「手当たりしだい何でも」
 
 「主の霊があなたの上に激しく下ると、あなたも彼らといっしょに預言して、あなたは新しい人に変えられます。このしるしがあなたに起こったら、手当たりしだいに何でもしなさい。神があなたとともにおられるからです。」(Tサムエル 10:6,7)
 
 「手当たりしだいに何でもしなさい。」
この言葉は王としての油注ぎを受けたサウルに対して預言者サムエルが伝えたものです。サウルが神によって初代イスラエル王として任じられてすぐ、神の命令ではなく自らの判断を優先したがために、ほどなく王位を失ってしまいます。そのために、この彼に語られた言葉を大切なものとして受けとめるのを躊躇してしまいますが、時代と社会の大きな変化の中にいる私たちキリスト者にとって忘れてはならない神の言葉のひとつです。
 
「手当たりしだいに何でもしなさい。」
この言葉はまた、人口の1パーセントという壁を破ることのできない日本の教会が真剣に受けとめるべきものでもあります。今まで成功した方法だけでなく、クリエイティブで、より効果的な方策を生み出し、実践していくことを大いに励ます言葉です。
 福音のメッセージは変わりません。いや、変えてはいけません。しかし、メッセージをいかに伝えるか、つまり、良い知らせ(ゴスペル)を包むパッケージは、その時代の人々に受け入れられるようなものに変えていくことが必要です。
 私たちの信じる神は「いやー、こんなに急速に変化するとは予想していなかった!」などと、時代や社会の変化に決して驚いてはおられません。むしろ、その時、場所に対して効果的な宣教をするために不可欠な知恵やアイデアを用意しておられます。それらをしっかりと実践していくことが私たちに求められているのです。
  
 
「手当たりしだい何でも」
するためには、まず
「主の霊があなたの上に激しく下る」
ことが必要です。別の言い方をするならば、私たちが聖霊に満たされていることが不可欠だということです。ペンテコステの日から始まった初代教会においても、主イエスの弟子たちの上に聖霊が降ることから宣教がスタートしました。力と大胆さに満ちた弟子たちは、様々な困難にもかかわらず、文字どおり世界中へ福音を運んでいったのです。
 また「新しい人に変えられ」ていくこと、変えられ続けることが大切です。勿論、自分の力で変わるのではありません。それらも必要なことではありますが、何かテクニックやノウハウを身につけるということでもありません。神によって変えられていくこと、成長していくことが求められているのです。
  
 「神は、ありのままのあなたを愛しておられるが、あなたをずっとそのままにはしておかれない。神はあなたが、イエスのようになってほしいと願っておられるのだ。」(マックス・ルケード『イエスのように』
いのちのことば社)
  
この言葉どおりに、神は私たちが変えられ、成長することを望んでおられます。
 さらには「神があなたとともにおられる」という確信が必要です。確かに神はいつもともにおられます。「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」(マタイ28:20)ですから、どんな状況、困難の中でも、「全能の神がともにおられるから大丈夫」、「神はすべての必要を満たしてくださる」と信じて歩むことが求められます。
 聖霊に満たされ、神によって変えられ、成長し続け、神がともにおられるという確信をもって歩む時、今まで誰もやらなかった方法や新しい方策にもチャレンジすることができます。恐れることなく、大胆、かつ、クリエイティブに人々に福音を届けていくことができるのです。