創世記3940「教会学校メッセージより」

 

先週から、ヨセフのお話をきいています。

お父さんのヤコブに、とても可愛がられ大事にされた、ヨセフ.
上等の長袖の洋服を着させてもらったり、お兄さんたちが遠くで羊を飼ってる間も、ヨセフだけはお父さんやお母さんの近くで暮らしていた、っていうんですよね。
 みんなは兄弟いるかな?
お父さんやお母さんとか大人が、えこひいきしてたら、嫌な感じするでしょう。
それで、ヨセフはお兄さんたちに、憎まれてしまっていたんですね。
なんだよ、あいつばっかり大事にされて・・あいつなんかいなくなればいいのに・・って思われてたんだね。
 ヨセフもヨセフで、そんなお兄さんたちの傷ついている心なんて気にかけない。
「お父さんが味方についてるんだから、平気平気」と安心しきっていたようです。

ところが、ヨセフが見た夢を話したことで、お兄さんたちは、激しく怒って、ますますヨセフを憎むようになったのでした。「お兄さんたち、きいてください。わたしはこんな夢を見ました。みんなで畑仕事をしてるとき、私の束ねていた麦がひょこっと起き上がって、まっすぐ立ったんです。するとお兄さんたちの麦の束が周りに集まってきて、おじぎしてひれ伏したんです。」「なに?お前が我々の王となるというのか?お前が我々を支配するとでもいうのか?」ヨセフはまた別の夢をみて、それをお兄さんやお父さんに話しました。「太陽と月と十一の星がわたしにひれ伏したのです。」
今度は、お父さんも叱ります、「一体、どういうことだ、私もお母さんも兄さんたちも、お前の前に行って、地面にひれふすというのか」

 
このことによってヨセフはお(にい)さんたちから、すますうらみをかってしまい、お父さんの目の届かないところで、(ころ)されかけます。お兄さんたちは、たくらみました。「じゃまっけなヨセフは狼に殺されたことにして消してしまおう、そしたら、お父さんも少しは、俺たちにかまってくれるようになるだろう。」一番上のルベンや4番目のユダが「命までとるのはよそう」と言って、通りかかった外国の商人たちに弟を売りました。こうしてヨセフは遠いエジプトの国に奴隷(どれい)として売られ、つらくさびしい生活(せいかつ)(おく)ることになったのでした。(創37章)

 

エジプト・・ピラミッドとか、スフィンクスとか、建ってたりする、すごい国です。
ヨセフにとっては、ぜんぜん知らないところです。
 言葉も通じないし、わからないことだらけです。ヨセフにしてみたら、食べ物や水がもらえるように、とにかく働くしかありません。奴隷というのは、毎日、いっしょうけんめい仕事をして、ご主人様から食べものをもらう身分、馬とかと同じように、体が健康で、ちゃんと役に立つものだけが、ご飯をもらえるんですね。

 実のお兄さんたちに、殺されかけて、遠いエジプトの地に連れてこられたヨセフ、
これからどうなっちゃうんだろうかと不安でいっぱい。「なんでこんな目に・・お父さんの所に帰りたい、・・・もっとお兄さんたちと仲良くしておけばよかった・・それにしたって、こんな仕打ちはひどすぎる。」いろんなことを思ったかもしれません。
けれど、不幸をもたらした人たちを恨み続けたり、自分の失敗を悔やんでばかりいたって仕方がない。今は、この現実の中でやっていくしかないのでした。

 
エジプトで、ヨセフを買い取ったのは、ポティファルというお金持ちでした。
このポティファルは、エジプトの王様に仕える身分の高い人でした。神様がヨセフとともにおられて、ヨセフのすること全て成功させてくださいました。ヨセフはご主人に気に入られ、信頼されるようになりました。神様がヨセフの働きを祝福されたので、主人は、自分の畑のことも家のことも、すっかりヨセフに任せて、すべての財産を彼に管理させるようになりました。

でも、次の試練が待っていました。ポティファルの奥さんが、若くてハンサムなヨセフを気に入って、誘惑してきたのです。「平気よ。ちょっとくらい浮気したって、主人には、ばれやしないんですから」

ヨセフは、はっきりと断ります。「そんなことはできません。だって、あなたはご主人様の奥様ではありませんか。そのような悪を行なって、神様に罪を犯すことはできません。」奥さんは毎日のようにヨセフを誘いましたが、ヨセフは耳をかさず、近づかないようにしていました。こうしたある日、奥さんはヨセフの着物をつかんで、むりやり自分の部屋に入れようとしました。ヨセフは着物を彼女の手に残して、その場を逃げました。すると奥さんが家の者たちに「奴隷のヨセフが私の部屋に入ってきて、乱暴しようとしました。私が大声を出したら着物を残して逃げていきました。」って嘘の告げ口をしたんです。これを聞いた主人はカンカンに怒って、ヨセフを牢屋に入れてしまいました。

 何も悪いことをしていないのに、むしろ神様に従って罪を犯すまいとしたのに、ヨセフは牢屋に入れられてしまいました。

 
みんなだったら、どうでしょう?
ひどい目にあったとき、どんなことを考えるでしょうか?

