリラヤのカナで婚礼があって、そこにイエスの母がいた。

2:2 イエスも、また弟子たちも、その婚礼に招かれた。

2:3 ぶどう酒がなくなったとき、母がイエスに向かって「ぶどう酒がありません。」と言った。

2:4 すると、イエスは母に言われた。「あなたはわたしと何の関係があるのでしょう。
女の方。わたしの時はまだ来ていません。」

2:5 母は手伝いの人たちに言った。
「あの方が言われることを、何でもしてあげてください。」

2:6 さて、そこには、ユダヤ人のきよめのしきたりによって、
それぞれ八十リットルから百二十リットル入りの石の水がめが六つ置いてあった。

2:7 イエスは彼らに言われた。
「水がめに水を満たしなさい。」彼らは水がめを縁までいっぱいにした。

2:8 イエスは彼らに言われた。
「さあ、今くみなさい。そして宴会の世話役のところに持って行きなさい。」
彼らは持って行った。

2:9 宴会の世話役はぶどう酒になったその水を味わってみた。
それがどこから来たのか、知らなかったので、
――しかし、水をくんだ手伝いの者たちは知っていた。――
彼は、花婿を呼んで、

2:10 言った。「だれでも初めに良いぶどう酒を出し、人々が十分飲んだころになると、
悪いのを出すものだが、あなたは良いぶどう酒をよくも今まで取っておきました。」

2:11 イエスはこのことを最初のしるしとしてガリラヤのカナで行ない、
ご自分の栄光を現わされた。
それで、弟子たちはイエスを信じた。

2:12 その後、イエスは母や兄弟たちや弟子たちといっしょに、
カペナウムに下って行き、長い日数ではなかったが、そこに滞在された。