今、立ち止まる~神を知るしあわせ~
やめよ。わたしこそ神であることを知れ。わたしは国々の間であがめられ、地の上であがめられる。
詩篇 46篇10節
私たちはそれぞれ、教会、大学、バイトetc…と様々なところで生活を送っています。忙しくて休む暇もなく毎日を駆け抜けている、という人も多いのではないでしょうか。
そんな日々の中で、あなたはゆっくり神様との時間を持てているでしょうか?教会の礼拝の時、大学で聖研をしている時、ひとりでボーションをしている時、あなたは本当に神様の前に立ち止まれていますか?
そんな時間をとる余裕すらないことや、また時間を取っていたとしても、神様と真剣に向き合わないで、神様の前を足早に通り過ぎてしまうということはないでしょうか?
私たちが信仰生活を歩む中で、時には神様の前にじっと“立ち止まる”必要があります。では、立ち止まった先にはなにがあるのでしょう?
立ち止まって耳をすますと、今まで気付いていなかった神様の語りかけを聞くことができます。その時に初めて、私たちは神を知り、私たちが神によって知られていることを知るのです。静まって神様を知ることで、私たちの内に礼拝と賛美が生まれます。そこにあるのは“神を知ることの幸せ”です。
この“立ち止まる”時間があるからこそ、私たちは再び神様と共に歩み始めることができます。神様との交わりを豊かに持ち、その喜びが原動力となり、私たちの奉仕や伝道という神様への献身につながっていくのです。
だから、奉仕や伝道をする時に、まず私たちがひとりで神様の前に静まる時間をしっかり持つことが、信仰者にとってとても大切なことなのです。学生伝道を目的とするKGKの規約にも、「神の言えの従順と主への献身の生活の徹底。」と記されているとおりです。またこれは神様と自分の一対一の関係だけではなく、私たちの交わりの中で神様と関係を持つことにもつながると思います。
ただ立ち止まればいいというのではありません。大切なのは神様の前に立ち止まることです。立ち止まって終わりなのでもありません。大切なのはそこで神を礼拝することです。