悔やしい気持ち、恨みつらみで頭がいっぱい、気持ちが晴れない・・そうした暗い気持ちを抱えたままだと、何もかも面白くなくて、前に進んでいけないですね。
 

自分は悪くないのに、ひどい目にあったら、「どうして自分がこんな目に・・」って、くさっていじけてしまうか、ずっと恨み続けてしまうところですね。

でも、ヨセフさんはちがったんです。
ヨセフは、神様がともにいて、自分の歩みを守ってくださってることを感じていたのです。

ヨセフは牢屋の番人に気に入られ、牢屋の他の囚人たちの世話役を任されました。

やがて、王様の家来が二人、牢屋に入れられました。二人は王様の食事を料理したり、運んだりしていた家来たちだったのですが、こうして牢屋に連れてこられたところをみると、料理に毒でも入っていたのでしょうか、・・ある日、ヨセフがこの二人の家来たちを訪ねていくと、二人とも元気のない顔をしている、「どうしたのですか?顔色が悪いようですが・・」「じつは、我々は夢を見たのだ。それがずいぶんおかしな夢だったので、何か意味があると思われるのだが・・さっぱり分からなくて困っているのだよ。」

「どうか私に話してみてください。きっと神様が教えてくださいますから」とヨセフ。

一人の家来がいいました。「一本のぶどうの木に3本のつるが伸びてきた。芽が出て、花が咲いて、おいしそうなぶどうの実がなった。私はそのぶどうを搾って、王様に差し上げたのだ。」もう一人の家来が言いました。「私の頭の上にかごが3つあって、一番上のかごには王様のためのご馳走がはいっていたのですが、鳥が私の頭の上のかごからそれを食べているのです。」

ヨセフは、この二人の夢の意味を解き明かしました。一人の家来は、まもなく王様から赦されて牢屋を出ることができるけれども、もう一人のほうは、罰を受けてしまうという意味でした。
ヨセフは、牢屋から出られる方の家来に頼みました。「あなたがそのように幸せになられたときには、どうか私のことを思い出してください。私はここに入れられるようなことは何もしていないのです。」
3日めに、ヨセフの語ったとおりのことが起こりました。でも、牢屋から出た家来はヨセフのことをすっかり忘れてしまいました。
残念ながら、ヨセフの牢屋の中での暮らしは、まだ続いてしまうようでした。でも、ヨセフにとって、耐えられないことではありませんでした。
神様が共にいてくださることを感じていたからです。

ぜんぜん知らない国に連れてこられたうえ、牢屋(ろうや)に入れられても、挫けず、希望(きぼう)を失わなかったヨセフ。すべてをご存知(ぞんじ)の神様が、いっしょにいてくださる。神様は僕のことを見放したりなさらない。だから心強かったんですね。
「きっと、この苦難(くなん)には神様の特別(とくべつ)なご計画(けいかく)があって、祝福(しゅくふく)がそなえられているんだ。」と信じることができたのです。

 

私たちも人生の中で、自分のせいじゃないのに、どうして、こんな目に遭わなくちゃならないのって思うこと、あると思うんです。

末っ子に生まれたかったなあとか、もっと健康だったら、もっとお金持ちの家だったら、もっと頭がよくて・やさしくて・しっかり者の親だったら・・きっと自分もちゃんとしてたんだ・・・言い出したらきりがないですよね。

すでに起きてしまったことは戻りません。あの時、こうしてれば、あーやってれば、って言ったって始まらない。誰かのせいにしたってしょうがない。

 
「こんなふうに生まれてこなければ、きっと俺だって」とか、「こんな災難にあわなければいまごろきっと」とか、ぐじぐじ言って嘆くのではなく、この困難にも、きっと神様のご計画があって、その先に祝福がそなえられていると、信じて進む、私たちでありたいと願います。

 
自らの境遇の不遇感を嘆くのではなく、神への信頼をもって、今を生きることが大事。ヨセフさんのように、困難の中でも神様に信頼し、希望を持ち続けて、歩んでいきましょう。