今回のテーマは「眠り」です。ここ数年ですが、眠りに対する関心が高まりを見せています。国内外のホテルなどの宿泊施設で、より良い眠りを提供するサービス(あるホテルでは数種類の枕を用意している)に力を入れているところが増えていますし、昨年だったと思いますが、私が宿泊した海外のあるホテルでは、やすらかな眠りを誘う音楽や音(波の音など)の録音されたCD(アメニティとして持ち帰りもOK)が各部屋に用意されていました。
ポプラ社から出版されている心理学マガジン(月刊誌)「PSIKO」(プシコ)の創刊5月号でも、「贅沢な眠り」をテーマに眠りに関する特集が組まれ、「眠りと心の深い関係」、「上質な眠りのために必要な七つのこと」、「お昼寝パラダイス」などの記事やコラムが掲載されています。
ところで、最近の傾向は、しっかりと、つまり、質、量ともに睡眠を取ることですが、短眠、つまり、短い眠りで十分な睡眠を取る方法も忙しい現代人の興味を引き続けているようです。どうも眠ることは非生産的で、できるだけ眠らないことが美徳であるかのように考えている人がまだまだ多いようです。『睡眠不足は危険がいっぱい』(文藝春秋)の「エジソンの呪い」という章の中で著者スタンレー・コレンは、エジソンは電球の発明で人間が一日24時間活動できるようにしただけでなく、睡眠の非生産性を宣伝することに成功したと論じています。
 睡眠を粗末にあつかった結果、「先進諸国と自負する国々は睡眠不足にあえぐ人々であふれ、人口の三分の一は眠りたいが眠れないという苦しみであえいでいる。」(堀忠雄『快適睡眠のすすめ』岩波新書)これが、現代社会の姿のようです。だから、睡眠不足によってもたらされる事故(例えば、居眠り運転など)は後を絶ちませんし、(さまざまな調査で明らかになっているように)睡眠障害によって身体的、精神的に苦しんでいる人が増え続けています。
 長すぎる睡眠には病気との相関関係がありますし、惰眠をむさぼることには勿論問題があります。聖書の中にも次のような忠告が記されています。
 「怠惰は人を深い眠りに陥らせ、
  なまけ者は飢える。」(旧約聖書・箴言19章15節)
 「眠りを愛してはいけない。さもないと貧しくなる。」(同20章13節)

しかし、たっぷり、しっかり眠ること、つまり、よい睡眠は身体的、精神的な健康を育みます。ポール・マーティン著『人生、寝たもの勝ち』(ソニー・マガジンズ)の中には、日本人を対象にした長寿に関する最近の調査が紹介されています。「死亡リスクの減少に単独で関与する重要な三因子」は「一日一時間以上歩くこと、生きがいを持つこと、一晩に七時間以上眠ることだった。」
マーティンは、たっぷり眠ると、寿命が延びる、事故に遭わない、免疫力が向上する、記憶力がよくなる、スムーズな人づきあいができると、とにかく眠りが「よく生きる」ために必要であることを力説していますが、眠ることは決して時間の浪費ではありません。『できる人ほど、よく眠る。』(中谷彰宏著、ダイヤモンド社)とまで言い切ることができるほど、私たちが大切にしたいものです。
聖書は、神が与えてくださる平安が私たちを安らかな眠りに導くと語っています。
 「平安のうちに私は身を横たえ、
  すぐ、眠りにつきます。
  主よ。あなただけが、
  私を安らかに住まわせてくださいます。」(旧約聖書・詩篇4篇8節)

心配や思い煩いのすべてを神におゆだねすると、「人のすべての考えにまさる神の平安」で心と思いが守られます(新約聖書・ピリピ人への手紙4章6,7節)。そして、たっぷり、しっかり眠りたいものです。