「神からのプレゼント−主イエス・キリスト」
 
 「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。」(ヨハネ3:16,17)

贈り物の季節を迎えました。お歳暮やクリスマスのプレゼント、正月のお年玉や年始のあいさつの品等、一年で贈り物を交わすことの最も多いシーズンです。
 
贈り物には何が良いだろうかと迷うことは誰にでもあることだと思います。子どもへのクリスマスのプレゼントで頭を悩ましている大人の姿をおもちゃ屋さんで見かけることがありますが、実に微笑ましい光景です。
 
 特にクリスマスにはお互いにプレゼントを交わしますが、クリスマス最大のプレゼントは、神が与えてくださった、救い主イエス・キリストです。
 このキリストの誕生を祝うのがクリスマスです。
 
 ちなみに
「クリスマス」「キリスト」「ミサ」、つまり、「キリストの礼拝」を意味する言葉です。
ですからクリスマスは
「イエス・キリストが救い主として誕生されたことをお祝いし、キリストを礼拝する日」で、
「クリスマス本来の、正しい祝い方は、キリストを拝み、キリストに贈り物を捧げることです。」(ウィリアム・ウッド)
 
 なぜ、クリスマスに主イエスを礼拝し、贈り物をささげるのでしょうか?それは、(繰り返しますが)神が私たちに最高のプレゼントを贈ってくださったからです。その贈り物こそが主イエス・キリストなのです。
 神は私たち一人一人(誰もその対象から漏れることはありません!)を愛するがゆえに、聖書の言葉がはっきり語っているように、そのひとり子であるキリストを与えてくださいました。これは神の
「あなたとともに生きよう」
という意志を示しています。
 
 でも、ある牧師が語っているように
「…神ご自身、自らこの世に来られるより、もっと神にとっては厳しい選択であります。」
次のある戦争体験者の言葉はそのことを証しています。
「戦争は悲惨なもので、人間のすべきことではない。もし、再び戦争が起こり、自分の息子たちに戦場に行くように指令がきたら、わたしは絶対彼らを行かせない。どうしてもというのなら、わたしが息子の代わりに行く。」
 
 主イエスは人となり、私たちの身代わりとなって、十字架の上で死に、三日目に復活し、救いの道を用意してくださいました。主イエスを救い主と信じ、受け入れるとき、私たちは罪ゆるされ、救いを得ることができるのです。
 
 主イエスが来られたのは「世をさばくため」ではありません。私たちが救われるためです。この神からのプレゼントを受け入れる(信じる)者は、永遠のいのちを持つ者として生きることができます。人間の最大の敵である死を恐れずに生きる者とされるのです。
 
 また、ゆるしの中に生きることができます。
罪責感からの解放を得ることができます。
神から来るいやし(身体的、精神的ないやしだけでなく、人間関係のいやし)が与えられます。
神がともにおられるので、心の平和をいつも持つことができます。
「恐れることはありません」(ルカ2:10)
という神の言葉に励まされ、どんな状況、環境に置かれても、勇気を持って毎日を送ることができます。
 
私たちを創造し、私たち以上に私たちのこと、その必要の一切をよくご存知である神が人生を導いてくださるので、真に自分らしく生きる者とされます。
 
誰も奪うことができない喜びを持ち、まわりの人たちを愛することができるのです。